第三話:雨にもまける、風にもまける
「───芦辺覚です。よろしくお願いします」
芦辺覚さん。
34歳、男性、独身。
職業は会社員、肩書はシステムエンジニア。
手も足も首も長いスーパーノッポにして、膝カックンで骨折しそうなヒョロガリ。
ボサボサの黒髪にカサカサの唇で、目の下には逆三角形の隈がくっきり。
かけている眼鏡は茶縁のウェリントンフレームと、同じく眼鏡族の照美や広恵さんとは一味違う。
顔は、よく見ると整っている、方だ。
なのに華やかな印象を微塵も受けないのは、"イケメン"や"ハンサム"といった感想よりも、"死にそう"という心配が先に来るからである。
「ちなみになんですけど、身長ナンボかお聞きしても?」
「普段は186です」
「普段?」
「ご覧の通り、酷い猫背なので。調子いい時は190あります」
「背の高い低いに調子とかあんの……?」
「さあ……」
芦辺さんもまた、目覚めた時刻が12時以降。
異空間に滞在する日数も、体感で二日目であるという。
オレ達や広恵さん達とで異なるのは、目覚めた場所だ。
芦辺さんの場合は勤め先のオフィスビルで、しかもエレベーターの中だったらしい。
エレベーターといえば、オレの自宅マンションでの一件を思い出す。
電気が通らない以上、エレベーターも使えるはずがなく。
オレ達は半ベソをかきながら、長い長い階段を上り下りさせられた。
そしてそれは、芦辺さんの身にも起こった。
「エレベーターか……」
「今までにないケースっすね」
「エレベーターの中で寝てたんですか?」
「寝てた、かは分からないですけど。まあ、いちおう、倒れてましたね」
「いちおう倒れるってなに?」
「なんでそんなとこに居たかの覚えはあるんですか?」
「ええ。仕事中でしたので」
「あれ?」
「それって何時でした?」
「何時……。
ちょうど日付跨ぐ頃だったと思います」
「おや?」
「日付跨ぐまで仕事してたんですか?」
「残業っすか?」
「残業、になる時もあれば、ならない時もあります。
職業柄、よくあることなんで」
「ワァー」
「そりゃ倒れてもおかしくないっすね」
目覚めた瞬間には、エレベーターは停止していた。
異空間に於ける芦辺さんは、エレベーターの中からはじまったのだ。
「気付いた時には、知らない階層で停まってて、扉も開いてて……。
もしかして地震でも起きたのかなと、一瞬思いました」
「地震?」
「故障ではなく?」
「内部の電気は点いてた、たぶん最寄り階で停止した、扉が開いてた……。
あと、自分が倒れてたってことを鑑みるに、エレベーター自体の故障というよりは、地震か何か───、雷とかでもいいですけど。
何かが起きて、停電して、UPSが作動した。と考えるのが自然かと」
「UPSって?」
「予備電源だよ。バッテリー。パソコンとかにも付いてるやつ」
「が、エレベーターにも付いてる?」
「それこそ地震とか、停電とかなった時に、中に人閉じ込められんようにするためにな。
確かその場合は───、うん。
最寄り階までいってストップする、って聞いたことあるわ。
ですよね?」
「その通りです。
自分も実際に体験するのは初めてでしたけど」
「しってた?」
「はつみみ」
「おれも」
もしや地震でも発生したのか。
そのせいでエレベーターは停止して、自分は気絶していたのか。
なんにせよ、出た方がいいか。
冷静に状況を見た芦辺さんは、たまたま開いていた扉から、たまたま停まっていた階層に出た。
エレベーターの中に閉じ込められずに済んだのは、せめてもの救いだった。
と、当事者の芦辺さんを始め、みんなが思った。
「どこも真っ暗で、静かで。ビルの中にも外にも、誰もいなくて。
さすがに変だぞと思って、電話とかメールとかネット使って、調べようとして、そっちも繋がんなくて。
回線も駄目かーって、ちょっと喜んで」
「喜んで……?」
「このひとこわい」
「ひっつくなあつい」
「喜んで、その後は?」
「寝ました」
「は?」
「寝た?」
「ロビーにあるソファで」
「いやどこでじゃなくて」
「なぜ異変に気付いて真っ先の行動が睡眠ですか」
「眠かったので」
「エエ……」
「何があったにせよ、そのうち誰かは通るだろうし、その時についでに起こしてもらえばいいやと」
「もし本当に地震だった場合どうするつもりだったんですか?」
「死んじゃうよ?」
「まあ、あれです。要はずっと、思考停止してたんですよ。
そんな当たり前のことも抜けてしまうくらいに」
「ワァ……」
「お疲れ様です……」
まずは自社オフィスに行ってみよう。誰もいない。
他の階層も回ってみよう。誰もいない。
ビルの中も外も、人っ子ひとりいない。
さすがに異常を感じた芦辺さんは、なるほどこれは夢だと自分に言い聞かせた。
言い聞かせて、寝た。
「しばらくして起きて、起きたのになんか変わってなくて。
そのまま二度寝しても良かったんですけど、どうせなら家のベッドでゆっくり寝たいなと思って」
「笑うとこですか?」
「帰ったんですか?自分ん家」
「その時はまだ。
職場から家までのルートにここがあって……」
「あー、先にホイホイされちゃったんですね」
「芦辺さん時は何の音楽かかってたんすか?」
「B'○です」
「邦楽キター」
「職場から自宅───、の前に、ここまでの距離ってどれくらいですか?
