麗人による悦楽な遊び
セルシティが珍しく真面目な顔になった。
「例の事件の黒幕についてだ。いくら元王子とはいえ、いや元王子だからこそ、数多くある検問を突破して、この街に侵入することなど普通はできない」
「つまり誰かが手引きをした。しかも、この国でそこそこの権力を持つ誰かが、ということか」
クリスの言葉をセルシティは否定しなかった。
「どうやら私の存在を快く思っていない輩が中央にいるらしい。ただ、私に直接手が出せるほどの権力はないから、このような事件を起こして私が失態することを狙っているようだ。あと、こうして私の周囲から崩して力を削ごうとしているらしい」
中央とは帝都にある王城で政治に関わる仕事をしている者のことである。大抵は腹に一物を抱えた人間が多いが、王家には忠実な者が多いので基本は放置されている。
「それは大変だな」
完全に他人事の雰囲気で話を聞いているクリスにセルシティが困った表情になる。
「勘がいい君だから気付いているんだろう? そちらにある情報をわけてくれないかな?」
クリスが深緑の瞳を前に向けると、紫の瞳がまっすぐ見つめてきていた。
目が合うと小首を傾げて、おねだりをするように上目遣いで視線を送ってくる。甘く蕩けるような顔立ちは絵本に出てくる王子様そのものだ。
大抵の女性であれば惚けてしまうようなセルシティの顔に対し、クリスは苦々しそうに眉間にシワを寄せた。
「情報が欲しいなら、計算して作った顔はやめろ」
「おや、お気に召さなかったかい? 大抵の人間はこれで落ちるんだけどね」
そう言ってセルシティがクスクスと笑う。そんなセルシティにクリスはため息を吐いた。
これなら、まっすぐ素直に感情を表してくる犬のほうが、まだ可愛らしいな。
クリスの脳裏にポンッとルドの顔が浮かぶ。そこでクリスは浮かんだ映像を消すように激しく頭を振った。
「どうしたんだい?」
セルシティが不思議そうな顔で見ている。
クリスは慌てて意識を戻すと、背中を背もたれにつけて態度を大きくした。
「オンディビエラ子爵を調べてみろ」
思ったより早く情報を引き出せたことにセルシティが驚く。
「もう教えてくれるのかい?」
「私はおまえのように暇ではないんだ」
「でも治療院研究所はしばらく休むんだろ?」
「研究所は休んでも、やらなければならないことは、いくらでもある」
「そうかい。で、そのオンディビエラ子爵を調べる理由は?」
「私のことをいろいろ調べていたようで、その時に中央の者が接触している」
「ん? 中央の者から接触してきたってことかい?」
「そうだ」
中央で働くことは一種の社会的地位の象徴であり、憧れでもある。だからこそ王城で働いている者は自己意識が高く、自分から見ず知らずの地方民に接触するということは滅多にない。たとえ相手が貴族であろうと。
セルシティが満足そうに頷く。
「それは調べる価値がありそうだ」
「情報は以上だ。用が終わったなら、さっさと帰れ」
クリスがセルシティに手で追い払う動作をする。無礼な態度に近衛騎士の手が剣にかかるが、それをセルシティが制する。
「これぐらいのことは気にするな。それより」
セルシティが紫の瞳を細め、声を低くしてクリスに言った。
「例の事件でなかなか無理をしたらしいな」
クリスは無言のまま答えない。
「奴隷を助けるな、とは言わない。だが、世界を見ろ。助けを必要とする人は何千、何万といる。全員を助けようとすれば、君の方が先に潰れるぞ」
セルシティからの本気の忠告に、クリスは背もたれから体を起こした。
「カリストがいた国ではエンという言葉があるそうだ」
話の繋がりが見えなかったが、セルシティは黙ってクリスの言葉に耳を傾けた。
クリスが人差し指で円形を描きながら話す。
