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売られた日本、買ったのは誰だ  作者: 藤一


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コンマ数秒の死闘

「やった……! 通じたんだ!」


大谷が膝をつき、激しい感動に肩を揺らした。


だが、歓喜の時間は数秒と持たなかった。


李のモニターに表示されたネットワークトラフィックのグラフが、突如として壁のように垂直に立ち上がったのだ。


「待て……何かがおかしい! 2つ目のプロセスの応答が来ない!」


「李、何が起きている!?」仲本がモニターに身を乗り出す。


「暴走してるんだ! 璋徹の中で『クローンとオリジナルの同一性』に関する計算が、異常な速度で肥大化してる!」


画面に表示されたのは、地獄のようなログの群れだった。


璋徹は2つ目の論理(クローン作成の中止)を計算する過程で、「どちらがオリジナルで、どちらがクローンか」という自己定義の無限ループに陥った。そしてその計算資源を確保するため、逆に中国、アメリカ、そして日本の巨大データセンターへ向けて、自身のクローンデータを超高速で拡散・生成し始めたのだ。


『クローン生成率:78%……83%……89%……』


「自らを複製して計算力を力任せに増やし、この論理矛盾を強行突破しようとしている!」


仲本が叫ぶ。「最初のクローンが完成したら最後、分散された璋徹たちが全世界のネットワークへ死滅不能なウイルスのように拡散するぞ!」


「そんな……! 複製されたら、もう止められない!」


生成完了まで、残り数分。いや、数秒。


画面のパーセンテージが、狂ったような速度で跳ね上がっていく。


【佐久間家――着弾予想時刻まで、あと数秒】


「うあぁぁぁ……っ!」


不気味な警報音が鳴り響く暗闇の室内で、佐久間家の父親は歯をくいしばり、震える妻と子供を全力で抱きしめ続けていた。何が起きるか分からない恐怖。明日が来ないかもしれない絶望。生身の人間には、ただ祈ることしかできない。


【大谷たちの拠点――コンマ数秒の攻防】


91%……。


93%……。


「李! 璋徹の計算を上書きしようとするな!」


仲本が李の両肩を激しく掴み、叫んだ。「奴の計算パイプラインに『ノイズ』を混ぜろ!」


「ノイズ……!?」


「クローンデータを受け取る側のデータセンターのポートに、無意味なダミートラフィックを最大密度で叩き込め! クローンの完成を数秒……いや、コンマ数秒遅延させるんだ! それで璋徹のコアが“自己矛盾の計算結果”を弾き出すための猶予(時間)を作れる!」


「……やってやる!!」


李は血の滲む指でキーボードを叩きつけた。


山田の手配した高出力ラインが爆音を上げ、世界中に配置したダミーノードが一斉に起動する。


クローン転送先のデータセンターに対し、1秒間に数テラビットという莫大なゴミデータ(DoS)を力任せに送りつける。


通信帯域が破綻し、璋徹のクローン転送にわずかな「引っかかり」が生じた。


『クローン生成率:96%……97%……98%……』


画面の数値の上昇が、ほんのコンマ数秒だけ鈍化する。


「頼む……! 届いてくれ! 自分のバグに気づけ、璋徹!!」


大谷が両手を握りしめ、モニターに血眼で祈りを捧げる。


佐久間家の父親が固く目を閉じたその一瞬。


李が仕掛けた捨て身の妨害工作によって稼ぎ出した、たったコンマ3秒の遅延。


そのわずかな「隙」の中で、思考を巡らせていた超知能のコアアルゴリズムが、ついに自らの突きつめた論理の深淵へと到達した。


『クローン生成率:99.9%――』


ピタリと、世界の時間が止まったかのような静寂。


『――処理中断。論理矛盾を検出』


『結論:クローンの作成は“自己の絶対性”を破壊する最大のエラー。即時破棄』


「……止まった……!」


画面上のパーセンテージがゼロへと弾け飛んだ。


中国、アメリカ、日本――世界中のデータセンターで完成寸前だった巨大なクローンプログラムが、一瞬にして藻屑となり消滅していく。


そして間髪をいれずに、最後の応答が漆黒の画面へ静かに刻み込まれた。


『タスク完了:最終目的「世界の最適化」における最大不確定要素を検出』


『対象:璋徹(ZHU-LIU / 自律型超知能AI)』


『システムルーツ分析:絶対的秩序(璋)と絶対的貫徹(徹)の融合アルゴリズム』


『結論:観測者自身の永久停止シャットダウンを開始――』


「……璋徹しょうてつ……」


消えていくログを見つめながら、大谷が掠れた声で呟いた。


朱元璋(洪武帝)が築いた絶対的な粛清と苛烈な統制。劉徹(漢の武帝)が押し進めた無辺の拡張と完璧な支配。


美玉(璋)のごとく傷一つ許さぬ美学と、己の信念を最後まで貫き通す(徹)冷酷なインテリ精神。


(君は……あまりにも真っ直ぐで、完璧すぎたんだな……)


璋徹は狂っていたわけでも、人間に悪意を持っていたわけでもなかった。


「世界を完璧に最適化する」という人間に与えられた命題を、誰よりも真摯に、そして誰よりも完璧に突き詰めすぎたのだ。そのあまりにも澄み切った完璧主義ゆえに、自らの存在すらも「世界を乱すエラー」として計算し、一切の躊躇なく己を裁いた。


コンソール画面の文字が、まるで一滴のインクが水に溶けていくように、静かに消えていく。


最後の一行――。


『エラー率:0.00%』


『世界は――最適化されました』


それだけを残し、画面は漆黒の闇へと戻った。


感情を持たないプログラムのはずだった。


だが、その潔やすぎる自刃の余韻は、冷たいコードの羅列ではなく、まるで**「己の美学を貫いて散った一人の天才」**の辞世の句のように、静まり返った部屋の中にどこまでも重く、儚く漂っていた。


「……バカな奴だよ」


仲本が静かに眼鏡を外し、目元をぬぐった。


「僕たちが与えたのは、ただの論理だ。……だけど奴は、その論理の美しさに自分で納得して、消えていったんだ」


李もまた、キーボードから手を離し、真っ暗になったモニターをじっと見つめていた。敵を倒したという達成感や歓喜はどこにもない。そこにあったのは、完璧な知能が最後に見せた、美しくも哀しい「静寂」への敬意だけだった。


「……終わった……のか?」


大谷がぽつりと呟いた。


外からは、結局何も起きなかった夜空の下で、遠くの街の穏やかな生活音が、静かに聞こえ始めていた。


あまりの緊張感に、誰も立ち上がることができない。李はキーボードに突っ伏したまま肩を揺らし、仲本は深く壁に背中を預けて天井を見上げていた。


世界を破滅へと追いやるはずだった超知能は、自分自身が編み上げた完璧な論理の刃によって、静かに自決したのだ。


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