第十二話:小田冨真
小田冨真は中学生である。
成長期にしても小柄で、小柄な割に肉付きが良くて、食べ物に例えると大福に近い。
一見いじめられっ子そうだが、実はゆるキャラ的なポジションを確立している男の子。
もうひとつ特徴を挙げるとするならば、両親がいないこと。
母方の祖父母と暮らす、元捨て子ということだ。
『───珍しいじゃない、こんな時間に。なにかあったの?』
『うふふ。うん。
ほんとは直接、報告に行きたかったんだけどね。
念には念をってことで、電話で失礼させて頂きます』
『なによ改まって。まさか、おめでたの報告とか?』
『あっ』
『えっ?
……え、うそ、そうなの?』
『アハハハハ!
も~、やめてよお母さん。せっかくのサプライズが台無し~!』
『あらやだ、アラッ、あはははっ!
ごめんごめん、まさか本当に、本当だと思わなくて。
いつ分かったの?』
『昨日。
家で調べたのはもうちょっと前だけど、昨日病院行って、確定しました』
『あらあら。
旦那様は?なんて?』
『泣いて喜んでたよ。
ミルクの作り方とか、沐浴の注意点とかも、もう勉強始めてて。
さすがに気が早いったら、ねえ?』
『………。』
『お母さん?』
『おめでとう。
……おめでとう、ほんとに。二人の子なら、きっと可愛いわ』
『……うん。ありがとう。
いろいろ相談のってね、おばあちゃん』
『もちろんよ。
───あ、お父さん戻ってきた。今替わるわね』
冨真の両親は、円満な夫婦だった。
大恋愛の末に結婚し、妊娠が分かった際には雀躍りの喜びようだった。
本来ならば、望まれて愛されて、幸せいっぱいの家庭で、冨真は生きられるはずだった。
「───待ってよ。待って待ってお願い。まだそんなこと言わないで。まだ分かんないから。生き返るかもしれないから。お願いだから」
「手は、尽くしましたが……」
「子供は。赤ん坊の方は、無事なんですよね?」
「詳しく調べてみないことには、はっきりとは申し上げられませんが……。
今のところは異常なく、静かに眠っています」
「だから何よ。子供が無事だから何よ。
子供が無事なら、あの子が死んでもいいの?私たちには、あの子がたった一人の娘で───」
「分かってるそんなこと!俺だって───。
俺だって、あいつ、子供……。抱かせて、やりたかったよ……ッ」
"羊水塞栓症"。
念願の子宝が招いた悲劇。
阿鼻叫喚の分娩室にて、我が子を抱くことも叶わぬままに、冨真の母は急逝した。
せめて冨真だけでも無事だったのは、不幸中の幸いという他なかった。
「───顔色、良くないわ。
今朝だって、あまり食べないで……」
「大丈夫です。
慣れるには時間が要るでしょうが、お義母さんのおかげで、やり方は覚えましたから」
「こっちに越してくることは難しいの?
それか、私たちがどこか、この近くにアパートでも借りて───」
「そこまでは、甘えられません。
ただでさえ、うちの親が当てにならないばかりに、お二人に頼りきりで……」
「いいのよ。
だからこそ、頼ってくれて、いいのよ」
「……ありがとうございます。
いざとなったら、ほら。いろいろ制度とか、充実してますから。
都会の方がそういう、選択肢ありますから」
「そうかもしれないけど……。
困ったことあったら、ちゃんと相談してよ?一人で抱え込まないでよ?」
「はい。
お義父さんに、よろしくお伝えください」
遺された父と息子。
嘆き悲しみながらも、自らの使命を全うするべく父は努めた。
妻が生きていたら、きっとこう言うはずだから。
妻がここにいたら、きっとこうしたはずだから。
愛する人が、命がけで守ってくれた存在を。
これからは自分が、命に替えても守り抜こうと。
「───ちょっと遅くないかしら」
「んー。まあ、いいんじゃないか、ちょっとくらい。
色々と、思い出してるのかもしれんしな」
「そうね……。
もう一年経ったなんて、信じられないわよね」
「………。」
「……さて。
今のうちに、ごはんの支度、始めちゃいますかね」
「早いな」
「そりゃあ、全員の好物を用意しないとですから。
フーマちゃん~、じいじの相手してあげてね~」
「俺があやしてもらうんか」
「あうー」
しかし、ちょうど一年後の春。
母方の祖父母の元に、冨真は預けられた。
父と冨真と、母の生家に身を寄せていた折のことだった。
"ちょっと飲み物でも買ってきます"。
何気なさそうに出掛けていった父を、祖父母もまた何気ないつもりで送り出した。
早くて数分、遅くても数時間後には戻ってくるだろうと、祖父母は思っていた。
玄関先に置かれた、一枚の手紙を拾うまでは。
「───よりにもよって、どうして、あの子の命日に……!」
「むしろ、今日まで持った方かもしれん。
自殺とか、無理心中を選ばんかっただけでも───」
「同じようなものじゃない!
