グレーゾーン
六代目神田伯山さんの新作講談にグレーゾーンって読み物がある。今回の話はそれとは全く関係ありませんが、その言葉がしっくりきたのでこのタイトルとした。
オリンピック最終日、北海道で行われたマラソンをちらっとテレビで見た。沿道には応援に来た人達が見えた。コロナの事もあり観戦は自粛するよう要請されていたが、一生に1度かもしれない機会である。見に行きたいという人の気持ちもわからないでもない。
そんな沿道から応援する人達の前をふらっと歩く人がいた。"応援は自粛願います"と書かれたプラカードを持ったボランティアだ。
"応援は自粛願います"というプラカードを見せながら歩くボランティアとそれを気にせず応援する人達。
アッシがボランティアの立場だったら「なんやねんコイツら!」と群がる応援団に苛立ってしまいそうだ。何の成果も出ない事をやらされたボランティアの心情はとても辛かったのではないかと想像する。
ただ、成果はないが意味はある。
主催者側の立場として、要請はしているのに集まった人に対して何もしない訳にはいかない。何かしてますってアピールをする役割をあのボランティアは担ったのだ。
残念ながら、不要不急は本人の判断に委ねられ強制ではない。だから追い返す事はしないし、そもそも沿道に入れないようにもしていない。
見たいという気持ちと控えてという願いが複雑に交錯したあの場所。そこに結論が出せないグレーゾーンがあったように思う。
結論をぼやかす事で何かしらの効果は得られたとは思うが、更に感染爆発が起きたとしたら、このグレーゾーンは維持出来なくなるのかもしれない。




