おまけ
おまけです。
公爵令嬢視点
お前は将来、王妃になるのだと言って育てられた。
私が子供の頃から王太子はなかなか確定せず、王位継承レースは闇の中だったが、王妃になれさえすれば相手はどれでも良かったらしい。早く婚約しすぎると、その相手が王になるかどうかわからないから様子をみる、などというあたり「正気か?」と子供心に思うくらい徹底していた。
まったくもってうんざりしてしまう。
10歳を過ぎる頃には、私は”推し”の旦那様候補を勝手に想定して、自分の学習意欲をかきたてていた。
その相手は、頭脳明晰で、武勇も魔力も世界トップクラス。品行方正、生真面目で敬虔、悪癖なし。顔良し、スタイル良しという完璧超人だった。
もちろん家柄は、ちゃんと王族。惜しくも直系正妻の子供ではないけれど、継承予想順位は本人の能力がずば抜けているために高かった。
相手がすでに成人男性で、歳の差があることは、この際無視した。
だって、同い年ぐらいのクソガキでしかない王子どもと比べたら、圧倒的にカッコ良かったのだ!
彼こそは”暁光”の騎士。
宵闇色の髪に金の瞳。冷ややかな眼差しで冷徹に物事を見極めて、内政や外交では数多の難解な問題を解決して功績をあげ、戦場では、彼のために特別に編成された独立した騎士団を率いて、信じがたい武功を上げていた。
戦勝パレードで、独立騎士団の紺碧の制服に身を包み、国王から賜った”暁光”の紋の入ったマントと十字の大剣を背にしたその長身痩躯のカッコ良さときたら!!
はしたなくも侍女と一緒に熱狂して、後で怒られた。それでもこのときの姿絵は侍女に密かに入手してもらって、枕元に隠して、毎夜こっそり眺めて楽しんだ。
なので、今のこの状況が理解できない。
なぜ私は今、”暁光”様の腕に抱きしめられて、熱烈な愛の言葉を囁かれてキスなんてされたのでしょうか?!
さっきまでうす靄がかかったようだった頭が急にクリアになって、突然戻ってきた人間としての自分の記憶の奔流と同時に、直前の自分の記憶が鮮明に蘇って、私の頭は爆発しそうだった。
柔らかいクッションの上に、それはそれは優しく降ろされた私は、そのまま腰が抜けたようにへたり込んでしまった。
蕩けるような目で私を見ていた憧れの”暁光”様は、ほんのり目元を赤くしてふいっと顔を逸らすと、厳しい顔つきに戻って足早に戸口のところへ行った。
えっ、私、何か嫌われるようなことをしちゃった?
出口で振り返った彼は硬い声で告げた。
「お前が出て行きたければ、いつでも出て行っていい。さっきのは忘れてくれ」
待って?!どういうこと?
怖いよ。
さっきのって、何?何を忘れろって?
”いい子で留守番していてくれ”
耳元で甘い甘い声で囁かれた言葉を思い出して、私は飛び上がった。
ヤダヤダ!私、出てなんかいかない!
ここでお留守番する!!
私は急いでお家の奥に隠れた。
ベッドに飛び込んで毛布をかぶって震える。
お留守番イヤだななんてもう思いません。だから、追い出さないで!
ずっとここにいさせて、御主人様!
……ちょっと、待って?
御主人様って何?!飼い主?
飼われてたんですか?あの方に?
飼うって……飼われてましたね。
被った毛布の下で、私はちょっとずつ冷静になってきた。
あらためて状況を整理してみよう。
ほんの一瞬前まで私はネコでした。
ちょっと、もうそれがわからない。
御主人様のお帰りが遅いなーって思って寂しくて拗ねてました。そしたら、御主人様が戻ってきてくださって、気がついたら御主人様が”暁光”様で、抱っこぎゅで、すりすりしてくれて、それから……。
ダメだ!
この記憶は今、反芻すると危険だ!
だってあんなにいい声で「お前がいないと、俺は自分が生きていると感じることができない」、「お前の吐息を感じると、俺は自分が息をしていることを思い出せる。お前の鼓動を熱を感じると、俺は自分にも血が通っていることを感じられる」、「ほら、お前を抱きしめていると俺の鼓動が聞こえる」って……みきゃーっ!!
