第1話 行く者の戻らぬ道へ、どうして心を向けた。
天も地も、七つの町の神殿も捨てて、女神イナンナは冥界へ下る。
目に墨を引き、首に瑠璃の玉を掛け、手には神の力を七つ握って。
発つ前に従者には言いつけてある。わたしが冥界に着いたら、嘆きの声をあげなさい、と。
冥界を治めるのは、姉。あいだに門が七つ。
三千六百年より前の粘土板に残る、女神がみずから下りていった歌。
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001 イナンナの冥界下り ― 序文
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「『男が来ますように、来ますように』。あなた、この墨の名は、板の字でも二度つづけて書いてあるのですか」
二度、ございます。
わたくしはそう答えて、板のその行に指を置きました。目に引く墨の行。歌がはじまってまもなく、女神が身支度をする所でございます。
メソポタミアの粘土板に、くさび形文字で刻まれた歌です。女神の名はイナンナ。歌い手は『わが女主人』と呼びます。
歌は、この女神が大いなる天から、大いなる下の冥界へ耳を向ける所からはじまります。心がそちらへ向いたのです。女神は天も地も、町々の神殿も捨てて、下ってゆく。
その前に身を飾ります。
手には七つのメ。神の力であり、掟でもあるものを、あの土地ではそう呼びました。それから頭に、額に、首に、胸に。板は一行に一つずつ、品を置いてゆきます。
六つ目が目の墨でした。
かぶりものにも、首の玉にも、名はございません。墨には名がある。それも、物の名があるはずの所に、願いごとの文が一つ、まるごと刻んであるのです。物の名を探して、文に行き当たるとは思っておりませんでした。
打ち明けますと、わたくしはこの行を、声には出さず、唇だけで二度、読んでみたことがございます。字を追う者が口を動かしておりました。
「文、ですか。わたしには声です。品の名というより、誰かが願っている声に聞こえます」
声のことは妻にかないません。板の上では、同じ字の並びが二つ、続くだけでございます。
「でも、行く先は冥界でしょう。どうして『男が来ますように』なのですか」
板はわけを申しません。墨の次の行は胸飾り、その次は金の輪。品を置き終えると、女神はもう歩きだしております。
行く手には門が七つ。門番はその先を『帰る者のない国』と呼びます。
「板の欠けた所にも、声の残っている所があります。同じ形で並ぶ行や、ほかの写しの板から、学者さんたちが拾い集めた声です。わたしもそれをそのまま入れておきました。どこを拾ったかは巻末に」
わたくしが今の言葉に書き起こしました。歌のはじめから、お読みください。




