二重世界の修正2
最近は、毎回こんな感じだ。
そう、ミントは考える。
目の前には黒々と世界を割るゲート。
彼女の服装は普段着で、戦う用意などはしていない。
突然のゲートの出現。本来、アルカディア対策本部のほうでゲートの出現予測が事前に調べられているはずなのだが、それがない。
それゆえに、突然のゲートの出現とエネミーの出現にその場にいた空操師や柄創師が対応しなければならない。
ミントがそこにいたのはたまたまだった。
何時まで経っても帰ってこない白野梓月を心配して町に来ていたのだ。
実は、もしかしたらと矢野冬真とクロム・グリセルダに連絡をしていたのだが連絡が来る前にこのような状態になってしまった。
慌てて『場』を展開したものの、展開されかけた誰かの『場』を消してしまった。
「……どうしましょう。いえ、それよりも」
今は、それよりも大切なことがある。
そう、だからミントは厳しい顔つきでゲートを睨む。
まだ、エネミーは現れて居ない。しかし、それも時間の問題だ。ゲートからエネミーは現れる。
『場』を展開しながらも、どうしても他のことを考えてしまうミントは、何度もかぶりをふる。
今は、そんな状況では無い。そう、いいながら。
「ミントっ、状況は?」
誰かが走ってくる。
それを横目で確認すると、ミントはほっとした様子で微笑んだ。
「斑目さん、よかった」
斑目一騎。彼は現在ミントの知る中で最も強い柄創師だ。彼が来ただけでも、周囲に与える被害は減ると言われている。
周囲にはまだ避難が遅れている住人がいる。
「あっ、ミントさんじゃんっ」
その後ろから、もう一人の問題児のほうの斑目がやってきた。
斑目美津於。一騎のハトコらしいが、いろいろと問題児であるために有名である。
ミントは友人の関係で彼と既知の間柄だった。
さらに、その後ろからミントの良く知った人物が現れる。
「……暮羽地さん」
「やあ、ミントちゃん。まだエネミーのほうは出現していないみたいだね」
ぱっと明るくなり、頬を染めながらミントは彼に声をかける。
「お、お久しぶりです」
「そうだね。そういえば、最近一緒に出撃する機会もなかったし」
「そ、そうですねっ。……その……」
言葉に詰まらせながら、ミントは答える。
最後に一緒の戦場に立ったのは、学生の実習でのことだ。
「そういえば十二月だっけ、食事の」
「あああっ、あのっ、はいっ」
以前風間陽香の策略による食事会。それを今の今まで忘れていたミントは慌てて頷く。
そういえば、十二月ごろに行おうと言っていたのだ。すでに時期は十一月後半。十二月まで日が無い。
「え? なになに? ちょっと、お嬢さんお兄さんがた、一体なんの話を?」
「斑目君には関係ありませんっ!!」
「一刀両断ですかっ? ひどっ!」
ここで斑目美津於まで話に加わったら面倒な事になるとばかりにミントは否定し、美津於は愕然とする。そんな様子を斑目一騎は生温かい目で見て居た。
「あー、はいはい。そろそろ来るぞー」
「ヤー、了解ですカズ先輩」
とはいっても、ゲートが出現するとすぐにエネミーが現れる訳ではない。
時には、ゲートが出現したにもかかわらず、エネミーが現れずに消えてしまう事もあるのだ。
今回はなかなかエネミーが現れ長い故に、彼等は談笑をしていた。
が、さすがにそれが長く続くはずもない。
「……来ましたよ」
そう言ったのは暮羽地結城。
彼が指示した先――黒い狭間のゲートの奥から、それは現れた。
それは、風を切る羽ばたきの音。そして、それにまじった石のこすれるような、硝子が弾けるような、普段聞く事のないような音。
彼等の目の前に現れたのは、黒い水晶だった。
それが、宙を舞う。
否、それは鳥だった。
羽ばたくたびに、黒い水晶は欠けていく。
それが地上に落ちていく。ばらばらと、際限なく。
まるで、壊れて行くようだった。何もしなくとも、死に行くようなエネミーだった。
「あれ、初めて見るっすけど、名前わかります?」
「……見た事がありません。おそらく、魔獣種かなにかだとは思うのですが」
結城が判断したのはその見た目。鳥類のようだが、いったい何なのか。
それが、分からない。
他のエネミーの名前が分かっているのは、それが以前も出現した事があるからだ。しかし、このエネミーは?
