12 【ユメ ノ トビラ・4】
※過去話です。
※本文中に挿絵があります。
著作者:なっつ
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祖母が転んだ。母があとをつけられた。それだけではない。
取引先を装って父の職場に現れ、弟は帰り道に攫われかけた。
郵便物が荒らされていたこともあるし、飼っていた山羊の柵が壊されて、数が半分以下になったこともある。日増しに上がっていく嫌がらせは、まるで学校のいじめを見ているようだった。
しかし警察組織に届け出ることはしなかった。
僕たちは魔族。いくら常日頃、人間社会に溶け込んで暮らしていると言ってもそれは僕らから見た話。人間側から見れば僕らは「人付き合いが薄く、いてもいなくても変わり映えのしない、得体の知れない隣人」に過ぎない。
もし魔族だと知られれば敵として追い出しに来るだろう。銀でできた武器を持って。
彼らは違和感に、自分たちと違うものに敏感だ。
魔族だと知られるわけにはいかない。
僕たちは徐々に精神をやられていった。
誰にも救いを求められない。聞けば、遠方に住んでいる親戚にほうにも似たような被害が出始めたという。
転んだ時の怪我がもとで祖母は足がさらに悪くなり、ほぼ1日中を屋内で過ごすようになった。
母は口数が減り、痩せていった。父は怒りっぽくなった。それでも父も母も魔界に戻ろうとは言わなかった。
戻れなかったのかもしれない。メフィストフェレスが牛耳る世界には。
ある日は、さらに追い打ちをかけるように窓硝子を貫いて矢を射られた。
銀粉を矢尻に塗り込んだ矢は母に怪我を負わせ……その際に銀粉が体内に入り込んでしまったのであろう。以来、母の体調は芳しくない。
そして。
ある日を境に、彼らはぱたりと姿を消した。
15年経った今も、僕は捕えられもしなければ処罰も受けずに至っている。
あの黒づくめの男たちは、確かに家にまで迫って来ていた。
父は僕と彼女の仲を最後まで疑っていたようだが、それを追求しては来なかった。問い詰めることで外部で聞き耳を立てているであろう誰かに真実が漏れるのを危惧したのかもしれない。
いつの間にか姿を消していた彼らを「嫌がらせに飽きたのだろう」と思い、残っていた警戒も日が経つにつれ薄まっていき、すっかりもとの平穏な日々に戻った時には僕らは嫌がらせを受けていたという記憶までもなかったことにしようとしていた。
きっと忘れることでこれ以上心が壊れるのを防ごうと……無意識のうちに脳が頑張ったんだと思う。
脳を責める気はない。
その頃の僕は、気付かれなかったんだ。と、ただそれだけを思った。
それが甘い考えだったなんて、当時の僕は思いもしなかった。
考えようともしなかったんだ。
ばれなかった、なんてそんな生易しいことはあり得なかったのに。
背筋を冷たいものが走り抜けた。
僕は手のひらに視線を落とす。金色の小さな飾りが、ほろほろと月の明りを弾いている。
夜会での紅竜様は彼女を可愛がっていた。
彼が公の場に出てこないのは、あの兄に気に入られているからだと言う。
それはいい。間違ってはいない。だが。
……幽閉、とは。
外に出ることができなかったとしても、大切に育てられてきたのならそれは幽閉とは言わない。
人の口に戸は立てられない。本当は幽閉と言われるようなことがされていたのではないか? ただ、可愛がっていたのでなく。
彼は、彼女は何をした。
可愛がられる存在から幽閉される者へと堕ちたのには、何か意味があるのではないだろうか。
何か。
そう、例えばあの黒づくめの男たちを引かせたのが彼女だったら。手を引かせるために兄の矛先を自分に向けさせるような「何か」をして……そのために幽閉されたのだとしたら。
魔王役だってそうだ。幽閉を解いてもらうために志願したのかもしれないけれど、彼の身分なら本来はしなくてもいいことだ。
魔王とは腕に覚えのある人間どもと命のやりとりをする仕事。
あの華奢な腕で、勇者などともてはやされている者を倒すことなどできるのだろうか。
傷を付けられたり、最悪、殺されたり。それも尊厳も何も奪い取られてじわじわと弄り殺される末路が口を開けているかもしれない。
紅竜様は、そうなっても構わないと思ったのだろうか。
遠い、魔界とは全く違う世界で死んでしまったとしても、それでも構わないと。
『大丈夫だから、ね?』
「全然、大丈夫じゃなかったじゃないか……っ!!」
当たり散らすところが見つからなかったので、握りこぶしを目の前の赤い紐に叩きつける。
パーテーションスタンドの2本の支柱が引っ張られて内側に傾ぎ、それがまた元の位置に戻ろうとしてグラグラと音を立てた。しんと静まり返った廊下に、その音だけが地鳴りのように轟く。
僕の命や家族への嫌がらせと引き換えに、彼は何をしたのだろう。
笑うことすら忘れてしまって。
突然の大音響に顔を覗かせた職員が、呆れたような顔で閉庁すると言ってきた。
僕は耳飾りをポケットに戻し、促されるまま真っ暗な廊下を戻る。
明るい世界に戻る前にもう1度だけ見た祭壇の扉には、あの夜と同じ銀色の光が降り注いでいた。
僕は彼の人生を狂わせた。
もし魔王役の就任中に命を落とすことがあったら、それは僕のせいだ。僕に出会うことが無ければ、庇ったりしなければこんな目には合わずに済んだのに。
あんな……感情も何もない、人形みたいにはなっていなかったはずなのに。
喜びも悲しみも、それを感じる術さえも。
奪ってしまった。
僕が。
彼はメフィストフェレスの血を引くひとり。
僕がどう足掻いたところで手が届くことはない。格をどれだけ上げても釣り合わない。どれだけ想い続けたとしても、決して僕の腕の中には下りてきてはくれない。
でも、それでも。
彼を守るのは僕の責務。
一生涯守り続けていくのが、命を救ってくれた「彼女」へのせめてもの償いになるのなら。
彼が他の誰かのものになってしまったとしても、せめて、そばにいることができるなら。
金色の紋章を月明かりにかざす。
ああ。これは鳥の形。あの夜、彼女が僕に託した、明日へ導いてくれたあの鳥の。
――お願いだ。
会わせて、あの人に。……もう1度。
「教官様が呼んでるぞ」
出入扉に手をかけて級友のひとりがそう呼びかけてくる。
私はポケットを探り、指先に当たった硬い感触をそっと握り直すと席を立つ。
待っていて。どうか、あなたの元へ辿り着くまで。
そして。
叶うなら……許しを下さい――。





