しらを切るなら墓場まで
「しらを切るのもいい加減になさいませ。全部ご承知なのでしょう?」
彼女は俺を追い込んだ。
「かの名高き”暁光”ともあろうお方が、何もお気づきでないとは言わせませんよ」
その二つ名よして欲しいんだけど。有名になりすぎて未だに覚えているやつが多いんだよな。
「深き闇をも照らし出す慧眼で、どれほど混迷した事態も解決に導く、暁の光の如き騎士!」
「やめんか、恥ずかしい!」
よくこんなムサ苦しいおっさん相手にそんなことが言えるな、と呆れた。
「長身痩躯に十字の大剣。宵闇色の髪に金の瞳。子供の頃に憧れた姿そのままですわ」
馬車を降りたとき、その剣を背負った貴方の姿を見て感動しました、とか抜かしやがるトンチキを、俺はジロリと睨んだ。
「……で、いつからだ」
「最初は気づきませんでした」
いつから俺がかつてそういう評価を得ていた男の成れの果てだと気づいていたのかという質問に、女はいけしゃあしゃあと答えた。
「だって私、ネコ程の知能になっておりましたし、拐われて捨てられて迷子になった子供として、たいそう怯えていましたから。でも……」
彼女はなにもない部屋の隅に視線をやった。
「流石に寝床の敷布代わりに、紺地に金糸で暁光の紋の入った独立騎士団長のマントを敷かれたら、驚きますわ」
「裏は概ね白いし、厚手のシーツみたいなもんじゃないか」
「陛下から賜ったものをよくそんな風に言いますね。恐れ多くてとてもじゃないですけど、あんなものの上で寝られませんでした」
「知能は亜人並みだったんじゃないのか?」
「難しいことや詳細な記憶は、さっぱり無理でしたが、子供でも感じられる単純な敬意や憧れは、言葉にはできないけれどちゃんとありましたのよ」
俺は全然聞きたくも確認したくもない質問を、死刑判決を受けるつもりで尋ねた。
「んで、今は万全な知能の状態で、当時の記憶が全部あるんだな?」
彼女は、きれいに片付けられた俺の家の中を、ぐるりと見渡した。
「私に関わるものだけではなくて、他人に見つかると都合の悪い魔導具の類もすっかりきれいに片付けましたね。私のことで人が来ることは予測されていたということですか」
「なんのことだか」
往生際の悪い俺に苛立ったのか、彼女は腕を組んで、ツンとした調子で判決を突きつけた。
「”チーズケーキは食べる分だけ取り分けてあとは冷蔵庫にしまうこと”、”この常夜灯は火ではないから熱くないが、触らないように”……でしたっけ?今でしたらどれぐらいとんでもないものか理解できます」
「呪いの影響で、荒唐無稽な夢でも見たんだろう」
業を煮やしたのか、彼女は俺の傍らにやってくると、ニヤリとお嬢様にあるまじき笑みを浮かべた。
「あら、ではこれも夢の中で聞いた言葉だとでも?」
挙句の果てにこの性悪猫は、俺が出かける日につい口にした戯言を一言一句過たずに暗唱してみせやがった。
俺は青ざめて、それから耳まで赤くなった。
「……悪夢だ」
「あら、信じられないほど素晴らしい夢のようなひと時でしたわよ」
「俺がいなくなった途端に、さっさと逃げ出した奴が何を言う」
「逃げ出しただなんて誤解です。ネコ化の方の呪いが解けて、人としての自覚と自分の身元の記憶が戻ったから、私は貴方のところへ行こうと思ったんです」
「おかしいだろう。呪術師が捕まったのはもっと後だ。奴がお前にかけた呪いを自発的に解く理由がない。……まさか」
「はい。ネコ化の呪いは逃走中に急いでかけたものだったので、代償の軽減のために解除条件が設定されていました」
そういうときに使われるポピュラーな定形条件の一つに思い当たって、俺は呻いた。
「ひでぇ条件だ」
「そうですね。ネコの亜人に見える術をかけられて、本人もネコだと思いこんでいる私を、心から愛する者のキスだなんて」
そんな条件を満たす男はネコ相手に本気になるド変態か、ネコの雄だろう。もしそういう奴らが場末の路地裏や娼館でことに及ぼうとしたときに、呪いが解けたら大惨事だ。
人としての姿と自覚が戻った本人はもちろん悲惨だし、男の方も相手が人だとわかれば態度が変わるだろう。
「呪術師も、まさか貴方のように偉大な魔法使いで、呪術や魔術に強い耐性のある方が、偶然、私を助けるだなんて思ってはいなかったのでしょう」
どうやら彼女の解釈では、俺はネコ愛好家のド変態ではなく、呪いには抵抗して、人とわかっていて彼女を保護したが、家には帰さず手を出した無節操男になっているらしい。
それは誤解ですと言いたいが、どこをどう否定していいのか、小っ恥ずかしさで煮えた頭がうまく回らない。
たしかに普段の俺なら、呪いになんかかからないんだが、今回は魔が差して、一部受け入れてしまっている分だけ後ろめたい。
ヤバい。子供化の呪いとネコ化の呪いの解除条件とタイミングが違うから、下手な嘘をつくと、小児性愛者のレッテルが付くぞ、俺。
動物に欲情するド変態の誹りも嫌だが、この世界、未成熟な存在を異性として”可愛らしい”と思う感覚自体も、異常認定されるんだよな。
基本的に俺は至ってノーマルだ。
元々はカタブツだと冷やかされていた。
ただし厄介な”記憶”のせいで、こと恋愛と信仰に関しては、この世界の標準よりもかなりルーズというか、カオスで無秩序な概念に理解が広がってしまっている。
言動のさじ加減を間違えて、神殿からは破門されるわ、騎士団はクビにされるわ、継承権は剥奪されるわで、ひどい目にあったが、おかげで学んだ。
ここは、慎重に判断すべきところだ。
中途半端な形で呪いがかかっていたせいで、拾った彼女のことは、ネコ族みたいに全身に毛の生えた直立した猫そのものには見えていなかったが、猫耳と猫尻尾は付いている姿に見えていて、”仔猫”として扱えという認識だったといういうことは、この際、墓まで秘密にしたほうがいいかもしれん。
”KAWAII”と”萌え”に理解のない世界で、カミングアウトは危険