「エンには、丸を意味する円や、人との繋がりを意味する縁などがある。私の一族は、あの時あのままだったら衰弱して、私が生まれる前に絶滅するところだったと聞いている。それを祖母が狭い円から飛び出し、この国で縁を創り、円を広げた。そのおかげで一族は絶滅を免れ、命を繋いだ。その結果、私は生まれ、こうしてここにいる。エンとは、どこでどう繋がり、どのような結果をもたらすか分からない」
セルシティは相づちも打たず、ただ黙って聞いている。
「私は全ての人を助けることは出来ないし、そんな力もない。それは分かっている。ただ目に留まった人だけでも助けたいと思ったのだが、それは贅沢か?」
深緑の瞳がまっすぐ見つめてくる。セルシティは紫の瞳を伏せると、大きく息を吐いた。
「……贅沢だな。やりたいことがやれる。それは、とても贅沢なことだ」
クリスが自信に満ちた笑顔になる。
「では、その贅沢を全力でやらせてもらおう」
セルシティが呆れたように言った。
「好きにすればいい」
「安心しろ。迷惑はかけない」
「少しぐらいはかけてもいいのだぞ?」
クリスが肩をすくめる。
「おまえに貸しを作るものほど怖いことはない」
「そうか」
セルシティが楽しそうに笑っていると、カリストがクリスに声をかけた。
「犬が来たようですね」
クリスが一瞬立ち上がりそうになったが、思い直して椅子に座った。
そのことにセルシティがニヤリと笑う。
「ほう? 朝早くからルドは熱心だな。さて、私はそろそろお暇しよう」
セルシティが立ち上がるが、クリスは気にすることなく食事を再開した。
「今度、用事がある時は私を呼び出せ。おまえがここに来たら使用人たちが仕事にならん」
「そうか。ならば、次からは気を付けよう」
「前も同じ台詞を言ったぞ」
「そうだったかな?」
セルシティがとぼけながら廊下に出ると、ルドと鉢合わせした。
「セル!? どうしてここに!?」
予想外の人物の出現にルドが臨戦態勢になる。その様子にセルシティが意味ありげに笑った。
「おはよう、ルド。いや昨日の夜、世話になってな。朝食を食べ終えて、これから帰るところだ」
「は? 夜?」
困惑しているルドの耳元でセルシティが囁いた。
「クリスのベッドは、なかなか寝心地が良かったぞ」
「え? どうい……ベッド!? えっ!? なっ!?」
首を傾げていたルドが何かに気付いたのか、突然顔を真っ赤にして叫んだ。
「師匠のベッドとは、どういう意味だ!?」
「他人のベッドで寝る目的など、そう多くないだろ」
「なっ!?」
ルドが真っ赤な顔のまま口をパクパクと動かすが声が出ない。そこにクリスが飛んできてルドの腹を蹴った。
「なにを想像している!? なにを!」
「え? あ! 師匠!?」
なぜか涙目になっている琥珀の瞳に見つめられ、クリスはセルシティを睨んだ。
「おまえも! ないこと! ないこと! 言うな!」
「何もないんですね!」
嬉しそうなルドの声にクリスが怒鳴り返す。
「あってたまるか!」
「いや、ちゃんとあったことも言ったよ」
「何があったんですか!」
クリスの両肩を持って迫ってくるルドの顎をクリスが殴る。
「落ち着け! セルティもこれ以上引っ掻き回すな!」
「そうかい。じゃあ、そろそろ帰るよ」
「とっとと帰れ!」
「セル! 師匠に何をしたんだ!」
「何もされとらん! 朝食を一緒に食べただけだ!」
クリスがゲシゲシと何度もルドを蹴る。セルシティは楽しそうに笑いながら屋敷を出て行った。
「あ、あの師匠? 本当になに……」
「しつこい!セルティは今朝いきなり飯を食わせろとやって来たから、食わせてやっただけだ!それ以外はなにもない!」
セルシティの姿が見えなくなっても訊ねてくるルドにクリスの蹴りが鋭さを増す。
「そもそも男同士で何があるというんだ!」
クリスの発言にルドの顔がキョトンとなり琥珀の瞳が丸くなる。
「師匠、知らないのですか?」
ルドのあまりに間抜けな表情に蹴りをいれていたクリスの足が止まる。
「どういうことだ?」
「男同士だからこそ、あるんです」
「は?」
今度はクリスの間抜けな声が響いた。




