1 【遠い日の記憶】
「魔王様には蒼いリボンをつけて」Episode6。
時はEpisode5よりさらに前、メフィストフェレス本家に青藍が連れて来られた頃に遡る。
次期当主になると言われていた紅竜の前に現れた弟は、彼よりずっと高い魔力を持っていた。
折しも魔界は能力至上主義。
弟の教育係に父の側近ふたりが付けられていることを知った紅竜は。
そして彼の理解者であったキャメリアは。
知らないところで思惑は入り混じっていく。
※過去話です。
※本文内に挿絵があります。
著作者:なっつ
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魔法をかけましょう。
このうんざりした永遠の世界に。
どんなに澄んだ水だって、何百年も何千年もそこに留まれば濁るのです――。
「あなたは認められたいのよ」
晩秋、と言っていい頃合いだっただろうか。
少し軋む窓硝子を開けながら彼女はそう言った。
「日射しが、」
「大丈夫よ。もう、こんなに弱いのだもの」
書類にペンを走らせていた紅竜は、夕日の射し込んだ室内にその手を止めた。
窓際に立つ彼女の頬が、陽の赤みを受けて薔薇色に染まっている。青白いほどの肌が彼女の一族本来の色ではあるが、偽りであるとは言え、その血色の良い肌色は昔の彼女を思い出させる。
幼馴染みと呼ぶより兄妹と呼べるほど近くにいた彼女は、ヴァンパイアの一族の姫。
お互いに古い血族同士ということで何代も前から親交があったからか、彼女はこの城を第2の家と言っても過言ではないほど、頻繁に訪れていた。
私軍の業務を任されるようになってからはあまり彼女の相手をすることもできなくなったのだが、それでも彼女は以前と同じように予告もなくやって来てはいつの間にか帰っていく。
業務に支障が出ないよう彼女なりに気を遣ってくれているのだろう、と思う一方、会話らしい会話をすることもなく姿を消す彼女に、それでいいのかと思うことも多い。
「……やはり毒だろう。きみは他の誰よりも日射しには気をつけなければ」
紅竜はペンを置くと席を立つ。
ヴァンパイアが太陽の光に弱いというのはあながち迷信でもないが、魔界の日射しは弱く、灰になるほどの影響を受けることはない。昼日中に出歩くことも可能だ。
しかしそれは「普通」のヴァンパイアの話。体の弱い彼女にとっては魔界の日射しすら注意が必要になる。
昔はそんなこともなかったのだが。
紅竜は幼い頃の彼女を思い浮かべる。
陽の下で自分の手を引っ張って走り回っていた彼女のことを。
「綺麗な夕陽だわ。私、赤は好きよ」
「きみの目の色だから?」
「あなたの瞳の色だからよ」
彼女の呼称はキャメリア。
その名は瞳の色に――椿に由来する。
幼いころから「いつかは正妻に」という無言の圧力が周囲の大人たちから発せられていたのは事実。だがそれがなかったとしても、私はいつか彼女を妻に迎えるのだろうと、そう思っていた。
媚びを売り、迎合するばかりの連中とは違う。彼女は私をメフィストフェレスの次期当主、ではなく、ただの幼馴染みとして扱ってくれた。
柔らかい容姿とは裏腹の凛としたその姿勢は、富と名誉と名声だけを見て近付いてくる雌ブタどもが持ち得ない長所。きっと私たちは上手くやっていける。そう思っていた。
だが。
何時の頃からだろう。花がしおれていくように彼女の体調が悪くなっていったのは。
今の彼女は走ることなどできないし、わずかな寒暖の差でも倒れるようになってしまった。
医者に見せても原因はわからないと言う。
最高の良薬と謳われる人間の血肉を食らえば、もとの彼女に戻るのだろうか。
しかし医者は首を縦には振ってくれない。
最近は人間どもも武器を手に抵抗するようになってきたので、昔に比べてその血肉を手に入れることは難しい。それでもヴァンパイアの一族はそのあまりにも有名な特性のこともあって、他より優先的に血を入手できていた。狩りで入手した際には届けたこともあった。
しかし、その効果は全く表れてはいない。
「青藍様にお会いしたわ。かわいい弟君ができて嬉しいでしょう?」
そう思われているとも知らず、キャメリアは隣に立った紅竜を探るように小首を傾げて見せる。
香水を新調したのだろうか。嗅ぎ慣れない甘い匂いがかすかにかすめた。
「もう会ったのかい?」
つい先日、離れから連れて来られたと言う弟は10歳。第二次性徴を迎えていないからか、妹だと言って出しても疑われないような、そんな顔をしているらしい。
自分ですら未だ会っていないのに、先に彼女が会っているとは。兄弟や従兄弟がいないキャメリアには、いずれ義弟になるということもあって興味深く映ったのだろうか。
「綺麗な髪をしていたわ。あなたも気に入るんじゃないかしら」
