第44話 学長のお願い
4月6日入学式
寮の朝食を済ませた入学式に参加する春風は、妹の詩織と、同級生の朱鷺谷ララと共に会場である大講堂に向かった。
「朱鷺谷さんはフルート奏者って昨日聞いたけど、コンクールで賞がもらえる程の実力があるのに、なぜ、鎌倉学院なのかな?」
「ここには、私が学びたい音楽家がいるフランスの音楽専門学校との提携があるから」
「なら直接その専門学校に入学すればいいんじゃないの?」
「そうはいきません。入学規定で、留学生としての受け入れが、世界レベルでの受賞歴史が必須で、今の私では無理なの」
「なるほど、納得できたけど、鎌倉学院でララさんの環境は大丈夫なの?」
「えっ?」
「ほら、練習場所なんか寮の中にはないし、消灯時間とかあるしさ」
「あ〜ぁ、そのことなら心配はないわ。だって、私たち音楽科寮生の部屋は、防音室になっているの」
「ええ、そうなんだ。知らなかったよ」
「じゃあ、詩織の部屋も防音室ってこと?」
「そうよ。寮長さん、知らなかったの?」
「まあね」
そんな話をしながら、大講堂の入り口に到着した。
この入り口付近で真田雪をずっと待ち続ける東堂満が立っていたが、春風たちはそれに気づくことなく会場内に足を入れた。
入学式会場の席次は科ごとに別れていることを確認した。
また、特進科の列辺りに立っていた雪を詩織が見つけた。
その様子を見たララは「先行くね」と言いその場を離れた。
ふたりは久しぶりの再会に少しテンションが上がって、傍にいた春風はしれっと距離をとるかの如く、離れた席に座り目を閉じた。
「春風くん」
と言って隣に座った雪に、
「早いんだね」
と一言、言葉をかけた。
「そちらもね」
「まあね」
「寮長は大変?」
「まあ、それなりにね。そうだ、ご両親は元気?」
「うん。落ち着いたら遊びにいらっしゃいって、話していたわ」
「ところで雪はなんか部活やったりするの?」
「私は服飾関係の仕事に就きたくて、小学生の頃からデザインや縫製を母に習いながらやって来たから、服飾デザイン部に入ろうと思ってるよ」
「雪の母さんは、エスハニの代表だもんね。そうなるよね」
「エスハニみたいなブランドを、私も立ち上げたいけど、母のような才能はないからな」
「まあ。何でも、好きなこと、であることが大事だと思うよ」
「ありがとう。ねえ、春風はどうするの?」
「僕? そうだね、自転車競技部はないしね」
「中学の時は競輪やってたもんね」
「厳密には競輪じゃないけどね」
オムニアムだよ。
まあ、分かんないか。
「ロードレースのチーム、ERCに加入したんだ」
「そうなんだね。練習とか大会とか、寮長していて大丈夫なのかしら?」
「そうね、寮長しながらガチで自転車の練習や、大会参加は確かにハードル高そうだな」
「ご両親が聞いたら、心配されそうだね」
「あっ、雪、寮長の話は親には話さないでくれ。うちの父が聞いたら、大事になりそうだからさ」
「じゃあ、ご両親は男子寮に入寮したと?」
「ああ、そうだ。とにかく頼むよ」
「了解しました」
—— 式典が終わり、新入生たちは担任に誘導され各教室へ赴く中、春風は市川先生に声を掛けられ学長室へと向かう——
「早乙女くん、学長がお呼びだよ」
「僕、ですか?」
「ああ、そうなんだ」
なんか寮のことで問題があったのかな?
「何か聞いて見えますか?」
「いいや、僕も何かお叱りを受けることでもあったかなと考えていたところだよ」
本当、市川先生は悲観主義と言うか、一緒にいるとより不安に煽られる気がするよ。
「市川です。早乙女くんを連れて参りました」
「入りたまえ」
「では失礼します」
「市川先生、春風くん、こちらに掛けなさい」
と神妙な面持ちに、やはり、お叱りを受けるのか、と確信し、顔を見合わせたあと、ソファーに腰掛けた。
「人前では話せないため、おふたりには来ていただいた」
と学長からの言葉に、ふたりは顔をこわばらせた。
「山科学長、何かまずいことでも起こったのでしょうか? 早乙女くも関係することなのですか?」
「もちろんそうだ」
まじなんか? 心当たりは特にないが、保護者からの寮長不適切のクレームなのか? いやだな。
「市川先生、寮長の仕事は、毎日ハードなのかね?」
「いやぁ、早乙女くんはどんな感じかい?」
「寮長の仕事ですか? まだ新学期前ですから、どう答えていいか、忙しくなるんですかね?」
「ぜひ引き受けて欲しいんじゃが、仕事を一つ」
「仕事ですか?」
「そう、早乙女くんにとっては片手間にできるバイトになるはずだが」
「じゃあ、クレームとかではないんですか?」
「クレーム? 何か心当たりがあるのかね?」
「いえ、滅相もない」
「私の娘の楓のことなんだ」
「楓ちゃんですか?」
「ああ実は、楓はモデル科にいるんだが、勉強は大の苦手でね。その上プライドがあるから、自分ができないと見下されるのを恐れて誰にも聞くことができないようなんだ」
「そうでしたか」
「そこで何だが、楓も早乙女くんが親戚のお兄さんだと話してあるせいか、ラインで君のことを偉く気に入ったと書いていてね」
「それはどうもです」
「楓の勉強に付き合ってやってくれないか?」
「それは構いませんが、寮内で個別指導しても問題にはなりませんか?」
「親戚だと言うことなら、寮生たちも違和感や不平等を感じることは、よほど心配いらないのではないでしょうか?」
「市川先生もそう思うかね?」
「ええ、管理室の中でのやり取りなら、やむを得ない感が出ますよ。はい」
「じゃあ話は早いな、よろしく頼む!」
「頼むよ。早乙女くん。学長のため、一肌脱ぎましょう」
「アルバイトと言うことで、よろしいですね?」
「寮長の給与に上乗せしよう」
「ありがとうございます」