カリストによる哀れな襲撃者の末路
岩影から飛び出してきた男は湖から上がったばかりのクリスの顔前に剣先を突きつけた。
「動くな!」
クリスは無表情のまま声も出さずに静かに男を観察した。身なりは整っており、長距離移動しやすい簡易式の鎧を着ているが、隙なく剣を構える姿勢から腕の立つ剣士のようだ。
「食べ物をお持ちでしたら少し分けていただ……あ、いや! そうではなく……そう! 荷物を全てもらう! 怪我をしたくなければ、動くな!」
前もって決めていた言葉を棒読みで言ったような台詞だった。強盗に慣れていない様子と、物腰がどこか上品なところから訳ありな雰囲気がある。
いつものクリスなら無難な会話から相手の状況を聞きだして対処するが、今はそれどころではなかった。
全身が濡れているクリスの体に山の冷たい風が吹きつけてくる。このままでは体が凍る。
そう判断したクリスの行動は早かった。
「カリスト!」
名を叫ぶと同時にクリスの影から食事用のナイフが飛び出した。
「なに!?」
予想外の攻撃にナイフを避けながらも剣士が一瞬怯む。そこに空からルドが降ってきて、剣士を踏み潰した。
この展開には影から顔を出しかけていたカリストも思わず止まる。
「クリス様?」
影から顔だけを出して主の指示を待つ執事にクリスは大きく息を吐いた。
「とりあえず出て来い。面倒なことになりそうだからな」
「はい」
カリストはクリスの影から出てくるとマントを拾ってクリスの肩にかけた。
「体が冷え切る前に小屋へ行きましょう」
「そうだな」
二人で歩き出しそうだったためルドが慌てて止める。
「ちょっ! 師匠! この人はどうするんですか!?」
空から飛んできたルドは不意打ちの攻撃で剣士を無力化し、手際よく縛り上げていた。
「面倒だが連れて来い。そこに隠れているヤツもだ」
クリスは剣士が飛び出してきた岩影に声をかけたが返事はない。クリスが少しイラついたように言った。
「さっさと出て来ないと、こいつを……」
「私は一人だ! 誰もいない!」
剣士がクリスの言葉を遮る。クリスがこめかみに怒りマークを浮かべた。
「私はさっさと温まりたいんだ。余計な時間をかけさせるなら……」
「何度も言うが私は一人だ! 煮るなり、焼くなり好きにしろ!」
勇ましく叫ぶ剣士を横目にクリスがカリストに命令した。
「アレをやれ」
「はい」
カリストがどこからか黒い箱を取り出すと、ルドに言った。
「何があっても動かないように、しっかり押さえていて下さい」
「はい」
「な、なにを……や、やめ! なにをするっ!? そんなこ……うわっ!?」
剣士の悲痛な声が消え、クリスが再び岩影に向かって声をかけた。
「出て来なければ、このまま馬に乗せて市中を引きずり回るからな」
「そ、それだけはお止め下さい!」
岩影から人が一人出てきた。頭から布を被っているため顔はよく見えないが、声からして若い女性のようだ。荷物を抱えているのか、胸からお腹が不自然な形に膨らんでいた。
「出てきてはいけません!」
剣士が必死な顔で訴えたが、その姿に全員が顔を逸らした。剣士の顔は原型がわからないほど化粧に埋もれていたのだ。
顔全体は真っ白な白粉で人間ではなく人形のような肌色になり、灰色の瞳の周囲は黒のアイラインでパッチリにされた上に紫のアイシャドウをたっぷり塗られていた。頬はパステルピンクで華やかになっているところに、毒々しい赤が唇を彩っている。
そのうえ、ご丁寧に縛られた縄の上からフリフリのフリルが大量についたドレスまで着用され、頭には巨大なリボンが飾られていた。
女装しようとして化粧が濃くなりすぎ、哀れな末路になった男、にしか見えない剣士がそこにいた。元がそこそこ整った男前な顔立ちだったため、余計に残念感が激しい。
この剣士の真面目そうな性格からして、この姿で人前に出たら精神的に生きていけなくなるだろう。そんな辱めを受けるぐらいなら、いっそ殺してくれと叫ぶに違いない。いや、もしかしたら自害するかもしれない。
だが幸いなことに、まだ剣士は自分がどんな姿になっているか知らない。今はまだ。
やっと出てきた若い女性にクリスが命令をする。
