プロローグ
世界の名はアディリア。
神々の母たる女神の名を冠したこの世界は、かつて、灰の魔神により滅びようとしていた。救ったのは六柱の女神。
六柱の女神は、その加護を六つの王国に与えた。
それが、人の知る最古の神話。
神話の時代の終わり。
世界は広い。
西の大陸アルドネリアには四つの王国があり、東の大陸マリネウスと、南の小大陸ザラス・エリシムに、それぞれ一つずつ王国がある。
そこに、人は生きている。
ここは王国ユースガリア。
六柱の女神の一柱、光明の女神レイアが残した国。
西の大陸アルドネリアの東端に位置する沖島、女神レイアの聖痕、『レイアス・アイル』に築かれた王都、アルバスローン。
マリネウス大陸との貿易により、様々な文化が交流する多彩な街として歴史を刻んでいる。
島の北側は断崖となっており、断崖の上に島全体を見下ろすように王城が建つ。
四方を海に囲まれた自然の砦が、長年この王都を守っている。
島の南端にある白亜の塔は、『転移の塔』と呼ばれ、王族や限られた者だけが、六王国間を移動する手段として利用しているらしい。
太古の昔に、巨人族によって建てられたと言われる塔の最上階には、青白く輝く光が灯っており、夜間でも遥か遠くを照らすことから、航海の目印としても利用されている。
しかし、その技術は未だ解明されていない。
街は石畳の通路で規則正しく区画整理され、石造りの建物が立ち並ぶ通路沿いには、たくさんの花が飾られている、アディリアで最も美しい都市と言われている由縁である。
大陸から島へと伸びる大橋から、さらに島を横切る大通りと、街を縦断する大通りとが交差する島の中央には、広々としたレイアス中央広場がある。
露店が隙間無く軒を並べた広場は、住人や来訪者が絶え間なく行き来し、常に人々の声で賑わっていた。
中央広場のそばには、光明の女神レイアを祀るレイアス神殿が建ち、神殿に仕える神殿騎士団が衛兵として街を巡回することで、路地裏であろうとも、身に危険が及ぶことはないと言われている。
街は濃い霧雨で視界が霞んでいた。
私は今、処刑台の上にいる。
露店が取り払われた広場に、無機質な処刑台が設置されている。薄暗い霧雨の中で、それは妙に街に馴染んで見えた。
神殿騎士団が処刑台のそばを取り囲むように並び、さらにその周りを、大勢の王立騎士団が壁を作るように並んでいる。
その壁の向こう側には、私の首が落とされる瞬間を待ち望んでいるのだろう、怒号とも悲鳴とも、叫声とも取れる、もはや言葉とは思えない声を上げた群衆が集まっていた。
騎士の壁がなければ、執行人に代わり、斧を振り下ろしにくる者がいたかも知れない。
後ろ手に縛られた両手と、鉄球の付いた両足の拘束。
神官や神徒による禁呪の結界、張り詰めた騎士団の警戒と、群衆のただならぬ殺気。
一見した限り、逃げ出すことなど不可能にも見えた。
粒となった水滴が、灰色の髪を伝って流れ落ちるのが目の端に映った。
灰の魔人と呼ばれた私には、この状況を難なく覆す力がある。この儚くも弱々しく見える禁呪の結界では、私の魔力に抗うことなどできないだろう。
逃げることも、この場を破壊することも、あるいは、この場にいる全員を消し去ることさえも容易いことだった。
一寸思い耽る。
「約束は約束だ……」
声にならない声が溢れる。
ゴーン、ゴーン
神殿の鐘が鳴る。
今までの喧騒が水を打ったように静まり返る。それと同時に、後方から処刑台に登ってくる足音が聞こえた。
長い白髪を後ろで丁寧に束ね、純白の司祭服の上に、真紅の外套を羽織った熟年の男が、大司祭の証である大ぶりの水晶球を冠した金色の杖で、足元を二度突き立てた。
「これより、アディリア六王による、灰の魔人処刑の最終審議を執り行う。
異議のある者は名乗り出よ。弁明の機会を与える」
大司祭が群衆に向かって問いかける。
しかし、返ってきたのは、霧雨で濡れる街の音だけだった。
名乗り出る者がいないことを確認すると、大司祭は後ろに向き返り跪いた。
「アディリア六王の御下命を」
群衆の目が六王に注がれた。
急場凌ぎとはいえしっかりとした土台の上に建てられた天幕の中で、王等を統べる王、ユースガリア国王がゆっくりと立ち上がった。
金の装飾が施された真紅のローブに身を包み、白髪に黄金の冠を戴く老年の王は、長い顎髭をひと撫でした後、鷹揚に他の王に声を掛けた。
「己が想いで答えてほしい……。 諸国の王に問う、灰の魔人の処刑に同意のものは、起立を持って意を示し、同意せざるとあれば、座したまま沈黙によって答えよ」
国王が一人一人と目を合わせる。
北方の氷雪の王、東方の煙霧の王、南方の炎陽の女王、西方の岩峰の王、翠緑の深閑の王
半瞬静寂が辺りを飲み込んだ後、五人の王は互いを窺うこともなく、ほぼ同じ瞬間に立ち上がった。
五王の起立を確認したユースガリア国王は一つ頷き、群衆に向き直ると、ゆっくりとした動作で両腕を開き、老年とは思えない声量で宣言した。
「六柱の女神の子、アディリア六王の意は決した。 ユースガリア国王、ハルディン・ユースガリアと、五国の王の名において命ずる。 灰の魔人に、永遠の死を」
その宣言が響き渡ると、群衆から湧き上がった喚声が広場を覆い尽くした。
審議は決した。
騎士に背中を押される。
私の最期の瞬間が、すぐそこまで迫っていた。
数歩先、大司祭の隣に、中央が窪んだ断頭台が待ち構えている。
見上げた二本の柱の間に、鈍色の刃が吊るされている。刃を伝い、膨らみ耐えきれなくなった霧雨が、水滴となって落ちてくるのが見えた。
剣や斧で何度も苦痛を与えられるよりも、一思いに首を落とされるのは、せめてもの情けなのだろう。
歩を進めて断頭台の前に立つ。大司祭が問い掛けてくる。
「最期に、辞世の言葉があれば預かっておこう」
少しだけ考えるが、特に何も思い付かなかった。
私は首を横に振って答えた。
そのやり取りを見た騎士が、断頭台の前で両膝をつくように促した。
促されるままに両膝をつく。
紫紺の目隠しを付けられ、上半身を倒して窪みに首を乗せる。
短い祈りの声が聞こえてきた。
「女神レイア様のお導きによって、この者の罪と穢を洗い流し、慈愛に満ちた光によって、永遠の安らぎをお与えください」
刃に繋がるロープの前に移動する騎士の足音の後、腰に帯びた剣を抜く鉄の擦れた音が聞こえた。
剣を大上段に振りかぶる風切り音。
そして、渾身の力で剣を振り下ろす。
瞬間、私は後ろ手に縛られた右手の指を弾いた。
音は出ていなかったかもしれない。
ブツンッ
ロープが断ち切られる音の後、自重で加速する刃が、私の首を目掛けて落下してくる。
首筋に刃の重力に押し込まれた空気の圧を感じ、次の瞬間、無機質な冷たさが触れたような気がした。