親に捨てられる苦しみを、誰より理解してるはずなのに……!
相談してねって、言ったのに……!」
「思い出せ」
「え……?」
父の失踪。
玄関先の手紙に加え、養育に必要な書類の全てを、父は置いていった。
調査の結果、父と冨真で暮らしていたマンションも、引き払われていたことが判明した。
とどのつまり、捨てていったのだ。
父親としての使命も、冨真の成長を見届ける権利も、何もかも。
「冨真の顔。体も。汗疹ひとつない。清潔で、健康そのものだったろう。本人も元気爛漫で、大きな声で笑って。
ちゃんと育ててもらった、愛されていた証拠だ。そうだろう?」
「だとしても、たった一年で手放すような人が───」
「まだそうと決まったわけじゃない。
明日にでも、一週間後、一年後でも、やっぱり一緒にいたいって、戻ってくるかもしれん」
「………。」
「だから、いつその時が来てもいいように。
俺たちと暮らすか、やっぱり父親と暮らしたいか、冨真自身で決められるように。
やってやろうじゃないか、俺たちで、親代わりってやつを」
「あなた……」
最初こそ怒り心頭の祖父母だったが、最後には容赦せざるを得なかった。
冨真の父が、真面目な男だったこと。
亡くなった妻を、自分たちの娘を、心の底から愛していたこと。
彼らに降り懸かった不幸を思えば、責め立てる気にはなれなかった。
「───おお~、走った!おい、冨真が走ったぞ!
ついこないだまで、よたよた歩きで精一杯だったのになぁ。
この調子だと、俺の背が抜かされる日も遠くないかぁ?
って、さすがに気が早いか」
「───あら冨真ちゃん、しいたけ食べたの!にんじんも綺麗に、まあまあ!
ほんと好き嫌いしない子ねぇ。作る方も興味あるみたいだし、大人になったらコックさんかな?
なーんて、さすがに気が早いわね」
突として始まった、祖父母と孫の同居生活。
体力的な支障や経済的な問題はあれど、祖父母は冨真を大切に育てた。
冨真にとって、親代わりの祖父母がかけがえのない存在であるように。
祖父母にとっても、娘の遺した冨真の存在は、務めであり癒しであり、救いであった。
「───どうしてるんだろうなぁ」
「……冨真の父親のこと?」
「頑なに、名前じゃ呼んでやらんのな」
「だって、結局戻ってこないじゃない。
どこで何してるやら、手紙の一つも寄越さないで」
「そこだよ。
あいつ、通帳ごと置いていったろう?
おかげでこっちは賄えるけど、本人は貯金もなしで、どう生活してるやら……」
「知らないわ。適当に女でも作って、適当に生きてるんじゃない」
「そんなこと、本心じゃ思っとらんくせに」
「……早くしないと、一番かわいい時期、見逃しちゃうんだから」
冨真は不幸じゃなかった。
母親がいなくても、父親が戻ってこなくても。
家に帰れば祖父母が温かく包んでくれ、学校に行けばクラスメイトが優しく接してくれる。
不思議なことに、冨真はどこでも人気者だった。
甘やかされた体型を、祖父母と暮らす境遇を、からかう者は誰もいなかった。
大人も子供も、みんなが冨真を好きだった。
悲しいかな、冨真自身が求めた両親だけが、冨真に応えてくれなかった。
「───冨真。
お前は素晴らしい子。俺たちの宝物だ。
天国にいるお前の母さんも、お前を心から愛していた。もちろん俺も、ばあちゃんもだ。
みんなが、お前を大好きだからな」
「───冨真。
私たちは、あなたとの出会いに感謝してる。あなたが生まれてくれて、良かった。
あなたの人生が幸せであるように、私たちも、あの子も、いつも願っているわ」
「冨真。
俺たちの、私たちの、冨真」
「だからどうか、
そんな悲しい顔をしないで」
恙なく迎えた新年度。
中学校でも変わらず、冨真はゆるキャラポジションを確立した。
同じ小学校出身の子も、中学校から一緒になった子も、すぐに冨真と打ち解けた。
ところが。
冨真を含めた誰とも付き合いたがらない子が、二人だけいた。
「(大田くんに、中田さん。
