師匠による無自覚なデートのお誘い
何も知らない様子のクリスにルドが淡々と説明を始めた。
「戦場に女性は連れていけません。だから騎士や指揮官は自分の相手をする男を連れていきます」
戦とは常に生死の境にあり、過度の重圧がかかっている。そして、そういう場合だからか、自分の子孫を残そうとする本能が強く働く。
人肌も恋しくなり処理したいと思うが、戦場に戦力にならない女性は連れていけない。それなら、戦力にもなり夜の相手にもなる男を連れていけばいい、という発想が遠い昔に生まれ、現在まで引き継がれている。
クリスは静かに訊ねた。
「……噂には聞いたことがあったが、本当に戦場で行われているのか?」
「はい」
ルドがまっすぐな視線を向けたまま頷く。クリスは脱力して、その場に座り込み、額を押さえて俯いた。
「専属の治療師として一緒に戦場に来るように、しつこく誘ってくる騎士が何人かいたが、それも目的だったのか」
クリスがいら立ち混じりにため息を吐いた。だが、その言葉を聞いたルドの気配が一瞬で変わる。
「師匠、その騎士たちの名前は?」
そこに今まで軽くクリスに蹴られていたルドの姿はない。
声は不気味なほど落ち着いているが、それが逆に恐ろしい。濁った水の底にたまった泥のように重く暗い気配を漂わせ、殺気を押さえている。得体の知れない恐怖で、普通なら目を合わすどころか、顔を見ることさえ出来ない状態だ。
そんなルドの姿に、クリスは再びため息を吐いた。そして軽い動作で立ち上がる。
「過ぎたことだ、気にするな。それに……」
クリスが右手をルドに向けて伸ばした。琥珀の瞳には深緑の瞳が映っている。
「私がそんな輩に好きにさせると思うか? 身を守る術なら、いくらでも持っている」
「その過信が仇にならなければいいのですが」
心配しながらもルドからドス黒い気配は消えない。
クリスが無言でルドの左耳のピアスの痕に触れた。普段のルドなら慌てて戸惑うところだが、表情は固いままで動く気配さえない。
そんなルドにクリスが不敵な笑みを向けた。
「あと今はおまえの魔宝石も持っている。何かあっても魔宝石が私を守るのだろ?」
首を傾げてクリスが確認する。その姿と言葉にルドの雰囲気が一変した。暗く淀んだ空気は一瞬で霧散し、爽やかな風が走り抜ける。
「そうですね! 自分の魔宝石が師匠を守ります!」
嬉しそうにルドが笑う姿に、クリスは手を離して背中を向けた。
「預かり物だがな」
「ですから! 預けたつもりはないです!」
歩き出したクリスの後ろをルドが追う。すると正面からカリストが歩いてきた。
「無事に帰られました」
その言葉にルドがハッとする。先ほどまで屋敷を包んでいた緊張した雰囲気が消え、いつもの穏やかな空気が流れていた。
この屋敷の平穏な生活で忘れてしまいそうになるが、ここにいる使用人たちは全員奴隷である。自分たちの国を侵略し、奴隷にした国の王族が目の前に現れれば、誰かが攻撃してもおかしくない。
だが、そのようなことをすればクリスが全ての責任を負うことになる。最悪、死刑だ。それは使用人たちも理解している。恨みも強いが、それ以上にクリスに恩があり自制しているのだ。
それでも誰かが不意に攻撃するかもしれない。だから、あの罠はセルシティを守るために仕掛けられたものだった。
そのことに気付いたルドが周囲を見回す。屋敷に来た時は人の姿も気配もなかったが、いつの間にか使用人たちが出てきて普段通り仕事をしている。
クリスがカリストに言った。
「朝から嫌な気分になった。散歩に行ってくる」
「どちらまで?」
「湖まで」
その言葉にカリストの黒い瞳が一瞬丸くなったが、すぐにいつもの表情に戻った。
「お気をつけて」
カリストが頭を下げる前でクリスがルドの赤髪を掴む。
