15 【ユメ ノ ツヅキ】
※過去話です。
※本文内に挿絵があります。
※BL入ります。
著作者:なっつ
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あの日。
濃紺の空には白い月が輝いていた。
零れ落ちる銀色の光が彼女に降り注いでいる。髪に、頬に、肩に。まるで彼女自身から発しているようにすら見える。
ああ、そうだ。
彼女は「月」。
月の対になるのは太陽かもしれない。
だったら僕は星でいい。
ずっとその月のそばにいる、地上から見上げても月の光に掻き消されて存在すら気づいてもらえないような、それでもずっと寄り添っていられる小さな星でいたい。
太陽は、月の隣には相応しくない。
「あの」
僕は意を決して彼女の手を取った。
「一緒に、」
僕と一緒にこの城を出て、それが彼女のためになるのかは知らない。いやむしろ「ならない」と断定できてしまう。
身分も金も恩恵も失い、魔界に住むことすらままならず。そしてもし途中で連れ戻されて紅竜様の元へ嫁ぐことになったとしても、もうきっと以前のようには可愛がってはもらえない。
彼女にとってはデメリットしかないことを承諾してくれるはずがない。それはわかっていた。
それでも、言わずにはいられなかった。
僕に取られた手を見、彼女は囁く。
「ご存じですか? ……左手の握手は、お別れをする時に使うんです」
その声に、僕も視線を落とす。
左手だ。握手のつもりではないのだけれど、一緒に行こうという台詞と共に取るべきではない手なのだろう。
そして、それがもし右手だったとしても――。
彼女は俯いたまま、その手に自身の右手を重ねる。
「次に会ったら、また、月を見ながら話を聞かせて」
きゅ、と握った手は、僕の右手と彼女の両手。
彼女は、僕の手を取るつもりはない。一緒には行かない。
僕が彼女の右手を取ったのだとしても結果は同じ。
ねぇ。左手を使わなければ「お別れ」じゃない、って、それはただの欺瞞じゃないの?
次、があるの? ないでしょう?
その時の僕はそう思った。
でも。
左手の握手じゃないんだから。
次に会ったら。
次に会えたら。
そう……ずっと支えにしてきたのも、僕のほうだったのかもしれない。
また、会えたよ。
私は心の中で呟く。
あの日、あなたが両手をくれたから。
あなたが託してくれた鳥が、私を導いてくれたから。
「……グラウス?」
彼は訝しげな眼差しで私を見る。
「グラウス……」
思案気な顔で何度も繰り返す。これから毎日のように彼の口は私の名を紡いでいく。
「はい。青藍様」
そして私も。
あの日、とうとう教えてもらえなかったあなたの名を、こうして呼ぶことができる。
困ったな。それだけでこんなにも頬が緩みそうになるなんて。
「ああ、例の執事?」
「はい」
私は新しい主の前に跪いた。手を取って、その甲に口づける。
「……!!」
彼が声にならない声を上げた。とっさに引っ込めかけられた手を強く掴む。
掴んだまま見上げると、半歩身を引いた彼が引きつった顔で立っていた。今までの冷血な百戦錬磨の魔王ではなく、蒼い目の領主様が。
さっきまでの猛々しい戦意は紅い瞳と共に消えてしまったのか、目を大きく見開いて絶句している。
纏う空気が違うだけでここまで印象が変わるものなのか。これなら奥様連中に「かわいい」と言われても納得がいく。
「またお会いできて光栄です」
立ち上がって手を離すと彼は慌てて手を引っ込めた。後ろに隠す仕草はまるで子供のようだ。
「ど、何処かでお会いしました……っけ?」
なぜ敬語。
思わず笑い声を上げそうになって、奥歯を噛んで押し殺した。
ここまで動揺されるとかえって苛めたくなってしまう。
今のあなたも、からかったらあの日のように頬を染めるのだろうか。感情をぶつけてくれるのだろうか。
笑って。
怒って。
拗ねてくれてもいい。
人形のようだったあなたに比べれば、そのどれもが愛おしい。
「はい。紅竜様が当主に就任するお披露目の夜会で」
「兄上の?」
私の言葉に、彼は目を瞬かせる。
「兄上の夜会、の時は……俺、いない、よ?」
彼は私より少し背が低い。こんなに近くにいると彼が私を見上げる形になる。
同じだ。あの時と。
腕の中で笑った「彼女」と。
なのに。
「誰かと間違えてない? 俺は知らない。お前には会ったこともない」
シャリ……ン、と耳の奥で音が鳴った。
とっさに、私はポケットの上から、その中にしまい込んであるものを確認する。
ある。落としてはいない。
ならば今のはなんの音だろう。
まるで何かが零れ落ちたような、悲しい音色だった。
「何を、仰っているんです? ほら、紅竜様が当主になられるって夜会を開かれたことがあったでしょう? あの日に会ったじゃないですか。
あなたは耳飾りを落として、階段で転んで、それで一緒に、」
まくしたてる自分に、彼は困ったように眉を下げる。
「あの日は……ずっと部屋にいて、」
「嘘だ!」
知らないなんて嘘でしょう?