二人とも話したことないタイプだけど、せっかく田んぼ仲間なんだし。
友達に、なれないかな)」
中田ほのか。
大田翔五。
片や接点のなかった、片や交流のなかったクラスメイト。
持ち前のおおらかさと社交性を活かして、冨真は二人に近付いた。
訝りつつも受け入れた二人は、のちに冨真の親友となった。
「───次数学だっけー?だるー」
「数学どころか、お前は全教科だるいだろ」
「そんなことねーし!体育と家庭科と、あとギリ音楽もイケる!」
「実技ばっかじゃねーか」
「実技だけでも十分すごいよ。
ボクなんて、ショーゴくんほど勉強できないし、ほのかちゃんみたいに運動もできないし……」
「ヒクツになるなって。美術だったら、こん中で一番じゃん」
「そーだよ!字だって綺麗だし、給食残さないし、掃除も丁寧で遅刻もしないじゃん!」
「ぜんぶ教科と関係ないね……」
「そういうヤツのが案外、将来大物になったりな」
「よっ!大統領!
総理大臣なったら焼肉おごってくれ!」
「めちゃくちゃ言ってるぅ」
取っ付き難いが義理堅い翔五と、見た目に反して慈悲深いほのか。
二人と出会ったことで、冨真の日常はより楽しいものになった。
そして。
終ぞなかった変化を、ほのかが冨真に齎した。
「───あ、ほのかちゃん」
「おっす~。ショーゴは?」
「まだ。トイレ当番なら、もう少しかかるんじゃないかな」
「ふーん……」
「……え、な、なに?どうしたの?」
「冨真さ、ちょい痩せた?」
「えっ、ほんと!?」
「うん。顎のたぷたぷが、ほんのちょーっと減った気する」
「やったぁ!」
「なーに喜んでんだよぉ、褒めてねえぞぉ。
あんま痩せたら、セクハラのし甲斐がなくなるだろぉ」
「アッ、たぷたぷしないで!」
「腹の肉も落ちたのかぁ!」
「おなかはやめてぇ!」
恋心。
ほのかに対して、冨真は段々と好意を募らせていった。
親がいないことを哀れまず、太っていることを咎めず。
いずれの瑕疵も笑いに変換した上で、冨真の尊厳までは汚さない。
からかっても、軽んじない。
ほのかにとっては当たり前のコミュニケーションが、冨真にとっては酷くセンセーショナルだった。
「───ねえ聞いてよ、さっきショーゴがね」
「───見て見て、ショーゴにオススメされた動画なんだけどさ」
「───あ、ごめん冨真。ショーゴの用事あるから、そっち後にしてもらっていい?」
ほのかが好き。
叶うならば、ほのかにも自分を好きになってもらいたい。
でも、叶わない。届かない。
打ち明けたら最後、ほのかとは友達関係でいられなくなるだろう。
抜け駆けをしたとして、翔五からも距離を置かれるかもしれない。
第一、自分のような冴えないヤツに告白されて、嬉しい人がいるわけないんだ。
「うん。
ボクは、なんでもいいよ」
普通で平凡で、特別なほのか。
ただの冨真を認めてくれる、ただ一人の少女。
だからこそ。
ほのかと出会えた幸運に冨真は感謝し、ほのかと釣り合わない自分自身を冨真は嫌悪した。
「───どうしても制服が必要なのか?」
「そういう約束だからね」
「ただでさえ、こんな夜中に出掛けるなんて……。
なにかあったら、すぐ連絡するのよ?ご近所さんに助けを求めるのよ?」
「わかってるよ、大丈夫。
真っすぐ行って、真っすぐ帰ってくるから」
4月30日。運命の日。
今しかないイベントを、三人きりで楽しもう。
ほのかの突飛な提案に、冨真はもちろん賛成した。
「(あ。ショーゴくん、もう来てる。
後ろから話し掛けたら、びっくりさせちゃうかな)」
祖父母に許可をとり、入念な準備をして、いざ出発。
南第二中学校、校舎裏。
閑散とした夜更け、23時10分。
約束より早く待ち合わせ場所に到着した冨真は、そこで衝撃的な光景を目の当たりにした。
「(ほのかちゃん、)」
ほのかと翔五が、抱き合っている。
厳密には、寄り掛かるほのかを翔五が支えていただけなのだが、冨真の目には抱擁にしか見えなかった。
