十七話ですぜ、旦那!
我が領地を守護する高く厚い壁の上で、新兵器であるバリスタがその威力を発揮していた。
ガツン、と音を響かせて射出された短槍は、瞬く間に遠くの空へと飛んで行く。
「ワハハハハ! コーター卿は真の天才じゃな!」
我が領地に設置される時に威力の検証をしてみたが、その威力たるや凄まじいの一言であった。何せ、並べた甲冑を五つも貫通したのだから、その威力には驚かざるを得なかったのだ。
しかし、惜しむらくはその威力と射程が良すぎて、我の目では結果がどうなったのか分からない事だ。夜目に優れる我らドワーフであっても、単純な視力となると通常のそれだからな。故に、視力の優れたエルフが羨ましくなる。
そう考え、小さく溜め息を吐いた直後、この新兵器を開発したコーター卿がこれまた開発したという望遠鏡なる代物を思い出した。これは二月程前、コーター卿が陛下へと百以上も献上された代物であり、その内の一つが我へと下賜された物となる。
「お、おぉおおお! ワハハハハ! 敵兵が右往左往しておるのが見えるぞ!」
敵兵までの距離が一キロはあるのだが、短槍が飛んで来た事で驚き、右へ左へと大きく逃げ惑う兵士達の姿が良く見え、我は思わずその滑稽な様子に笑ってしまった。
それに気分を良くして、次々に短槍を放てと部下に命令を出す。そしてその指示に従い、二十本近い短槍が空を滑空した。
着弾音は遠すぎて聞こえないものの、望遠鏡を覗く我には全ての短槍が悉く兵士達の命を刈り取っていくさまが確かに見えた。素晴らしい、これは素晴らしい。望遠鏡もバリスタも、コーター卿の造る物は全てが素晴らしい。
「ハッハッハッ、ワァハッハッハッ! ほれほれ、早う此処まで来い! でなければ、全員バリスタの餌食になってしまうぞ!」
ドゥーマ国の敵兵の数は、見たところ凡そ二千五百人。国の防衛として二千五百は残し、他は全て侵略に回しておるのだろう。
それに対して此方の戦力は、千人。真正面から戦うなら圧倒的不利な戦力差であるが、籠城戦ならば三倍以上の相手でもそこそこは戦える戦力である。
此方が籠城すると予め考えてただろうに二千五百というのは非常に少なく思えるが、奴らの戦力は兵士や騎士だけではない。事実、望遠鏡から見える光景には数多くの傭兵の姿を目にする事が出来ていた。
その傭兵の数、実に五千人。兵士や騎士と合わせると、その合計は七千五百人にもなる。
その事実だけを考えると、普通なら青ざめるのであろう。ガクガクと膝を恐怖で揺らし、生まれたての小鹿の如く情けない姿を晒してしまうのであろうな。
だがしかし、此方にはバリスタがあるのだ。そのバリスタの数は五十基もあり、射出する短槍の在庫は三万本もある。
「たかだか七千五百人で、この我の領地を奪えると思うなよ!