「行くぞ」
「え?」
ルドは赤髪を引っ張られたまま連行された。
「どこに行くんですか!?」
ルドは襟足から伸びた赤髪を引っ張られ、前屈みで歩きにくい姿勢のままクリスについて行く。クリスは厩の前まで来ると、馬の世話をしている左腕がない御者に声をかけた。
「ちょっと出かけたいんだが、いいか?」
「どこへ行かれるんっすか?」
「湖に」
左腕がない御者が眉間にシワを寄せる。
「ちょっと遠くないっすか? それに馬だと途中までしか行けないっすし」
「こいつがいるから問題ない」
クリスがルドを差し出すが、左腕がない御者の顔が増々険しくなる。
「いや、いるほうが問題だと思うっす」
「問題になれば私が消す。それでいいだろ」
クリスの言葉に左腕がない御者が肩をすくめた。
「物騒な話っすね。無理はしないっすか?」
「あぁ」
「途中までっすよ」
「それでいい」
「馬車を持ってくるんで待っていて下さい」
左腕がない御者が小走りで駆けていく。黙ったクリスにルドがおずおずと声をかけた。
「あ、あの、師匠? これからどこかに行くのですか?」
「ついて来れば分かる」
そう言われると、ルドはそれ以上聞けなかった。
少しすると二頭の馬が二列になって計四頭の馬が引く馬車がやってきた。屋根がなく、四人乗りぐらいで、人が乗る部分は大きくないのに、馬を四頭も使って引く理由がわからない。
ルドが馬車を観察していると、クリスがルドの襟足から長く伸びている赤髪を引っ張った。
「乗るぞ」
二人が向かい合うように椅子に座ると、馬車はガラガラと出発した。屋根がないため風が直接当たる。風は少し冷たいが日差しが温かく気持ちがいい。
馬車は街から離れ、山の中へと入っていく。
「結構、遠くまで来ましたね」
止まる様子がない馬車に揺られながらルドが呟く。クリスは視線の先にある山を指さして言った。
「目的地はあの山を越えたところだ」
「へ?」
ルドは思わず言葉を失った。クリスが指さした山は、国の柱と言われるほど高く険しい山脈で有名なのだ。とても、このような軽装で挑む場所ではない。
そんな山脈をクリスはちょっと隣の町まで、という感じで言った。
「あ、あの、師匠。本当にあの山を越えるのですか?」
「あぁ。あと、あの山脈を越えた先に私の領地がある」
「師匠の領地が? あそこに?」
この国は比較的温暖だが、それはあの山脈を境にしている。あの山脈の向こうは夏でも寒く、植物はあまり育たない不毛の土地と言われており、領主になりたがる人もいない。そんな土地の領主をしているとは思わなかった。
驚いているルドにクリスが話を続ける。
「〝神に棄てられた一族〟のことは知っているか?」
ルドはこの前の事件で悪魔がクリスに向けて言っていたことを思い出した。
「そういう一族がいるということは聞いたことがあります。遠い昔、神がある一族を金髪、緑瞳の子しか生まれない呪いをかけて、地上から追放した。その一族に関われば神の呪いを受けるとか、災いを受けるとか、国が亡ぶとか、いろいろ聞いたことがあります」
「なんか知らない尾ひれまで付いているな。とりあえず、ご丁寧に一族の人間であることが一目で分かるような呪いをかけたことは本当だ。それで、追放された理由は知っているか?」
「詳しくは知らないです。禁忌を犯したとか、なんとか……」
「ま、そんなもんだろうな。禁忌もなにも犯してないが」
「そうなんですか?」
会話をしていると山の中腹に広場が現れた。小さな小川と芝生があり、眼下には街が一望できる。小川の途中に水がたまっている場所があるが、湖というより池だ。
ゆっくりと馬車が停車する。
「ここですか?」
「いや、ここは中継地だ」
左腕がない御者が振り返った。