「久留橋さん、このエネミーは……」
唯一後ろに下がり、戦場を見守るミントはがケータイ越しに情報を求める。
久留橋夏美がいるのはアルカディア本部。そこには全国からのエネミーの情報が集められている。
ならば、ミント達が見たことのない、対決したことのないエネミーのことも分かる。
もしも、それでも分からないとなれば、それは――。
『……わ、わかり、ませんっ。適合データ無し。アンノウンですっ?!』
ケータイ越しでも分かる、焦燥。
後ろから様々な人々の声も聴こえて来る。
「アンノウン《正体不明》?」
『現在、データベースを調べて居ますが……少々お待ち下さい』
「……分かりました」
ゲートが出現し、エネミーが現れてすでにかなりの年数が過ぎた。それでも、まだ現れて居ないエネミーがいる、ということなのだろう。
その間にも、黒水晶の鳥は旋回を始める。
人々とは比べ物にならないほどの巨体。あまりにも大きすぎる。
少しずつ壊れていっているとは言え、それはほんの少しのことだ。その大きさ――翼を広げた姿は高層ビルよりも大きかった。
「周囲の住民の避難状況は?」
『半数の住民が避難しました。今回、ゲートの出現前兆を確認できなかったせいです……申し訳ありません』
「そんなっ、久留橋さんが悪い訳ではありません」
そう言いながら、ミントは最近の状況を鑑みる。
おかしすぎるのだ。
ゲート出現の予測がまったく出来なくなっている。
いや、出来て居る時はしっかりとできているのだ。
それなのに、なぜかミントが関わる事件に限って、そのようなことが多い気がする――本当に?
ふと、ミントは眼を見開く。
ミントが関わっている事に限って? 本当に?
「ミントちゃんっ」
結城の声が聞こえて来る。その声に気づき、ミントが顔をあげる。
風が、頬を叩いた。
目の前では、あの黒水晶の鳥がゆっくりと地上に降り立つところだった。
一瞬、その鳥が顔をあげてミントを視る。
赤い瞳だった。
突如、口を開く。
ばらばらと水晶が落ちて行く。
そして咆哮した。
それは、叫びと言うよりも、歌。酷く美しい声だった。
どこまでも澄んだ嘆きの声でもあった。
空間が震える。『場』が、揺らぐほどの衝撃。
これがスキルだったのか分からない。が、それでも胸にくるものがある。
「どうして」
どうして、そんなに悲しそうなのか。分からない。
「貴方達は、どうして戦うの」
その言葉に、彼等が答えることは無い。
地上に降りたった黒水晶の狂鳥は、突如その身体のバランスを崩して地面に倒れた。
あまりの出来ごとに、斑目達の動きが止まる。
もしや、このエネミーはすでに死に体なのではないのだろうか。そんな思考がよぎる。
もともと、飛んでいた時から身体が崩れるなど、どうも弱々しい様子があった。だが、これほど弱っているのはなぜなのだろうか。
と、いっても、その巨体はいともたやすく小さな住宅を押しつぶして崩壊させる。
これほど大きいエネミーを、どうすれば倒せるのか……応援がすぐに来ると久留橋からの連絡が来るが、それでもどれ程の人間が対峙すれば互角に戦えるのか分からない。
ゆっくりと、斑目達は鳥に近づく。
倒れてからなにも動きが無い。まさか、死んだわけではないだろうと警戒しながら。
翼がぴくりと動く。
石のこすれる、というにはあまりにも綺麗な音が聞こえた。身動きを始めたエネミーに警戒を示す。
エネミーはむくりと顔をもたげ、近寄る敵――斑目達を睨みつけた。
紅色の瞳に、ゆっくりと敵意の光が灯る。
喉を振るわせ、唸り声を放つ。
「ごめんな……俺たちが生きるために、死んでくれ」
斑目美津於の、そんな呟きが風に消え――戦闘が始まった。
始めは咆哮。
空気が、空間が震える。