さぁ、どんどん放て! 射出準備を終え次第、各々の判断で放ち続けろ!」
この壁付近まで近付かれてしまうと、バリスタの構造の問題で真下に向けて射出出来ないので、そうなってしまうと弓や魔法での戦闘に切り替えなくてならないが、そうなるまでには少なくとも半数の敵兵は死ぬだろう。そう、敵の三千人程は死ぬ筈だ。
そうなると、普通なら撤退であろうな。戦力の半分を失ったとするなら、最早壊滅と同じ。敗北を意味する。
しかし、此度の戦争ではその選択は取れぬ筈。国の財源を絞りに絞って傭兵を雇っていると考えられるのだから、何も収穫が無い状況で撤退する事など出来んだろう。
それに、この場だけが戦場となっている訳でもないのだから、奴らはきっと他の戦場が有利に進んでいると希望を託して戦を続ける筈。セイカーン、クゥーラ、その二ヵ国の内、一ヵ国でもムーティッヒ国が有する町を撃破すれば、きっと援軍に駆け付けるだろうと考えるのが人情というものだからな。
だがそれは、絶対にあり得ぬ事だ。何故なら、セイカーンとクゥーラの二ヵ国が攻めた町のそれぞれにも、我が町と同じように新兵器であるバリスタがあるのだから。
金銀財宝を片手に馬鹿騒ぎする未来を想像する敵兵達が、現実を知って戦々恐々とする顔が目に浮かぶようで笑みが溢れるわ。ムーティッヒ国へと牙を向けた事を後悔するが良い。
「放て放てぇ! 短槍は山のようにある。気にせず放てぇ!」
通常なら届かぬ距離からの攻撃に、奴らは終始戸惑って狼狽えておる様子。そのせいで、一向に此方へと進んでおらん。
得意の傭兵戦術を駆使する余裕が無いと見える。ま、それはそうだろうな。我とて向こう側の立場なら混乱の極致になっておるだろうし、それは不思議には思わん。
だが、このままだと弓の射程に入る間もなく終わってしまいそうじゃ。それではつまらんじゃないか。
「えぇい、仕方ない。それなら、我自らバリスタで射ようではないか」
直ぐ傍のバリスタを扱う者と代わり、我自らがバリスタを扱う。そして狙いを定め、短槍を容赦なく射出。
飛翔する短槍はぐんぐん空を飛んで行き、軈て敵将であろう人物の顔面へと着弾。
「ワハハハハ! 短槍が当たった瞬間、敵将の顔が木っ端微塵になったぞ!」
将たる証の兜に付けてある羽が、虚しくひらひらと舞っている。それを見ながら笑う我は、弓との少しの違いに面白さを見出だしていた。
弓であれば仕留めたか仕留めていないのかを判断せねばならなかったのだが、短槍が刺されば大概が重傷であり、普通なら出欠多量で死ぬ。しかしそれは、本当に幸運だった者であればだ。つまり、殆どの場合であれば、短槍によって被弾した部分が余りの威力に弾けてしまうのだ。あれでは十中八九助からんし、奇跡が起きて助かったとしても、絶対に五体満足ではおられんだろう。
そういう意味では、当たりどころを見て傷が浅いか深いかなどを判断しなければならない弓よりは面倒が無い。十中八九死ぬからな、面倒が無いのだ。
これは実に気分爽快である。
今まで魔物のスタンピードで我らムーティッヒ国が防御に徹した際、魔物の進行がドゥーマに変わった事が何度もあるのだが、その度にドゥーマは我らムーティッヒ国を盛大に貶していた。魔の森に接して日頃から苦労しておる我らが存在して初めて、奴らが魔物という存在から解放されて安寧の時を過ごしておるというのに、だ。
その時の恨みつらみを晴らす絶好の機会であるな。我が部下の多くも同じ心境なのであろう、日頃の鬱憤を晴らさんとばかりにバリスタを放っておるわ。
その気持ちは痛い程に分かる。誰もが仲間を、誰もが家族を、誰もが知人を、誰もが友人を、そして愛する人を、例外無く魔物の手によって奪われてしまい、絶望のドン底に落ちる経験をしておるのだ。
そんな我らに対して、奴らドゥーマ国の者は少しの被害が出ただけで百は文句を言い募る。例え被害者が発生せずとも、奴らは千の文句を言い募る。
それもこれも、我が心から愛するこのムーティッヒ国から賠償金をせしめようと考えておるからだ。卑しいドゥーマ国人め。奴らは此方が配慮して賠償金を支払えば、過去のスタンピードの際の賠償金もと言い出す。過去数十年、百年前のスタンピードさえ例に出して請求する。卑しい乞食のドゥーマ国め。