彼女は何処か含むところがあるように笑う。
馬鹿馬鹿しい。
紅竜は彼女から視線を外した。女でもあるまいし、男の髪に価値を見いだすことなどない。第一、子供特有の絹糸のように細い毛は、きちんと梳られていれば美しく見えるものだ。
しかも弟は父を誑かしたあの第二夫人の息子。見た目ならそのあたりに転がっている子供よりも整っていることだろう。ペットのように愛玩するにはちょうどいいかもしれない。
だが。手放しにかわいがることは、私にはできない。
跡継ぎが自分ひとりだけと決まっていた今までなら、そして、その弟が本当にただの弟というだけの立場だったのなら、私もキャメリアと同じ思いしか抱かなかったに違いない。
しかしその弟のせいで確実だった次期当主の椅子が揺らぎかけている、となればどうだろう。
もし私が当主に相応しくないという評価が下れば、また、私が当主になると不都合が起きると思う者が結託して私を引きずり降ろそうと画策することでもあれば……あの椅子に座るのは弟になるやもしれない。
「で? 私が認められたがっていると?」
「違うの? 未だに会いにも行かないのは自分が青藍様よりも上だと思っているからでしょう? そして他の誰もがそう思えばいいと思っている」
「……認められるのは良いことだろう?」
紅竜は歯噛みするように呟く。
平静を装ったつもりだったが、わずかに声がかすれた。ちらりとこちらを見た彼女の口角がわずかに上がったように見えた。
私は認められればならない。誰よりも次期当主に相応しい、と。
私を否定する者などこの世にはいらない。それが上級貴族でも公爵でも。長老衆も父母も、弟にしても、利用価値がなくなればそれまでだ。
これまでも。
……これからも。
「認められるのと認めさせるのは、違うのよ?」
窓から入り込む風がキャメリアの巻き髪を乱す。以前、もとは直毛のその髪を毎朝何時間もかけて巻いているのだと自慢げに言っていたことを思い出す。
令嬢たちの間では今、巻き毛が流行っているらしい。生まれつきの癖毛な自分からすれば、真っすぐな髪のほうが羨ましいものだが。
だから、そんな何時間もかけたものが台無しになっていくさまは、見ているほうが気になって仕方がない。
「同じだ」
紅竜は今キャメリアが開けたばかりの窓を閉めた。
昼間は暖かいとは言え、もう冬も近い。そばについていながら彼女に風邪をひかせて帰すわけにはいかない。
「誰も彼も、いずれは公爵であろうと私の前で跪くようになる。そうならなければ」
「……魔王にでもなるつもり?」
キャメリアは指先でくるくると自身の髪を弄びながら、気忙しげに自分を見る青年に向き直った。
彼女と初めて出会ったのはどれほどの昔になるだろう。
その頃の自分はまだ未熟だった。生まれ落ちた時から次期当主として扱われ、何かにつけて父と比べられる。子供なんだから大人と同じことができるわけがない、と心の内では思いつつも、できなければ失望の目で見られることはわかっていた。
完璧であらねばならなかった。
完璧だと装わねばならなかった。
そんな時に出会ったのがキャメリアだった。
『子供なんだからできなくたっていいでしょ。できたらすごいけど』
子供だから失敗してもいい、と言ってきたのは前にも後にも彼女だけだ。
将来のためという大義名分の元、うんざりするような勉強と鍛練漬けの毎日を繰り返すしかない自分に、同じように「うんざりだ」と言ったのも彼女だけだ。
家庭教師の目を盗んでは、よく抜け出して城内を探検して回ったものだった。
「魔王? あんな下々の仕事」
紅竜は窓の外に目を向けた。
塀の向こうに夕陽が落ちて行こうとしている。空が紅と黒に混ざり合っている。
人間の世界で勇者どもを倒す職業でしかないそれに「王」の名を冠したのが誰だかは知らないがとんだ皮肉もあったものだ。
他の魔族が人間を狩ることで生じる恨みをただ受けるだけの仕事。他人の罪を被るための生贄を王と呼ぶなどと。
ノイシュタインといっただろうか。生贄の城がある場所は。
そこで待っていれば腕に自信のある馬鹿どもが勝手にやって来る。確かあの土地は魔王役を排出している家の領地扱いになるはずだ。今度、兵の誰かを適当に据えてみるか。
見たことも行ったこともない異界の地に、そんなことを思う。
「魔王役ではなくて魔王。あなたは魔界の王になるつもりなの?」
自分に似た紅い瞳が、ただ、憂いに揺れている。
昔はもっと快活だった。体調を崩してからだ。彼女が心まで弱くなったのは。
「王、か。それもいいかもしれないな」
「世界を制する?」
「そうだ。魔界も、人間界も」
それもいいかもしれない。