びりびりと肌に直接震えがくる。
おそらく、なにかしらの効果があったのだろうが、守護陣によってそのほとんどは無効化されていた。
弱点は解らない。名前も、どんな攻撃をするのかも分からない。
ゲートが出現した最初の頃、あの頃を思い出し、斑目一騎はどこか楽しそうに苦笑する。
「さてと、行くか」
長年の相棒、アクト・リンクの長剣を片手に、エネミーに飛び出して行った。
「……うわ、最悪」
冬真は人の居なくなった道を走っていた。
何度か人と擦れ違うが、大抵の人は冬真とは反対側に向かって走って行く。逃げて行く。
ゲートの出現による、避難だ。
先ほど、ミントの『場』が辺り全体を囲い、人々を守っているのが分かる。
最近は本部からの予想が当てにならない。ふざけたことだと冬真は舌打ちをする。
その中で、ケータイが震えた。バイブ音と共に、緑の光が点滅する。
開くとクラスメイトの名前があった。
『トーマ?』
着信を受けると同時に友人の声が遠くから聞こえて来る。
機械を通して聴く声は、どこかいつもと違う。
「あいつ、見つかったんか?」
『なんかリクと一緒みたいだぜ? んで、避難中』
「え、今どこにいる?」
死者は蘇らない。それは、当たり前のこと。世界の理である。
例えばの話、もしも死者が生きて居たら。
「……え?」
電話を終え、目的地を目指して走っていたの冬真は、その足を止めた。
あたりはエネミーによる被害か、様々な場所が壊れている。
目の前から、誰かが歩いて来る。
自分よりもずっと小さな背中。
「ゆき、な?」
知っている。彼女は、目の前の彼女は――妹だ。
「おにいちゃん」
懐かしい声に、思わず畏れを抱く。
だって、彼女は死んでいるのだ。
「どうしたの?」
昔と変わらない、それどころかそっくりそのまま問いかけて来る。
一歩、一歩、近づいて来る少女の姿に、冬真は息を飲んだ。
「お前は……」
目の前に立った妹は、記憶に在る通りだった。
昔と違い、自分の背が伸びたせいかさらに小さく感じる。
「偽物だろ」
それが、銀色の槍で切り裂かれた。
「ククッ……うわーひどいわー。ワタシの折角の幻覚をー」
少女は消えながら、笑い始める。
黒い水晶がばらばらと堕ちて行く。
「雪菜の姿で、雪菜の声で、勝手に動き回るなっ!!」
最後のトドメとばかりに繰り出された一撃は、性格に雪菜の姿をした何かの腹に吸い込まれる。
消えて行くそれを見ながら、冬真は咳き込む。
何かを食べた後じゃなくて良かった、なんて考えながら口元を拭った。
口の中に嫌な味が広がっている。口の中を洗い流したいが今はそんな事をしていられる時でも場所もない。
妹を――偽物とはいえ殺した。それに、嫌悪を抱きながら、冬真は走りだす。
唯一の救いは、その感触が硝子の様な硬いものをわったようなものだったことだろう。もしも本当に人間やエネミーを斬った時の様な感触だったなら……きっと、これいじょう進むことは出来なかった。
「ったく、なんなんだよ」
さっきのは一体何だったのか。エネミーの精神攻撃? そう言う能力を持っている奴もいるとかは知っているが、それは知識の中でのみ。
現実にあっても何がなんだかわからない。
そろそろ目的地に着くかと冬真は足を速める。
「リク、無事かっ?」
「え、冬真?」
公園の端で気絶しているらしい白野梓月を介抱している陸が、顔をあげて冬真の来訪に驚きの声をあげた。
「おい、白野は……?」
「あ、ちょっといろいろあって、気絶してもらった。冬真のほうは大丈夫? 変な幻覚見なかった?」
「見た……おそらく」
幻覚……先ほどの雪菜の姿をしたあれを幻覚と呼んでもいいのか判断しかねるが、変な物は見たと頷く。
それを聞いて、陸は困った様子で頭をかいた。