本来、魔物が仕出かした事に何故ムーティッヒ国が賠償金を払わねばならんのだ。スタンピードとは自然災害であるのに、何故その自然災害で発生した損害を我らが補填せねばならんのだ。
我らドワーフ人がおおらかであるからか、それこそ最初は支払ってやってはいたもののの、奴らは卑しい本性を露にして乞食紛いの事を平気でする。自身達の失策のクセに、少しでも景気が悪くなれば思い出したかのように賠償金をと言い出すのはドゥーマ国のお家芸となっておる始末。他のセイカーンやクゥーラも同様だ。
クズどもめ。我らムーティッヒ国の積年の怨みを、この新兵器のバリスタから射出される短槍に込めて、貴様らに骨の髄まで知らせてやるわ。
ストライカー公爵と儂は大きく違う事を嫌になるほどには理解しておる。義に厚く部下思いで心底から愛国者であるストライカー公爵とは正反対に、儂は自分でも時に自分自身の冷徹さにヒヤリとする事があるくらいには冷血漢なのだと。
その最たる例が、目の前の軍勢に対して冷静に壊滅するまでの事を想像し、その想像を逐一改善しながら更に多くの死者を生み出そうと考えておるところだろう。
ストライカー公爵なら、恐らくバリスタの射程に入るなり攻撃を開始するのであろうが、儂は冷血漢故にそんな事はせん。するのは、敵軍と此方の距離が五百メートルまで接近しない限りは黙し、接近したならば敵軍の後方部隊を狙ってバリスタで射る事。この戦術を採用した方が、より多くの死者を効率的に出せる筈だからだ。
後方の者達は至極焦るであろうな。そして、前方に居る者達はそれ故に前に出るしかなくなり、弓や魔法によって悉くが散る事になる。
バリスタという兵器をコーター卿が生み出したくれた事で、籠城戦が素晴らしく効率的に戦えるようになった。きっとコーター卿も儂と同じく冷血漢なのだろう。いや、儂以上の冷血漢でなければ、このように素晴らしい兵器は造れんだろうから、想像を絶する冷血漢なのかもしれんな。
そのコーター卿は、新たに兵器を開発中であると宰相殿の密偵から報告を耳にしている。バリスタに続いての新兵器だ。そのバリスタだけでも凄まじいのだが、報告では更に異常な兵器が二種という事。
それを耳にして想像したのは、更なる籠城戦で役立つ兵器であった。しかしその想像とは大きく違い、新たに製造される兵器は防衛面というよりも攻撃面で非常に効果を発揮する物なのだそうで、それはつまり今回の戦争が防衛して終わりという事ではないのだと証明しているようなものだった。
そう考えると、やはりコーター卿は想像を絶する冷血漢であると察せられる。儂など足下にも及ばぬくらいには、それはもう凄まじい冷血漢なのは間違いない。
きっと、敵国の幼い子供が死にかけている場面に遭遇したならば、表情一つ変える事なくその場を後にするのであろう。或いは、苦しむくらいなら楽にしてやろうと考え、剣でひと突きにするかもしれんな。
ゾッとする冷血漢だ。儂でもそこまではせんだろうが、コーター卿ならばしてしまうだろう。
「ヘッジ様、先頭の敵兵が五百メートルラインを越えました!」
「そうか。ならば、後方部隊を狙ってバリスタで攻撃せよ」
「後方、ですか?」
「セイカーンの敵兵は、一兵足りとも逃がすつもりはない。勿論、雇われた傭兵も同じく」
儂の指示が意外だったのか、息を飲むように沈黙した部下に向かって、返事はと問えば、部下は焦った様子で敬礼するとそれぞれの手下に指示を出しに行った。
そう、儂は一兵足りとも逃がすつもりなど更々無いのだ。儂はストライカー公爵とは違って、義に厚く部下想いでも無い。きっと、場合によっては平気で部下を囮に使う時もあるだろう。
だがしかし、心底冷血漢であると理解しておる儂だが、愛国心だけは誰にも負けるつもりは無い。例えストライカー公爵だろうと、誰にもだ。
それ故、儂はムーティッヒ国へと剣を抜いた者達を、皆殺しにする所存だ。今までムーティッヒ国に対して調子に乗っておった隣国どもを、一人残らず皆殺しにするつもりである。
とは言え、儂はコーター卿程には冷血になれる強き精神力は有しておらんのだから、戦えぬ者達は放っておくがな。
「バリスタは後方部隊の敵を狙えぇい! 一兵足りとも逃がすなというご指示だ! 敵先頭の者は弓や魔法で対処せよ!
もう一度言う! バリスタは後方部隊を狙えぇい! 一兵足りとも逃がすなというご指示だ! 敵先頭の者は弓や魔法で対処せよ!
