8 【ユメ ノ ハザマ】
※過去話です。
※本文内に挿絵があります。
著作者:なっつ
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『手に入らないものは欲しいと思ってはいけない』
小さい頃からそう教えられてきた。
父は魔族であることも貴族であることも隠して町に勤めに出ていく。
僕の家族は魔族だが、近隣の住民は皆、人間。父の職場にいる人たちも、皆。
だから僕たちは彼らと違ってなかなか歳を取らないのだ、と……それを知ったのは、あの夜会の招待状が届いてからのこと。それまでは「ちょっと他人より成長速度が遅い、珍しい種類の人間」だと、そう思っていた。
そのことが行動の枷になっていたのも確かなことだった。
僕の家族――遠方に住む親類も含まれるのだが――は近隣住民とは成長速度が違う。子供のうちは全く気にならなかったが、10歳を過ぎる頃から少しずつ遅くなっていく。
僕も弟も、義務教育課程のあたりは他の子供たちと同じような背丈だったから良かったものの、その上に就学するまでには何年か空白の時を過ごした。
外見が他の皆と同じくらいまで成長するのを待たなければ奇異の目で見られる。「歳を取らないのは人間ではないからでは? 悪魔だからでは?」という疑いをかけられる。
現に「悪魔」なのだが、そのことを知らなかった頃は疑われることのないよう、子供心に気をつけていたように思う。
子供以上に成長がゆっくりになっている父母も例外ではない。
父はどれだけ条件の良い職場であっても、20年以上になると勤め先を変えている。
勤めに出ることのない母も極力隣近所との交流を絶って暮らしている。気心が知れるような親しい友人ができたとしても、10年経てば「引っ越す」と偽って縁を絶つ。彼女らが老衰し、自分を忘れてしまうまで。
手に入らないものは望んではいけない。
人の縁も、安定した職場も。好みの女の子に巡りあったとしても、僕より早くいなくなってしまうことはわかっている。幸か不幸か、そんな出会いは無かったけれど。
そして、そこまで面倒なことを続けていても、父も母も魔界に戻ろうとは言わなかった。招待状が届くまでは僕にさえ魔族だということを黙っていた。
魔族は人間にとって捕食者だが、数が少なければ弱者に転ずる。正体が知られれば人間たちは数にものを言わせて「悪魔」に対する恨みを浴びせに来る。
そんな危険と隣り合わせであることを知っていてもなお魔界とは縁を絶ち、人間界で生を全うしようとしていた。
「学業だけは修めておきなさい。頭がよければ良いところで働くことができる」
父は口癖のように言う。
僕も大人になったら、父のように家族を守るために働きに出るのだろう。
少しでも高い給金と少しでも待遇の良い職場は、試験を受けて、資格を取って、そうして手に入れるしかないけれど……そうして勝ち得た職ですら、此処にいる限りは数十年で手放さなければならない。
「学年で首席になったそうじゃないか。頑張っているな」
ある日、書斎に僕を呼んだ父はそう言った。
「先の夜会の後から随分浮ついているように見えたが、お前は自分の立場を見極めてくれているようで何よりだ。どうだ? 貴族なんてものがどれほどくだらないかわかっただろう?」
機嫌のいい父を見るのは久しぶりだ。招待状が届いてからこちら、ずっと眉間に皺が寄っていた。
きっと自分が魔族で、しかも爵位まで持っていることを思い出してしまったのだろう。同じ貴族でありながら、片や着飾って夜会に興じ、片や一般庶民に混じって汗水流して働く。その違いを見せつけられたのが腹立たしいのだろう。
くだらないかもしれない。
着飾って踊ったり笑ったりするのは、父のような真面目一本できた人にはつまらないものに映るに違いない。
しかし彼らとて始終ああしているわけではない。それなりに仕事もある。父や町の人間たちよりずっと優遇されている仕事が。
そしてそれを手に入れることができるのは、彼らが相応の地位を持っているからだ。
紅竜様は当主になる以前から、既に部隊の編成指揮を任されている。他家を交えた貴族間の話し合いの場に出れば自分の親や祖父のような年齢を相手に議論を交わし、時には指図することもあるという。
それは最初から上に立つ者としての地位を約束されているから。そして、それだけの地位を築いたのが他の誰でも無く彼だから。
古の魔族とはいえ、秀でて強いわけでもなかったメフィストフェレスが今あの位置にいるのは、彼の手腕によるところが大きい。
つまり、上手くやれば今でも一代で家の格を上げることは不可能ではない、と言うことだ。
僕も一応は貴族の端くれ。
功績を上げていけば、いつかはあの夜会の連中と肩を並べることができるようになるかもしれない。連中と、そして彼女と。