ここには誰もいない。黒服の男たちもいない。そんな嘘はつかなくていいんだ。もう。
「あの日、話をしたでしょう? 月はどうやって輝くのか、とか、兄君に血筋のことで酷いことを言われている、とか」
「兄上はそんなこと言わない」
「近付いたら殺される、って」
彼はただ首を振る。
「私を逃がしてくれた。ほら、これを見て」
「これ、は」
差し出したイヤリングに動揺する。だがそれは私が何故その紋章を持っているか、と言うところでのようだ。自分が渡したとは思っていない。
「思い出して」
忘れてしまったんですか? もう15年も前のことだから。あなたには大した思い出でもなかったから。
でも、思いだして。わがままだってわかっているけれど。就任初日に「ご主人様」に掴みかかって自分は何をやっているのだろうと思うけれど。でも。
「わからない……わからないよ、お前が何言ってるのか」
「また会おうって、また月を見ながら話しようって!!」
何故だ。
何故覚えていない。
「え、と……本当に……」
「忘れてしまったんですか!?」
もう会えないって思いながら、ずっと探していたんだ。何年も。
見つけ出したのは、彼女ではなく、彼だったけれど。
『そう言えば今度魔王役に就任すると聞いたが』
『できるのかねぇ、あの綺麗なだけのお姫様に』
姫。
そう。彼は、私の姫だ。
それなのに、私の身代わりになった「彼女」は、私を、あの夜を覚えてはいない。
忘れて――いや、
ワ ス レ サ セ ラ レ テ。
―― 殺 サ レ テ シ マ ッ タ。
ぞくり、と体の芯が凍りついてしまったような気がした。
なんだ? 今の。
ふいに浮かんだひとつの言葉は、どろりと私の中を浸食していく。
優しい思い出が……真っ赤に染まっていく。
忘れ、「させられた」。
『死んじゃうから……っ』
「僕」を生かすために、「彼女」は。
殺されてしまった。
私の代わりに、あの夜の記憶が。
あの夜の「彼女」が。
『また会えたら――』
私のあの人は。
もう、いない……?
「ごめん。でも本当に覚えてなくて」
この町であなたが笑うと聞いてほっとしたんだ。
でも私の罪が消えたわけではなかった。私は、制約を犯した罪と私自身の命の代償として、一番大切なものを失ってしまった。
目の前の彼は「彼女」であって「彼女」ではない人。その笑みも、その悲しみも。
膝の力が抜けた。
彼の両肩を掴んだままずるりと落ちかけ……縋りつくわけにもいかず、膝のバランスだけで辛うじて立つ。
壊れた機械みたいに膝ががくがくと揺れる。息が、できない。
駄目だ。
今更何をしても、もう「彼女」に会うことはできな――。
つい、と何かが髪を通り抜けた。
おそるおそる見上げると、「彼」が指先で私の髪を梳いている。
幼子をあやすように、何度も、何度も。
「人違い、だよ。お前が探している人はきっと何処かにいる」
綺麗な髪だ、とあの人はこの髪を梳いてくれた。
この手で。この、同じ手で。
――私は。
ふふ、と少し悲しげに笑うその笑みをすくい上げるようにして抱きしめた。
腕の中で固まってしまった彼に、心の中で詫びながら。
ごめんね。身代わりにさせてしまった。
ごめんね。守れなかった。
ごめんね。
……やっぱり、諦められないんだ。行き着く先が破滅でも。
「え、っと。俺はどうしたら、」
「すみません。でも、もう少しだけ」
「……うん?」
あなたに全てを捧げよう。この身も命も、全てはあなたのためだけに。
だから、笑って。笑っていて。
此処から始めましょう、あの夢の続きを
あなたと、この遠い世界の果てで
いつかは
脆く崩れてしまうかもしれないけれど
今は、ずっと――。