各々、準備は良いな! 放てぇぇえええええ!!!!」
町を守護する壁の上に、部下から発せられた指示が木霊した。そして次の瞬間、後方部隊を狙ってバリスタから射出された短槍が、先頭部隊を狙って弓から射出された矢が、青空を覆い隠すように一斉に放たれた。
先頭に位置する敵兵達は、矢の嵐に対抗する為に盾を必死に掲げておるが、それでも少なくない犠牲が出ておる。そして後方部隊は、本来なら絶対に届かぬ距離からの強烈な攻撃に狼狽えながら、短槍によって顔や手足を弾け飛ばした者達を見て恐慌状態に陥っておるようだ。
その光景を見て思うのは、やはりコーター卿の事。これ程の光景を生み出す兵器を軽々と造り出したのは、偏に敵を効率的に、しかも少しでも多くの敵を殺す為に、日夜残酷な絵図を想像せねばならなかった筈だ。その精神力たるや尊敬に値する。
「準備が整ったら、合図を待つ必要は無いぞ! 在庫が無くなるまで放ち続けろ! 或いは、敵の一兵も動かなくなるまでは放ち続けろ!
そして魔法部隊は、壁を登ろうとする者や梯子を持つ者を狙って魔法を放つのだ! 決して壁を登らせるなよ!」
再び短槍や矢が空を覆い隠すようにして放たれ、その放たれた代物が着弾するとあちこちで敵兵が倒れ伏す。敵軍の陣形は荒れに荒れ果て、最早ただただ壁に接近する事だけを考えているようにしか見えん。
これでは既に決着したようなものだ。満足な指示も無く突貫するだけでは、とても籠城戦を制する事など出来る筈も無い。
これ程に敵軍の指示系統が総崩れになるとは、儂でも思いもせんかった。余程にバリスタの事に驚愕し、しかも心底恐怖しておるのであろうな。
「良いぞ! どんどん放てぇぇ!」
短槍や矢が放たれる度に、無数の敵兵が散る。盛大に血飛沫を撒き散らし、苦悶の表情で倒れ伏す様子は悲惨の一言。
だが勿論、儂は敵兵の苦しむ姿を見ても何も思わん。奴らは儂らを殺そうと此処まで来たのだから、それ相応の報いと言えるだろう。
こうやって敵国から奪う事しかせんからこの現状に繋がったのだ。コツコツと国を富ませぬからこの現状に繋がったのだ。
儂が愛するこの国は、確かにコーター卿が来る事で飛躍的に豊かになり始めてはおるが、それでもコーター卿が来る前からコツコツと小さな事から大きな事までひたすら努力していた。それこそ、血反吐を吐く思いで色々な国家事業に携わってきた。平民も貴族も関係無しに、だ。
そんな努力をせんから、安易に戦争を吹っ掛け奪うという思考になるのだろうが、その結果がこの有り様。最早救いようが無い。
決死の覚悟で壁下まで辿り着いた敵兵が現れたが、それとて無駄に終わる。儂の指示に従う者達が、壁上から石や矢を放ち、それでもって容易く殺すからだ。
一人、二人、三人と、新たに壁下まで辿り着く敵兵がチラホラ現れ始めるが、先と同様に容易く始末された。それによって、壁下には無数の哀れな骸が積み重なっておる。
現状、敵軍の半数が散った頃合いであろう。最早、勝負は決したと言えるだろうな。
そう考える中、ふとコーター卿なら、最早決したこの戦場をどうするのであろうかと、そんな風に疑問が浮かぶ。儂を越える冷血漢のコーター卿なら、皆殺しとなるまでただこのまま放置であろうか?