前以上に勉強するのは彼女に相応しくなりたいからだし、近道だというなら仕官してもいい。命を削る分だけ功績は上げやすいだろう。
そうしたら――。
「そう言えば最近、家のまわりを妙な連中がうろついているらしい」
父はカーテン越しに窓の外を見ながら呟いた。
黒づくめの男たちが昼夜を問わず様子を探っているのだと言う。先日、祖母が桶に蹴躓いて転んだが、その時もさっと身を隠す黒い影があったと言っていた。足腰が弱っている祖母では、転んだのがその男たちのせいだとは言いきれないけれど。
買い物に出た母も、誰かにあとをつけられたことがあるらしい。被害はない。ないから、訴え出ることもできない。
そんなじわじわとした嫌がらせのようなことが、最近続いている。
「お前、夜会でなにか粗相をしたりはして来なかったか? 上級貴族も大勢いただろう」
「……いえ」
脳裏にあの夜の光景が浮かぶ。
あの姫との逢瀬が知られたのだろうか。彼女は紅竜様が連れていた人。将来の約束もされているかもしれない。
今のところまだ紅竜様が結婚するという話は聞かない。
でも彼女は遅かれ早かれ紅竜様のものになってしまうだろう。僕なんかがどれだけ頑張っても追いつくことができない上級貴族、メフィストフェレスの一員に。
僕は右手で上着のポケットを押さえる。
彼女から託された耳飾りは、あの日以降、ずっとこうして持ち歩いている。
『次に会ったら――』
彼女が紅竜様のものになる前に、その前に彼女の手を取らなければ。
今度こそ、腕を切り刻まれたって離すものか。
「す、好きな人が……できました」
「ほう?」
唐突な息子の告白に父は目を細めた。
「どこのお嬢さんだ? お前をそこまでやる気にさせたのは」
「名前は、わかりません。この間、会って、それで、」
「……夜会で会ったのか?」
まわりの空気がふっと暗くなったのを感じる。
「彼女は父上が思っているような上級貴族とは違います! 僕は、」
父は瞠目し、そして深く溜息をついた。首を横に振る様からは否定しか伝わって来ない。
何故。
多少の身分の違いならなんとかなるはず。下から上に上がるのは難しいが、上から下に下りるのは簡単だ。家への資金援助を条件に商家の、平民の家に嫁ぐ者もいると聞く。
彼女は上級貴族ではあるけれど純血ではない。
上級の人々は血統を重んじると聞いた。彼女が兄から「汚れた血」だと蔑まれているのが何よりの証拠。紅竜様から言われれば差し出すだろうが、本音は彼の元に嫁ぐなど分不相応だと、そう思われていることは間違いない。
僕がつなぐ望みはそこにある。地位はすぐには無理だが資産は増やせる。何も今の貧乏貴族のまま彼女を迎えようと言うわけじゃ……それなのに。
「お前はメフィストフェレスを敵に回そうとしているんだぞ!」
父はカーテンを勢いよく開けた。シャッ! と言う音と共に、庭先で黒い影が隠れるのが見えた。
「まさかとは思っていたが……奴らが嗅ぎまわっているのはお前だ。その娘はメフィストフェレスの何だ? なにをした? 制約を忘れたわけじゃないだろう!?」
上級貴族に声をかけてはいけない。
触れてもいけない。
……だけど。
「忘れるんだ」
父は繰り返す。
「手に入らないものは欲しいと思ってはいけない。その先に待っているのは破滅だ。お前が望むなら似たような娘を探してやる」
「似たような娘、では駄目なんです。彼女は僕の、」
これは僕の自己満足でしかない。
彼女は望んでいないかもしれない。……それでもいい。
「いいかい? 好いた相手と添い遂げられるなんてことは滅多にないことなんだよ。お前が心を奪われるほどのお嬢さんなら、紅竜様の目に留まらないはずはない。あの夜会にいた娘たちは皆、そのために着飾って出てきているのだから」
そんなことはわかっている。
他でもない、彼女は紅竜様が連れて歩いていた人だ。なんの関係もないなんて思わない。
でも。
だからこそ。
「諦めなさい」
諦められない。
僕を見上げて笑った彼女の姿が脳裏に浮かぶ。遠く、小さくなっていく彼女の悲しげな笑みが――。
「身の程を考えろ。お前には、お前に相応しい相手がいる。その娘じゃない」
『あなたが何処かで生きていてくれれば、運命に打ち勝てたような気がするから』
酷い人だ。きみの運命まで僕に背負わせて。
これは賭け。
あえなく殺されるか、諦めて父の意のままに終われば負けと同じ。
きみが耳飾りに乗せて託した思いを、僕はきっと叶えてみせる。
「諦めろ、いいな」
ただ諦めるだけの人生。そこに喜びはあるのですか?
僕は父の背に問う。
大きくて広いと思っていた父の背は、こんなにも小さかっただろうか。
『どうか。ご無事で――』
初めて愛しいと、手に入れたいと思った。
彼女が手に入るなら、僕は滅んでも構わない。