「なら大人しくついてこい。話ぐらいは聞いてやる」
こうして直視できない強盗未遂剣士と訳ありそうな若い女性を連れて、クリスたちは小屋へと移動した。
小屋に入ったクリスは暖炉の前を陣取って若い女性の方を見た。部屋の角の柱に括りつけられている剣士の方には顔も向けない。剣士を見ると笑ってしまうから、という理由ではない、たぶん。
「まずは座れ」
クリスが若い女性に椅子を勧めるが、縛られた剣士を気にして座らない。
「あいつがどうなるかは、おまえの行動次第だぞ」
クリスの脅しに若い女性が恐る恐る椅子に座る。
その前ではカリストが悠然と紅茶を淹れている。茶葉と香辛料の匂いが漂う。
カリストがカップに紅茶を淹れると白い湯気が立った。温かそうな紅茶をカリストが配っていく。
クリスはカリストから紅茶を受け取ると、ゆっくり口に含んだ。冷えた体に温かい紅茶が染み渡る。
若い女性の前にもカップが置かれたが動かない。クリスが声をかけた。
「毒は入っていない。薬草が入っているから少し独特な味はするが、体は温まるぞ」
ルドが一口飲んで頷く。
「少し辛い感じがしますが、その分砂糖の甘味もあって美味しいですね」
若い女性が戸惑っていると、胸の辺りがもぞもぞと動いた。そして泣き声のような小さな声がした。若い女性が慌てて隠すように後ろを向く。
カリストが別のコップと皿を女性の前に置いた。
「牛乳を少し温めて蜂蜜を入れております。飲めるようならあげて下さい。あと、こちらもどうぞ。焼かずに蒸して作ったパンですので柔らかくて食べやすいですよ」
振り返った若い女性が碧眼を丸くしてカリストを見る。体が温まったクリスが立ちあがりながら言った。
「ずっと抱いていたら疲れるだろ。子どもも窮屈だぞ。カリスト、私の着替えは?」
「あちらの部屋に用意しております」
「着替えてくる。くつろいでいてくれ」
クリスが奥にある小部屋に消える。ルドが困ったように笑いながら若い女性に説明した。
「あぁ見えて、あなた方のことを心配しているんですよ。特に子どもはお好きなようですから。それに困った人を見ると助けたくなる性分なんです。よければ話してみませんか?」
「そう言われましても……」
若い女性が困っていると、胸から小さな手が伸びてきた。顔を出してコップを取ろうとする。それを柱に縛られた剣士が叫んで止めた。
「それに触ってはいけません!」
小さな手が布の中に引っ込む。そこに着替えを終えたクリスが戻って来た。片眉を上げたその顔は明らかに怒っている。
「毒が入っているかもしれない、と警戒するのは分かる。だが怒鳴ることはないだろ」
クリスが若い女性の前に置いているコップの中の牛乳を空のコップに少しだけ移した。そして剣士の前まで持っていき、コップを突き出した。
「そんなに心配なら、おまえが毒見を……ブッ」
剣士は真剣な表情でクリスを睨んでいるが、それよりも化粧の迫力のほうが勝ってしまう。クリスは思わず笑いそうになったが顔を逸らして、どうにか堪えた。
「なんだ!? なにかあるのか!?」
「い、いや、なんでもない。とにかく、飲んでみろ!」
クリスは顔を逸らしたまま剣士の口にコップを押し付け、強制的に飲ませた。
「毒が入っているか?」
クリスの質問に剣士が唸る。蜂蜜のほのかな甘さを感じる普通の牛乳だ。これなら子どもは喜んで飲むだろう。
「……いや」
「ろくに食べさせていないんだろ?欲しがっているぞ」
子どもが布の隙間からチラチラと伺っている。
「空腹でも、おまえの言葉を守っている。警戒もしていて小さいのに賢い子だ。そんな子におまえは何が出来た? この結果はおまえが不甲斐ないからだろ? なら、せめて温かい飲み物と食事をとらせてやれ」
クリスの言葉に剣士が項垂れる。
「そうだ。全ては私の力が至らないばかりに……」
落ち込む剣士に若い女性が立ち上がって声をかける。
「そのようなことはございません。バルタがいなければ、今頃私たちは……」
「その話はあとでいい。まずは子どもに飲み物と食事をとらせろ」
クリスの怒りを含んだ声に女性が慌てて椅子に座ると、被っていた布を取った。




