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幸福感に潜む無意識の悪意

NHKスペシャル"わたし"を奪われてを見た。性犯罪にあった方々の日常を知って色々思う事があった。

この番組を見て思い知らされたのは、性犯罪に遭って負ってしまった方の心の傷の深さと、実際に性犯罪を犯す人がいるという事だ。


セクハラだのパワハラだのいじめだのなんだのとずっと言われ続けて、未だにその話題が耳に入る。耳に入るのにそれでも手を染める人がいるのは一体何故なのだろうか?

色々想像してみたが、そういう人はそれに手を染める事で幸福感を得ているからだと推測している。

他人を貶めて優越感を得てると考えられるし、自分にとって都合の良い理屈をつけて、それで相手が喜ぶと思い込んでいるのかも知れない。自身の幸福感を得る事だけを見ているのだろう。初めから相手の事など気にもしていないと推測する。


相手を貶める事を当たり前のようにやると、悪意でやっているようにしか見えないが、本人にそのつもりはない。自分を幸せにするのが目的なのだから、自分の為に行動して何が悪いのか?と思うぐらいの感覚なのだろう。

この幸福感に潜む無意識の悪意が、ヒトにはあるのだ。

アッシ自身、それを向けられていると感じた事がある。

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