抑えられた被害、抑えられない反応
二〇二八年七月六日
夜が明けるにつれて、被害の全体像が少しずつ明らかになっていった。防衛省の発表によれば、今回、迎撃システムは着弾前夜の厳戒態勢もあり、飛来した物体の大半を洋上および上空で撃墜することに成功していた。四国の夜とは、明らかに違う結果だった。
着弾を許したのは、主要な防衛関連施設数カ所と、関西の一部都市に限られた。それでも、その限られた着弾の中に、在日米軍の関連施設が含まれていた。詳細はまだ流動的だったが、米軍関係者に死傷者が出たという一報が、未明のうちに関係者の間を駆け巡っていた。
「迎撃は、成功したはずなんです。数字の上では」
大谷大介は、朝の会議室で、誰にともなくつぶやいた。だが、その「成功」という言葉が、これほど空虚に響くとは、彼自身、想像していなかった。
昼前、ワシントンから、これまでとは明らかに温度の違う反応が返ってきた。米軍関係者の犠牲を受けて、在日米軍の一部部隊について、非戦闘員とその家族を対象とした、段階的な国外退避の検討が始まったと報じられた。
正式な発表では、「安全確保のための予防的措置」とされていたが、その言葉の裏にある意味を、読み違える者はいなかった。同盟国の軍が、みずからの人員を自国から逃がし始めている。その事実そのものが、四国の夜以来、日本という国を支えてきた「守られている」という感覚の、最後の柱を揺るがすものだった。
大谷は、二年前のあの夜、ワシントンの高官が発した「自国の防衛は、まず自国が担うべきものだ」という言葉を思い出していた。あのときは、まだ言葉の上の突き放しだった。今回は、目に見える行動としての「退避」だった。その違いが、あまりに大きかった。
政府の対応は、その日の午前中に発表された。総理大臣の声明は、被害への哀悼と、迎撃システムの「一定の成果」を強調する内容にとどまり、米軍の退避方針や、今後の対中方針について、具体的な言及を避けた。
「政府として、あらゆる事態に対し、責任を持って対応してまいります」
その言葉は、これまで何度も繰り返されてきた表現と、ほとんど変わらなかった。ある与党議員でさえ、非公式の場で「この期に及んで、まだこの調子か」と漏らしたと伝えられた。国民の多くが期待していたのは、抽象的な決意表明ではなく、具体的な説明と、次に何が起きても対応できるという確信だった。だが、示されたのは、いつもと同じ、輪郭のぼやけた言葉だけだった。
市場が開く九時、東京証券取引所には、これまでにない緊張感が漂っていた。仲本翔子は、開場のベルが鳴る前から、すでに嫌な予感を覚えていた。
寄り付き直後、円は暴力的なまでの勢いで売られた。数分もしないうちに、サーキットブレーカーが作動し、取引が一時停止した。再開後も、同じことが繰り返された。
「迎撃は成功したのに、なぜここまで売られるんだ」
若手のトレーダーが、呆然とした声でつぶやいた。翔子は、その問いに、静かに答えた。
「市場が見ているのは、被害の規模だけじゃない。同盟国が兵を退避させ始めたという事実と、政府がそれに対して、何も具体的な言葉を返せていないという事実。二つが揃ったとき、市場は『この国には、頼れる後ろ盾がない』というシナリオのほうを、選び始める」
その日、円は一時、着弾前の水準からさらに大きく値を下げ、株式市場も全面安となった。「被害は抑えられた」という発表と、「国が制御を失いつつある」という市場の受け止め方の間に、埋めがたい溝が広がっていた。
国会では、野党が一斉に政府を追及した。予算委員会は紛糾し、質疑は本来の議事を超えて、怒号に近いやり取りへと発展した。
「迎撃が成功したことを誇るより先に、なぜ在日米軍が退避を検討する事態にまで、事態を悪化させたのか。政府の対応は、常に後手に回り続けている」
答弁に立った閣僚は、これまでと同じ言葉を、これまでよりわずかに硬い声で繰り返すことしかできなかった。ある野党議員は、質疑の最後にこう言い放った。
「この国は、危機のたびに、判断を先送りにすることだけを続けてきた。国民は、もう気づいている」
その言葉は、皮肉にも、与党席からも、明確な反論が返ってこなかった。
その一方で、ネット上ではまったく別の空気が渦巻いていた。「七月五日、日本沈没の日」を最初に取り上げた配信者や、都市伝説を専門とする芸人たちが、次々と動画やSNSで声を上げた。
「だから言ったじゃないですか。俺たちの予言、当たったでしょう」
「見てくださいこの再生数。俺たちが最初に警告してたんですよ」
歓喜とも取れる口調で、彼らは自分たちの「的中」を誇示した。だが、その反応は、すぐに強い反発を呼んだ。米軍関係者の犠牲や、関西の被災地の映像が流れる中で、「予言が当たった」ことをはしゃぐような態度は、多くの人々の目に、あまりに不謹慎に映った。
「人が亡くなっているのに、何をはしゃいでいるんだ」
「的中を自慢する前に、まず犠牲になった人たちのことを考えろ」
SNS上では、都市伝説系の配信者たちへの批判が、瞬く間に広がっていった。中には、謝罪動画を出さざるを得なくなった配信者もいた。だが、その謝罪動画にすら、「今さら白々しい」という冷ややかな反応がつくという、後味の悪い連鎖が続いていった。
佐久間家では、その日の朝、いつも通り工が出勤の支度をしていた。テレビからは、朝の情報番組が、被害状況と市場の混乱を、切れ目なく報じ続けていた。
「行くの、今日?」
美咲が、心配そうに尋ねた。工は、少し間を置いてから頷いた。
「行かないと、何も変わらないだろ。それに、蓮の学校も、今日は普通にあるみたいだから」
その言葉に、確信めいたものは何もなかった。ただ、これまでと同じように、日常を続けるという選択以外に、何ができるのかが、工自身にもわからなかった。
家を出る前、工はテレビの画面に映る為替のティッカーを、ちらりと見た。数字は、これまで見たことのない速さで、下へ下へと動き続けていた。