今のように他家や長老衆の顔色を窺ってばかりいるのも飽き飽きだ。部屋に閉じ込められてデスクワークに明け暮れるよりも、古の魔族のように兵を率いて人間界に降りる姿が本来の魔族というもの。誰も彼も小さく収まってしまって、これではあの家畜どもと何処が違うと言うのだ。
父が鬼神と呼ばれたのは、戦場の戦いぶりの凄惨さから。
しかし戦う場すら与えられない自分には、父と同等だと見せる機会すらない。書類さばきが上手くなったところで鬼神と呼ばれることはない。
狩りに行けば人間の血肉が手に入る。
今のように少ない餌を皆で分け合うなど小動物に値する行為だ。魔族がこんなに腰砕けになってしまったのは人間の血肉を摂取しなくなったからだろう。
そして。
狩りに行けば、キャメリアにももっと多くの血肉を与えてやれる。
若い娘の生き血で若返ることを望んだ伯爵夫人のように、また人魚の肉を喰らって不老不死を得ようとした者のように、力のある者のほうがその血肉にも効果がある、と昔から言われて来た。今でいえば修行を積んだ魔法使いや剣士が当てはまるだろうか。
だが力のある者はそう易々と狩ることはできない。今のように数十名の雑兵を連れた程度の狩りでは、ろくな獲物が捕まらない。
あとは……聖女。
魔族を唯一滅する力を持つと噂の、人間どもの信仰の対象。その女の血が手に入れば、どんな病魔も退散するだろう。
古の大悪魔と同じ貴き紅い瞳を持つ者が、病程度で滅してなるものか。
私たちは他の奴らとは違う。
『選ばれた者』
そう言っていたじゃないか。あの声も。
「そうかしら」
「そうだろう」
いつか、私は彼女を迎える。
格上の家の娘を娶るには、それなりの資質をわきまえていなければいけない。
誰からも認められるようでなければ、そして娶った後に家を没落させるようなことにでもなれば、今度は彼女があらぬ噂を立てられる。
「そうかもしれない」
「そうに決まっている」
その矢先に現れたのが弟だ。
この家は10歳までは離れで育てられるのが通例だから、10歳を機に本家に連れて来られてもそこをとやかく言うつもりはない。
しかしその弟というのが凡人ではない、となると話は別。弟はただの「弟」ではなく、自分の「敵」に成り得る可能性を秘めていることになる。
現にあの幼さで既に兄である自分の魔力を凌駕しているらしい。
「だったら、」
魔族というのは能力主義。
今までずっと自分が背負って来た「次期当主」の4文字を、このポッと出の弟がかっさらっていくかもしれない。
もしそうなれば分家として城を出て行かねばならないのは自分。キャメリアとの関係も解消されるばかりか、次期当主の椅子も彼女も弟に譲り渡すことになるだろう。
格下の、それも分家に成り下がった男に娘を嫁がせる価値などないからだ。
「弟は?」
私は何のために努力して来たというのだ。
まわりからかけられる「次期当主」の重責に堪え、それが家のため、しいては自分のためになると思ってきたのに、それを全て弟が持って行こうとしている。
それは許されない。
そうなる前に手を打たねばならない。
「優秀なら優秀なりに利用していけばいい。余程秀でていない限り、兄の立場を揺るがすものにはならない」
できるだろうか。この能力至上主義の世界で。
自分より上だと周知されつつある弟を、自分の下につけるにはどうすればいいだろう。
弟の母親は第二夫人。
能力で差をつけることができないのであれば、家柄で勝負するしかない。世の貴族様がたは純血に拘るから、その点では自分のほうが有利に立つことができる。
ああ、むしろ王族であればどんなによかったか。
能力より血が優先される世界ならば、こんな血の滲むような努力を続ける必要もなかった。弟に自分の立場を奪われるかもしれないなどと杞憂する必要もなかった。
「何より、強大な魔力を誇示できればは他家を抑制できる。無駄な血を流すこともなくなる」
「本当は誰よりも血に飢えているくせに」
「血を求めるのは魔族の性。それは仕方のないこと」
窓から差し込む紅い光が部屋中を、そしてふたりを紅く染める。
「魔力は全ての礎。弟にはそれだけの価値がある」
そして魔界を。人間界を。
「そう。敵ではなく、利用すればいい」
全てを跪かせる者を、真に「魔王」と呼ぶのなら。
私は……、
―― 誰 ヨリモ 強クナル。
「硝子越しの夕陽も綺麗ね」
薄い笑みを浮かべる紅竜に、キャメリアは同じように笑みを返す。
「熟れすぎて落ちる寸前の柘榴のような……退廃的な匂いがするわ」
読んで下さる読者様にはご迷惑をおかけ致します。
この度、当作品が中国の海賊版サイトに転載されていることが発覚致しました。機械式に本文を丸ごとコピーしているようなので、著作権表記を本文冒頭に貼らせて頂きます。
詳しくはEpisode9-14【級友は嗤う・前編】の前書き及び、2018/04/04の活動報告をご覧ください。





