5.
迷宮都市ラズベル。
その街は、僕が想像していたよりずっと大きかった。
高い石の外壁。
大きな門。
その前に並ぶ馬車や旅人。
武器を背負った人、杖を持った人、荷物を積んだ商人。
全部が、いかにも異世界だった。
「うわ……」
思わず声が出た。
石畳の道。
通りに並ぶ屋台。
焼いた肉の匂い。
果物みたいなものを売る店。
大きな剣を背負って歩く冒険者らしき男。
耳が少し長い女の人。
しっぽのある子ども。
「本当に異世界だ……」
小さくつぶやくと、隣を歩いていた商人のダリオさんが笑った。
「ラズベルは初めてか?」
「あ、はい。初めてです」
「そうか。なら驚くだろうな。ここは迷宮都市だから、いろんな者が集まる」
「迷宮都市……」
僕は街の奥を見る。
外壁の向こう、遠くに黒い巨大な入口のようなものが見えた。
まるで、地面に口を開けた巨大な穴。
その周りには石造りの門のようなものがあり、青白い光がぼんやり揺れている。
星喰いの迷宮。
ラズベルが迷宮都市と呼ばれる理由が、そこにある。
あの巨大な入口の先に、ダンジョンが広がっているらしい。
正直、ちょっとだけ胸が高鳴った。
でも同時に、かなり怖い。
森であれだけ大変だったのに、わざわざ地下の危ない場所へ行く人たちがいる。
異世界の人たちは、思ったよりたくましい。
というか、たくましすぎる。
「カナタ、ぼーっとしていると迷子になるぞ」
「あ、すみません」
僕は慌ててダリオさんの後を追った。
ダリオさんたちの荷馬車は、街の門を抜けてすぐの広場で一度止まった。
護衛の二人はまだ少し疲れた顔をしているけど、命に別状はなさそうだった。
「まずはギルドに寄る。岩牙猪の素材と、今回の報告をしなければならない」
「ギルド……冒険者ギルドですか?」
「ああ。君も登録するなら、そこでできる」
「登録……」
冒険者ギルド。
異世界といえば、それだ。
でも、実際に自分が登録するとなると、少し緊張する。
「僕でもできますか?」
「できるだろう。むしろ、君ができなかったら誰ができるんだ」
「いや、僕、まだこの世界のこと全然分からないので」
「それは確かにそうだが……」
ダリオさんは何か言いかけて、荷馬車に積まれた岩牙猪の素材を見た。
それから僕を見る。
そして、なぜか小さくため息をついた。
「まあ、まずは登録して、常識を学ぶところからだな」
「はい。常識、大事ですよね」
「君が言うと、少し不安になる」
「なんでですか」
護衛の一人が横でぼそっと言った。
「枝で岩牙猪を止める人間の常識か……」
「だから、あれはたまたまですって」
「たまたまで岩牙猪は止まらない」
「でも木にぶつかっただけですし」
「その前に進路をそらしたのは君だろ」
「それは……たまたま横に当たっただけで」
「たまたまが多いな」
言われてみれば、たしかに多い。
でも本当にたまたまだと思っている。
神様たちがくれた最低限の補助が効いているのは分かる。
けれど、僕自身がすごいわけではない。
この世界で生きるために、少しだけ助けてもらっている。
たぶん、それだけだ。
広場の周りには、いろんな店が並んでいた。
パン屋みたいな店。
武器屋。
道具屋。
宿屋の看板もある。
宿屋。
そこを見た瞬間、僕は大事なことを思い出した。
「……あ」
「どうした?」
「僕、お金持ってません」
そう。
異世界に転生した。
森を抜けた。
街に着いた。
でも、宿代がない。
食事代もない。
たぶん服は神様たちが用意してくれたけど、財布まではない。
いや、あるのか?
僕は慌てて腰のベルトやポケットを探った。
小さな袋がある。
「あ、袋」
開けてみる。
中には、銀色や銅色の硬貨が何枚か入っていた。
「……あった」
神様たち、そこまで用意してくれていたらしい。
ありがたい。
ありがたいけど、やっぱり説明がない。
「いくらくらいなんだろう」
僕が硬貨を見て首をかしげていると、ダリオさんがのぞき込んだ。
「銅貨が十枚、銀貨が三枚か。数日は宿に泊まれるな」
「よかった……」
「ただ、長く暮らすには足りない。仕事は必要だ」
「ですよね」
普通に暮らすためには、まず収入。
異世界でも現実は厳しい。
僕は硬貨を袋に戻した。
「やっぱりギルドで仕事を探すのがいいですか?」
「ああ。ラズベルでは冒険者ギルドが一番早い。素材の買い取りもしてくれるし、依頼も多い」
「でも、僕、冒険者っていうほど強くないと思いますけど」
そう言うと、ダリオさんと護衛二人が同時に僕を見た。
なんだろう。
なんでそんな顔をするんだろう。
「……カナタ」
「はい」
「君はもう少し、自分のしたことを思い出した方がいい」
「だから、あれは運がよかっただけで」
「分かった。今はそういうことにしておこう」
「なんか納得してないですよね?」
「していない」
正直だ。
でも、ダリオさんはそれ以上は言わなかった。
「とにかく、ギルドへ行こう。君の素材も売れるし、登録もできる」
「はい」
僕はうなずき、ダリオさんたちと一緒に街の中央へ向かった。
ラズベルの通りは、とてもにぎやかだった。
屋台の人が大きな声で客を呼んでいる。
冒険者たちが笑いながら酒場へ入っていく。
子どもたちが木剣を持って走り回っている。
どこかで楽器の音も聞こえる。
僕はそれを見ながら、少しだけ胸が高鳴った。
知らない世界。
知らない街。
知らない人たち。
怖いけど、全部が怖いわけじゃない。
この街でなら、普通に暮らせるかもしれない。
まずはギルドに登録して、簡単な仕事をして、宿に泊まって、少しずつこの世界のことを覚える。
うん。
それなら、かなり普通っぽい。
そう思った時だった。
前方に、大きな建物が見えてきた。
三階建てくらいの石造り。
入口は広く、木の扉は開け放たれている。
看板には、剣と盾、それから星のような印が描かれていた。
「着いたぞ」
ダリオさんが言う。
「ここが、ラズベル冒険者ギルドだ」
中からは、笑い声、怒鳴り声、食器の音、靴音。
とにかくすごく騒がしい。
僕はごくりと息をのんだ。
「……思ったより、にぎやかですね」
「ラズベルのギルドだからな」
「初心者でも大丈夫ですか?」
「たぶん大丈夫だ」
「たぶんって言いました?」
最近、たぶんという言葉を信用できなくなってきた。
ダリオさんは笑いながら入口へ進む。
僕もその後に続いた。
扉の向こうへ一歩入る。
その瞬間、何人かの冒険者がこちらを見た。
視線が集まる。
僕は少しだけ肩を縮めた。
なんか、めちゃくちゃ見られている。
いや、たぶんダリオさんたちが荷馬車の報告に来たからだろう。
僕のことではない。
たぶん。
受付の方に、栗色の髪をした女の人がいた。
やわらかい雰囲気だけど、目はしっかりしている。
笑顔が大人っぽい。
その人が、僕を見て少し首をかしげた。
「……あら? 見ない顔ね」
それが、僕と受付嬢エルナさんの最初の出会いだった。