いや、効率的に殺す兵器を生み出す御仁なのだから、事後処理の事も考えて動かれるであろうな。
とするなら、敵兵の千人程は生かして捕らえるべきだろう。そしてその捕虜を使って、骸の処理をさせれば良い。此処は魔の森ではないのでアンデッドになる事はなかろうが、それでも一応危惧しておかねばならんしな。
それに、コーター卿が宰相殿に嘆願した事によって広く知られる事になったが(貴族の間だけ)、死体をそのままにしておくと疫病の元になるらしいので、尚更に骸は早めに処理するのが適切。
そう考えると、コーター卿なら敵兵に墓穴を掘らせ、最後には自身の墓穴を掘らせるのだろう。流石は効率的な殺戮兵器を生み出す御仁だ、やはり底知れぬな。
「敵兵が千人程になったら、門を開けて兵を出せ」
「はっ。打って出るのですね!」
「違う。捕虜を取る」
「い、一兵足りとも逃がさないとお聞きしていましたが?」
「捕虜に骸の処理をさせるのだ。そして最後に自身達の墓穴を掘らせ、殺す。その後はその骸を穴に落とし、埋めるだけで済む。
効率的であろう?」
頬を引き攣らせているところから察するに、儂の策に臆しておるのだろう。儂もコーター卿ならばどうするかと考えねば出てこなかった案であるのを思えば、その気持ちは同じだ。
コーター卿は実に恐ろしい御仁だ。富を齎し喜びを齎すが、それと同時に恐怖も齎す。
コーター卿がムーティッヒ国へと亡命してくれた事は、この国にとって歴史上最高の幸運であったと断言出来るであろう。神にはひたすらこの感謝を祈るのみである。
誰も彼もが喜びに声を上げる中、私達の防衛戦は終わった。矢による負傷者が四十六人出たものの、死者は一人も存在せず、完全勝利と言えるでしょう。
それもこれも、全ては新兵器たるバリスタのお陰だ。特に危険を感じないままに戦が終わったのは、敵軍がバリスタの威力や射程に混乱して指揮系統が崩壊したからだと思うの。特殊な戦術を駆使せずとも、クゥーラ国軍の重歩兵を易々と倒せたのだってバリスタがあったればこそだわ。
そんなバリスタを発明したコーター卿には、私は残念ながらお会いした事が無いのよね。これ程に素晴らしい兵器を造られた人なのだから、きっと聡明で素晴らしい人なのだろうが、その容姿はどうなのだろうかと気になって仕方がない。
性格が良いだろう事は容易に察せられる。何せ、自国の者の被害を最小限にする為にこの兵器が造られたと考えられるのだから、性格が良いのは明白だわ。
王都から離れた場所に領地を持つ私のような貴族は、領地の運営があるからコーター卿の献上の儀に行けなかったのが悔やまれる。噂だけなら幾つも聞き及んでいるのだけれど、容姿については余り聞かないから本当に謎なのよね。
そのコーター卿がムーティッヒ国へと亡命してからと言うもの、平民から貴族までその生活が大きく変わってしまった。勿論、そうは言っても最初の三年程は鋼の秘術で造られる剣や槍が兵士や騎士に浸透するだけで、そんなには生活スタイルが変わるという事は無かったのだが、ここ数年は全く違う次元でムーティッヒ国に暮らす者達の生活水準が飛躍的に高まったと断言出来るわ。
先ずは香水ね。頭の痛い諸事情に悩み苦しんでいた日々の中で、突如現れた香水。これのお陰で、嫌な気分を一瞬で切り替えられるようになった。惜しむらくは、値段が高過ぎて平民には手が届かぬ事ね。
そんな香水と同時期に浸透したのが、石鹸。その石鹸で体全体を洗うも良し、外出先から帰ったら手だけを洗うも良し、そして服を洗えばその服が乾いた後の匂いは素晴らしいし汚れも綺麗に落ちる。この石鹸は安価なので、平民にも浸透していて皆が絶賛しているわ。しかも、この石鹸が浸透した事で年間の死者数が激減した事が何よりも凄いわね。
そしてその他には、菓子だ。従来の菓子は砂糖を嫌になるまでまぶした物であり、その味は非常に不味い物だった。その菓子が今や、数えるのが億劫になる程に種類が増え、その全てが何度食べても飽きないと思わせる代物へと変化した。これも全てコーター卿が開発したレシピの数々で、その全ての製造方法と現物を一緒に献上されたと聞く。
まだあるわよ。他にもコーター卿が献上されたのは、まだまだ沢山あるの。
井戸汲みを楽にする為に造られた手押しポンプ、風邪の症状を軽減させる薬のようでいて菓子のような薬玉(別名、飴玉)、今では冬に欠かせない丸一日は暖かさが持続する豆炭行火、使用目的は豆炭行火と同じだが持続時間が短い湯タンポ、蚤や虱だけをピンポイントに薬殺する薬水液、真夏には鬱陶しい存在である蚊を薬殺する蚊取り線香、などなどとコーター卿が製造方法も一緒に献上された品々によって飛躍的に生活水準が向上しているわ。しかも凄いのは、これらの品々が平民にも手が届く値段設定にされてある事よ。
