ヴィオラ
青年の膝に乗せられて、まだ幼い女の子が座り込んでいた。
青年とよく似た容姿の少女は、無表情で青年から手当てを受けている。
腕のすり傷を、手につけられた跡を、頬の切り傷を。
ぼろぼろの少女に対して、青年は申し訳なさそうに項垂れながら。
「痛いだろ?」
「……」
「ごめんね」
少女は何も言わない。
不思議そうに彼の顔を見て居るだけだ。
「あいつら、気にくわないからって……」
「……」
「なにかあったら、すぐに私に言うんだよ」
無言のまま、少女は頷く。しかし、少女はきっと何も言わないだろう。
そのうち哀しそうな彼の頭を撫で始める。
おそらく、彼があまりにも哀しそうだから少女なりに元気になって欲しいと思ってのことだった。
それに対して、青年は驚いた様子で目を見開く。
「いいよ。あなたなら、殺しても」
殺してなんてその年齢に似あわない言葉だった。
「わたしがいておにいちゃんがこまるなら、殺していいよ?」
その悲しみは、おそらく自分の所為だと少女は思ったのだろう。
自分がいることで青年が困っている事はずいぶん昔から少女は知っていた。だから、そのようなことをいう。
それに、少女は青年が何度も自分を殺そうと……実際は殺すのではなく封印しようとしていた事を知っている。
だから、青年がなぜ哀しそうにしているのかを誤解して、そのようなことを言う。
少女はあまり人の感情と言う物が理解できなかった。
常に揺れ動く他人の感情が理解できなかった。
だから、そのようなことを言う。
少女は知っていた。今も、青年は少女を封印するための術式を周囲に展開していたことを。
きっと負傷している少女はすぐに封印されてしまうだろう。
それなのに、青年は何もしなかった。
黙々と手当てを続けていた。
「……ごめんね」
「どうして殺さないの?」
「殺せないから」
「そういう契約?」
「ちがう。君を、殺したくないから」
「……よく、わからない」
手当てが終わる前に、少女は青年の膝から飛び降りる。
伸ばされた手をすりぬけて、少女は走り始めた。
遠くに。青年から離れようと。
「ヴィオルールいがいに殺されるのは、いやだからね」
そういって、振り返ってぎこちない微笑みを見せた。
誰かが言っていたのを思い出したのだ。
人は、好きな人には笑いかけるらしい。
そんな事を思い出して、少女なりに笑いかけてみていた。
ヴィオルールは驚きながら、笑った。
「ヴィオラはやっぱり可愛いな」
「?」
その言葉はあまりにも小さく、少女には聞こえなかった。
首をかしげる彼女に、ヴィオルールは笑いかける。
少女をいずれ封印しなければならない。まだ、まだと時間を遅らせてきた。でも、別れの時間は迫っている。
「大丈夫だよ。ぜったいに、君だけは……君だけは守から……」
彼女を本当の意味で殺そうとする者達がいる。
少女を守る為には、少女を封印するのが一番だと分かってはいる。
だが
「――っ!?」
ヴィオルールが気付いた時、少女の後ろに死神がいた。
いや、本当は違う。
死神の鎌の様なデスサイズを持った男だ。
逃げろと叫んでも遅い。今から駆けだしても遅い。
なにもかも、遅かった。
死の鎌が、振り下ろされる。
真っ赤な血が、手を伸ばしたヴィオルールの前で飛び散って消えた。
世界はあまりにも無常に出来ている。
一瞬の幻。胡蝶の夢。
それを留めることは無謀。
しかし、それでも、それでもただの一瞬を、永遠へと望む。
それは理を侵すコト。
決して明けぬ夜が無いように、炎はやがて燃え尽きるモノだから。
――なぜ?
それはなぜ。
失う事は哀しすぎる。
喪う事は苦しすぎる。
出来ることならこの手に永久に。
亡くすことのない様に、大事に大事に守り続けたい。
それが、自分には……ヴィオラには出来るのだから。
これは、物語が始まる前の、物語。