「どうも、今出現しているエネミーの能力みたいなんだ。周りの人に幻覚を見せるらしくて……そうそう、ミントさんと連絡とれないかな?」
「あ、出来るぞ」
なんだかよく解らないが、今の現状を自分よりも把握しているらしい陸に冬真はミントの番号を出してケータイを渡した。
まだガラケーなの?なんて言いながらも陸は慣れた様子でその番号にかけた。
「おい、陸。どうしてそんな事知ってんだよ」
「……いろいろあってね」
「いろいろで分かるかっ! ……後で、覚えとけよ」
「はいはい」
そう言いながらミントが電話に出るのを待っている。
「そういや、逃げなくていいのか?」
「白野さんを抱えて逃げられなくって」
「……お前、意外と力ないよな」
「うん? 冬真、なんか言った?」
「いや、なにも」
言葉の裏に何とも言えない圧力を感じて、冬真はさっと目をそらす。
そういえば、白野はそろそろおきるかなーなんて白々しく言いながら。
「あ、ミントさん?」
どうやら電話がつながったらしく、にこやかな笑顔を冬真に向けて居た陸もまた、明後日の方向を向いて電話に集中した。
「すみません。あの、今回出現したエネミーの能力が分かりました」
なぜ、そのようなことを陸が知っているのか。そうミントは問いかけているのだろう。困った顔をした陸は後で話すと言って話を進める。
「幻覚を得意とするエネミーの様です。高い攻撃力と防御力を持ち、弱点は……水。水属性の攻撃、の様です」
冬真は思わず陸を見た。
エネミーの能力だけならともかく、なぜ弱点まで彼は知っているのか。
その知識はどこから手に入れたのか。不明な事が多すぎる。
最近は様子もおかしかったし、何かあったのかと邪推する。邪推と言っても、かなり真相に正しかったが。
やがて、電話を終えた陸はありがとうと言ってケータイを投げて返す。
あぶなっかしげに受け取った冬真は、陸に対して不審げな視線を投げかけていた。
「……お前」
「冬真、白野さんを背負えるよね? 逃げよう」
「ああ……」
どうして自分に隠し事をするのか。言いたい事は沢山ある。
しかし、今は――。
そう思って梓月の方に手を掛けた時、自身の様な衝撃が辺りに届いた。
まるで、ビルが倒壊したような揺れだった。
思わずあたりを見回す。と、先ほどまで見えなかったものが遠くに見えた。
「な、なんだよ、あれ」
「……今回のエネミー……ミリアルズだよ」
光を反射しながら幻想的な黒を纏う、巨大な水晶で出来た鳥。それが、羽ばたいていた。
ここまでその羽ばたいた衝撃の風が来るような錯覚がある。いや、なんとなく届いている。
あそこまで大きなエネミーを、はたして倒せるのだろうか?
異様な雰囲気が辺りを包む。まるで、かの鳥に圧倒されているような気がする。
「な、なんなんだよ」
幻獣の時も圧倒された、けど、それ以上だ。
その存在が、居るだけで、見るだけで、こちらを圧倒する。
思わず、腰が抜けたように座り込む。
「勝てるのか?」
斑目や芳野達が、あんな化物を倒せるのか。
そう、思わず呟いてしまう。
「勝てる勝てないじゃない。私達は、負けない。負けちゃいけない。……ねぇ、左近堂。あれは、幻覚だったの?」
「……白野?」
何時の間に気がついたのか、白野梓月が顔をあげていた。
その目にはいつもはない光が宿っている。
まるで仇を見るかのように、黒い鳥を睨みつけていた。
剣呑な雰囲気に、思わず一歩下がってしまう。
「そうだよ。あれは幻覚だ」
「……」
彼女が何を見たのか、冬真には分からない。
その沈黙の意味も、何を考えているのかも。
「おい、白野?」
「矢野冬真、お願い、力を貸して」
その、どこまでも真っ直ぐな瞳に、思わず彼は頷いた。