コーター卿が開発した全ての品々は、その製造方法も献上されたという事実があるので、その全てが王家直轄の事業となって国庫を潤している。そしてその国庫から灌漑事業を筆頭とした数々の災害対策など、他にもバリスタの製造や設置費用などに資金が使用されていて、あらゆる意味でムーティッヒ国は飛躍しているのが現状なの。
最早、この波を生み出しているコーター卿は聖人としか思えないわ。私利私欲の為にではなく、国の為に、国民の為に、皆が笑顔を浮かべて過ごせる日々の為に自分の力を発揮し続けるコーター卿は、まさに聖人そのものとしか思えないもの。
ただし、そんなコーター卿に苦い思いを抱いている面々も存在する。それは国家に属しない者達であり、薬師ギルドや商人ギルドと言った者達ね。それと、宗教組織もコーター卿を良く思っていないらしいわ。
彼らが何故コーター卿をと疑問に思うのかもしれないが、これにはちゃんとした理由があるの。まぁ、そうは言っても糞みたいな理由なのだけれどね。
その理由ってのが、全ての品々の製造方法は漏れなく全て献上しているので、薬師ギルドであれば石鹸、薬玉、薬水液、蚊取り線香などの製造方法をコーター卿から買い取る事が出来ないからなの。もしコーター卿から買い取ろうとしても、国を無視してやれば大問題になってしまうからよ。ムーティッヒ国が王家の国家事業としてしていなければ、コーター卿から製造方法を買い取る事や著作権を利用して一部の売り上げを確保するっていう手法も取れたのでしょうけど、それらが全て出来なくてコーター卿を僻んでるのが現状なの。商人ギルドも似たような感じね。
その一方で宗教組織はと言うと、高い額のお布施を支払わねば魔法で治療してくれないが、コーター卿の開発した薬ならば安価に手に入り効果も直ぐに実感出来るので、平民が挙ってコーター卿の名を広め始めているからという実に下らない理由で宗教組織がコーター卿を嫌っているらしいの。それ程に嫌ならば、高額のお布施を要求せず、わざと完全に治療させず中途半端に治療を終わらせたりしなければ良いのよ。
嫌な連中の事を考えたせいで暗い気持ちになってしまったから、それを払拭するべく戦の事後処理という書類仕事に精を出しつつ香水を使用する。
「はぁぁぁ。……良い香りだわぁ」
香水って本当に素晴らしいわ。これを造ったコーター卿は天才よ。
無数の書類に嫌になる時も、これ一つで気分転換になるし、突然の来客に自分の体臭を気にせずにも済む。そしてこれまたコーター卿が開発した菓子の数々が、僅かなひとときを潤し、仕事に疲れた私の心の清涼剤となってくれる。
私はこのムーティッヒ国でも結構美しいと評判なのだから、コーター卿のような素晴らしい人を婿に迎え入れられはしないものでしょうかね。
あのように聖人かの如く活躍する人なのですから、ライバルは多いと思うのですけど、少しはチャンスがあるのでは?
客観的に見てルックスは良し、性格も自分で言うのは恥ずかしいが良いですし、頭も良いと自負しております。それに、コリック伯爵家の当主として相応しい教育も受けておりますれば、やはりコーター卿と結ばれたとしても不思議ではないと思うの。
一度で良いからお会いしてみたい。今回の戦の報告や戦勝パーティーに呼ばれるでしょうし、その時にお会い出来れば良いのだけれども。
そう考えると少し体が火照ってしまいました。ブランデーやウイスキーを飲んだ訳では無いのですが、殿方を想って火照るなど淑女にあるまじき事ですね。
それは兎も角として、陛下への報告はどうすれば良いのでしょうか?
バリスタが凄すぎて、クゥーラの重歩兵を苦もなく掃討しましたし、どう報告すれば良いのか迷ってしまいますわね。何も言葉を飾らず、そのままに報告しても良いのかしら?
ストライカー公爵「コーター卿は真の天才だな」
ヘッジ伯爵「恐ろしい。コーター卿はどれだけの冷血漢なのだ。まるで悪魔ではないか」
コリック伯爵「負傷者は出ましたが、死者が一人も出ず嬉しい限りですわ。それもこれもコーター卿のお陰ですわね。
きっと聖人のような人なのでしょう。お会いしたいわぁ、コーター卿」
コーター「ストライカー公爵の評価は面映ゆいけど嬉しい。でも、ヘッジ伯爵やコリック伯爵の評価はちょっと………。何でそうなるの?受け取りてが代わると、そんなに評価って変じるものだっけ?」