普段はどうやって通勤されてます?」
「距離……、は、10キロないくらいですかね。
通勤は普通に車で」
「ハッ!」
「ということは」
「ここまでの移動手段も……?」
「普通に、車で来ましたけど」
「待ってました!」
数時間後。
目覚めたものの、状況変わらず。
寝て起きて醒めないなら、夢ではないのか。
夢でないなら、どうすれば現実に戻れるのか。
事の重大さを理解した芦辺さんは、本腰を入れて行動を開始する。
幸いにも芦辺さんは車持ちだったため、ビルの専用駐車場に駐めていた自家用車で、町を移動できた。
向かう先は自宅アパート。
ついでに何箇所か寄り道をして、異常が町全体に及んでいるかを確かめようとした。
その経路に、スティラがあった。
開けた窓から聞こえてきたのは、○'zで"ウルト○ソウル"。
立て続けに聞こえてきたのは、またしてもB○zで"熱き○動の果て"。
かくして芦辺さんは、"人間ホイホイB'○バージョン"に、見事ホイホイされたわけだった。
「寝てたのが4時間くらいで、合流したのが8時───、20時くらいと」
「ミクちゃんより、ちょい遅めか」
「ハイ」
「はい早乙女くん」
「さっきNPCがどうのって話してましたけど」
「UPSな」
「何故お前のマンションではそれが作動しなかったですか?」
「言われてみれば……」
「なんの話ですか?」
「俺らも初日にエレベーター使おうとして、そこでは完全に沈黙してたんですよ」
「あー……。それって何時頃でした?」
「今と同じくらいだったか?」
「ざっくり夕方」
「自分も詳しくはないですけど……。
エレベーターのUPSって、あんまり長持ちしなかったはずですよ。本当に緊急時の、最低限の措置って感じで。
もちろん種類にも因りけりでしょうが」
「じゃあ12時過ぎた直後なら使えた可能性!」
「最低限の措置って言ったろ。
閉じ込めとかを防げる程度で、普通に使うのは普通に無理だよ」
「ナンダァ……」
はじまりがエレベーターの中であったこと。
睡眠を取ったこと。
移動に車を用いたこと。
広恵さん曰く、芦辺さんの"特殊な事情"。
オレ達とも異なる点で言えば、前述の三つ。
中でも気になるのが"睡眠"だ。
まさかこんな形で、オレ達が実行しようとしていた"おやすみ作戦"が消化されてしまうとは。
異空間に迷い込む直前の記憶があって、きっかけが分からない。
そこだけ切り取れば、芦辺さんとオレ達の条件は等しい。
芦辺さんが寝て醒めなかったなら、オレ達が同じことをしても同じ結果になる。
残念ながら、そう考えるべきだろう。
「合流してからは?三人ずっと一緒にいたんですか?」
「いや今の今まで不在でしたやん」
「せやった」
「合流した後に、アシベさんだけ一回おうち帰ったのよ」
「えっ」
「そうなんすか?」
「はい」
もうひとつ。
オレ達と広恵さん達で落ち合った時、芦辺さんだけが不在にしていた訳とは。
聞き役に徹していた広恵さんと未来ちゃんも交えて、芦辺さんは更に詳しく話してくれた。