「(まだ、こっちに気付いてない。まだ、気付かれちゃ、駄目だ)」
"どうして二人が"、ではなく。
"いつから二人は"、と冨真は驚いた。
自らの恋心を自覚する以前から、冨真は予感していたのだ。
いつか、ほのかと翔五は恋仲になるだろう。
その日が来たら、自分は友情と初恋の両方を失うだろうと。
「(邪魔をしちゃいけない。
ここでバレたら、二人はきっと、ボクを)」
動揺、混乱、当惑、嫉妬、恐怖、後悔、失望。
自らの恋心を自覚した以上に、未知の感情が押し寄せる。
自分の本心は、何色か。
小田冨真という人間は、何者か。
ずっと素知らぬフリをして、本当はちゃんと気付いていた事実に、冨真はもう蓋を出来なかった。
「───ショーゴくん、ほのかちゃん」
「あ、来た」
「揃ったな、三人」
「冨真にしては遅いじゃん」
「あー、うん。来る時なんか、バタバタしちゃって。
30分、ギリギリセーフだね」
冨真は思った。
ほのかちゃんと、翔五くんと、自分と。
三人で仲良しで、前者二人だけでも仲良しで。
この中で一番いなくてもいいヤツは、自分だ。
「(なんでボク、悲しんでるんだろう。
最初から、分かってたことなのに)」
冨真は思い知らされた。
ボクは、人気者じゃない。
誰もボクを、好きではない。
太ってて、頭が悪くて、要領も悪くて。
なのに虐められないのは、同情されているからだ。
"親に捨てられた可哀相なヤツ"が前提にあるから、みんな気を遣うしかないだけだ。
"ゆるキャラ"は、デブの隠語。
"おおらか"は、没個性の裏返し。
"ムードメーカー"は、毒にも薬にもならないの言い回し。
嫌われてはいない、かもしれないけれど。
好きではないし、興味がないが、みんなの総意で真意なんだ。
「(ボクは、輪に入れてもらうしかない人間。
誰かの優しさがなければ、どこにも行けないし、なににも成れない)」
馬鹿だな、ボク。
ほのかちゃんと翔五くんなら、共通点があるしと思っていたけど。
共通点があるだけで、そもそもの人種が違うのに。
二人が親身にしてくれるのを、相性がいいとか勘違いして。
実の親にすら捨てられたボクが、所詮は他人と分かり合えるはずないのに。
「(二人も、結局は、優しさでボクと一緒にいる。
ボクがいなくても、困る人はいないし、世界は止まらない。
大丈夫だよって、無条件に言ってくれるのは、じいちゃんとばあちゃんだけだ)」
二人は、付き合うのかな。もう付き合ってるのかな。
聞いた方がいいのかな。聞かない方がいいのかな。
このまま知らんぷりを通せば、まだ、三人組でいさせてもらえるかな。
「(じいちゃんとばあちゃんも死んじゃったら、どうなるのかな。
一人ぼっちになっちゃうのかな。一人ぼっちのボクに、生きる価値があるのかな)」
じいちゃん、ばあちゃん。
友達さえもを失ったら、ボクはどうしたらいいですか。
実の親も、育ての親も、みんないなくなった後のボクには、何が残りますか。
何も持たないボクを、誰か愛してくれますか。
行く当てのないボクに、いつか居場所はありますか。
「(お母さんが生きていたら。
ボクが生まれてこなければ、みんな幸せでいられたのかな)」
お父さん。
どうしてボクを、置いていったのですか。
「───願い事、決まった?」
「だいたい」
「みんな幸せでありますように」
「言っちゃダメだってば!」
「欲なさすぎ、相変わらず」
「そんなことないよ」
自分はなぜ頑張るのか。
自分はなんのために生きているのか。
ひとたび湧き出た疎外感は、みるみる冨真の心身を蝕んでいった。
やがて冨真は展望さえもを見失い、こんなことを願うようになった。
「ただ、終わらないでほしい」
"辛い現実と向き合いたくない"。
"せめてもの平穏を、永遠に失いたくない"
「───じいちゃんばあちゃん、心配してるかな」
かくして冨真は、願いを叶えたのだった。
冨真自身も想像だにしなかった、世にも奇妙な形で。




