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オリーは魔法学園の初登校日を迎えていた。
フレアから、「行ってらっしゃい!」と元気よく送り出され、学園通学馬車に乗り込み、半刻もせずに学園前に到着した。
学術の聖域であり、防衛の要であり、貴族の領分でもあるこの場所は、いわゆる内郭と呼ばれる場所で、さらに北へ進むと白亜の城である王城が建っている。
王城へ入ったのは随分と昔の幼少の頃であり、薄っすらとしか記憶には残っていない。
来た道を振り返ると、転移の塔が小さく見えた。
南北を一直線に通る大通りを挟んだ城と塔が、ユースガリアの、王都アルバスローンの象徴であった。
気合を入れて学園の門をくぐる。
オリーの学園生活が始まる。
「オリビアお嬢様」
予想外の言葉に思わず声のした方に振り返る。
同じ制服を着ているところを見るに、学園の生徒に違いはなさそうだった。
「学園内ではフレイア様がお側に居られないということでして、旦那様より学園内でのお嬢様の身辺警護などを仰せつかりました。
イリーナと申します。何なりとお申し付けください」
深々と頭を下げて一向に頭を上げる気配がない。
周りの生徒が何事かと話す声が聞こえてくる。
しばらく待ってもそのままの姿勢を保ち続けているイリーナに、流石に周囲の視線が気になり出したオリーは、小さくため息を漏らして声をかけた。
「とりあえず、頭を上げてもらえる?」
その声でようやく頭を上げたイリーナを前に、当てつけたわけでもなく、もう一つため息を漏らした。
冒険者になることを許されたのは、フレアが一緒にいることが条件であった。
はじめは従者をつけるように言われたが、従者付きの冒険者など見たことも聞いたこともないと反発したのを思い出す。
そのフレアが側にいないとなれば、警護の一つもつけられるのは、想像できなかったことではない。
そう頭では理解しつつも、今度父に会った時には、一言言ってやらなければどうにも気が済みそうにない。
「もしかして、馬車から一緒にいたの?」
その問いに、コクリと返事をするイリーナには何の悪気もない。悪気はないのだとわかってはいたものの、腑に落ちることはなかった。
「承諾はするけれど、『お嬢様』はよしてちょうだいね」
オリーの言葉に小首を傾げるイリーナだったが、引きそうにないオリーの視線に根負けしたように、「はい」と返事をして頭を下げた。
「オリビア様の仰せのままに」
つい額に手を当てて天を仰ぎ見る。
「様もいらないし、もっと気安く話して」
その言葉にも小首を傾げるイリーナを見て、出鼻を挫かれたような気がするオリーだった。
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警護とはいえ、常に一歩後ろを付いてくるイリーナが気になった。
隣を歩くように諭したが、初めは「恐れ多い」と言ってきかなかった。
何度も諭してようやく隣を歩くようになっても、気が付けばまた一歩後ろに下がっていた。
教室の席は図られていたようにすぐ後ろであったし、何かと鋭い視線を飛ばすイリーナに、他の生徒は、前向きな言葉で捉えるならば、興味津々といった視線を向けていた。
式典の最中もイリーナは変わらず、少しでも異変の兆候を察する度に席を立つものだから、学園教師に注意される場面もあった。
それでも毅然として教師に渡り合う姿は、身辺警護を任せるのにこれ以上ない逸材だと、感心せざるを得なかった。
そのイリーナが付き従うオリーと言う存在は、すぐに侯爵令嬢であることが知られ、同じ教室となった生徒達から、「是非お近付きに」と声をかけられることとなった。
なんとも先行き不安な始まりだと、イリーナを横目にため息を漏らした。
式典を何とか無事に終え、初日は早々に解散となり、オリーは予てから気になっていた学園そばの王立図書館へと赴いた。
まるで貴族邸のような外観に、一瞬入るのを躊躇ったが、学園の生徒が次々に入っていく姿を見て、間違いなく王立図書館であることを確認してから足を踏み入れた。
図書館へ入った瞬間に香ってくる古本の匂い。
目を見張るほどの蔵書の数に、思わず圧倒される。
しんとした館内に、大理石の床を弾く硬質な足音だけが響く。
想像していた以上の規模に、思わず顔がニヤけるのがわかった。
そこへ、偶然通りかかった司書が声を掛けてきた。
「もしかして、新入生の方?
この図書館は六王国の中でも、他に引けを取らない数の書物がありますよ」
そういって笑顔を残して去っていく。
学園初日に身辺警護という現実を突きつけられはしたものの、図書館の書物に囲まれて愉悦に浸るオリーだった。
・・・
その日の夜、貴族街にあるオースバン家の別邸にて、オリーの学園入学と弟カルディアの騎士見習い叙任の祝賀会が開かれた。
身内だけで行う祝賀会とあって、侯爵家の祝賀会とは思えないほどに質素なものだった。
フレアも招待され、アウリスフレランスに残るオリーの母親を除いた、たった四人だけの祝賀会は、派手さも豪奢なこともない、けれども親密さが温かい一時となった。
一月も経ってはいなかったが、久しぶりに見る弟の姿に、オリーもフレアも自然と目尻が垂れ下がるような表情を見せた。
その弟が、「姉上」や「フレイア様」と呼ぶものだから、二人揃って前の呼び方に戻しなさいと頬を膨らませた。
せっかくの機会だからと、身辺警護の件について父に問いただそうとしたオリーだったが、給仕としてしれっと姿を見せたイリーナを見付け、その件については正直もうどうでもよくなった。
温かくも愛おしい時間を過ごし、蒼い海月亭へ戻ったのは、すっかり夜も更けた頃だった。
戻ったことを伝えるべく、店の扉から店内へ入った。
相変わらずの繁盛ぶりで、いつもの酔った詩人の姿も見えた。
厨房へ向かう二人の耳に入ってきたのは、聞きたくもない偽英雄移送の話だった。
「アルメアの偽英雄達が移送されてきたらしい」
「冒険者協会が物々しい様相だったらしいな」
この日フレアは、一日中蒼い海月亭の手伝いをしていたらしく、冒険者協会の様子を知る由もなかった。
客の会話を聞いてフレアがポツリとこぼす。
「じじいとばばあとばばあがやってきたのですか」
辛辣な言葉に、フレアの心中が滲み出ているようだった。
結果だけを顧みれば、バカランディア冒険団と、オリー、フレアの冒険者達は、偽英雄達の密計を食い止めた。
それでもフレアが怒っているのは、冒険者という職を貶められたことへの義憤と捉えることができるだろう。
その偽英雄達が、アルバスローンへ移送されてきた。
取り調べるにしても、移送されてきた者の中に口を聞けるものなどいないはずだ。
あるいは、女剣士が意識を取り戻しているならば、何か聞き出せるかもしれないが……。
おそらくは、早々にアルメアに送還されるのが関の山だろう。
客の話はすでに他の話題に変わっていたが、忌々しい記憶だけは二人に蘇っていた。
せっかくの楽しかった時間が台無しになったと、胸の内で舌打ちをして、ヨウへの挨拶もほどほどに部屋へと戻った。
それは、闇夜を切り裂くような警鐘が鳴り響く直前だった。