結局しばらく身悶えしながら記憶を反芻しまくったところで、毛布の中が熱くなりすぎて、私は毛布から顔を出した。
のぼせかえった頭が多少冷えたので、私は自分がどこにいるか気がついた。
うん。ベッドですね。
……ネコやってた間、私、ここに潜り込みまくってましたね。
あろうことか、あの方の背中や胸やお腹にすりすりして、腕にまきまき抱きついてましたね。ついでに思い出しましたが、あの方も結構、抱っこやナデナデが激しめで……みぎゃぁーっ!
そこから芋づる式に出るわ出るわ。
毎晩、お膝に乗って甘えていたことなど、ちょっと公爵令嬢として、という以上に未婚の成人前女性としてもあるまじき事態の数々を思い出して、私は頭を抱えた。
アレ?成人前?今、私、何歳だっけ?
微妙に何か違和感を感じたが、はっきりとはわからなかった。
とにかく、成人前だろうが後だろうが、あれはまずい。
ご飯を食べさせてもらったり、着替えを手伝ってもらったのは、百歩譲って頭の中がネコだったから仕方がないとしても、あれはダメだ。
彼が毎日、外の小屋で大きな桶になみなみと湯をはって、浸かっているのが気持ちよさそうで羨ましくなって、私も一緒に入らせてとせがんだのだ。……せがんだというか、人間やめてたので、黙って湯の中に突撃した。
人間の理性と羞恥心が戻った今、あの光景を思い出すだけで、恥ずかしさで軽く死ねる。
「着替えも用意せずに、服を着たまま風呂に入るやつがあるか」と怒られて、以後は着替え類をキチンと用意されたのだが、問題点はそこではない。
私も変だったが、彼もまたそこはかとなく以上に変だった。
ネコだった私の御主人様は、記憶にある憧れの”暁光”の騎士様より、ワイルドで男臭い渋みが増し増しで、おヒゲを剃るまでは一見別人だった。服も平民の粗末な物で、全体として庭師と山男の中間といった風体だった。
言葉遣いもぞんざいで、厳しく清廉な騎士のイメージからは、程遠かった。
冬の夜明けのような、と言われていた刺すように冷たい態度などなくて、ぶっきらぼうだが優しくて、こっちが拗ねたり、甘えたりしてみせると、ちょっとどうかと思うほど際限なく甘やかしてくれた。
それでも、昼間に独り黙々と働いているときは、記憶にある通りのあの冷徹な無表情に近くて、たしかに同一人物だと思うのだ。
しかし、夜、暖炉のそばに座ったときなどは、あの隙のない無敵の完璧超人はけして見せなかったであろう、少し傷ついたような歪んだ苦笑を浮かべて、私を当惑させた。
憧れの人よりも変で、綺麗でも完璧でもなくて、歪で傷だらけで、暖かくて優しい人が、ネコだった私の御主人様だった。
何のお仕事でお出かけしたのかな。
一通り一人で身悶えて大騒ぎし終わった私は、クッションの上で膝を抱えてぼんやりとしていた。
騎士の制服を着て行ったということは、騎士のお仕事だろうか。そんなことを考えていて、ふと、壁にかかった剣に気がついた。
大変!忘れ物だわ!
トレードマークの十字の大剣。
私の身長より大きいその剣は、多分、騎士のお仕事をするなら必須だ。
どうしよう。届けなきゃ。
とは言うものの、私は非力な子供だ。
子供?……うん、子供じゃないとしても普通の人は一人であれを持てない。
よし。人を呼んでこよう。
私は公爵令嬢だ。荷物は自分で運んだりしない。
森の外に出ていいとは言われている。
一度、公爵家に戻るか、使いを出して、なんとかすればいい。
彼のお役に立って、もうネコじゃないんですと言いに行こう。
まだ呪いが完全には解けていなくて、短絡思考だったこのときの私は、それがいい手だと思って、意気揚々と家を出た。後から考えると、随分と危険な行動だったが、幸い彼がうまく手配していてくれたおかげで、私は森を出てすぐに大公家の召使いに保護された。