24 【紅の炎と、白の氷と・4】
著作者:なっつ
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考えていたのはわずかな間だったと思う。
空気を裂く音に、グラウスはその音の主を確認するまでもなく横に飛んだ。
刹那、腹部に刺すような痛みが走る。
見ると、脇腹の裂傷を中心にベストの一部が変色しつつあった。
時間がない。
グラウスは天井を見上げた。あけられた穴から際限なく冬の冷気が流れ込んでくる。
ドラゴンの中で眠っているあの人は大丈夫だろうか。風邪も完治していないのに、さらに弱ったりはしないだろうか。氷属性のドラゴンや自分は大丈夫だけれども……。
『氷と炎は相性が悪い』
私は、あの人の枷にしかなっていなかったのではないか?
あの言葉を吐いた時、彼の目が少し憂いを帯びたことを思い出す。
「……取引を、しませんか?」
「取引?」
グラウスの提案のような言葉に、今度は何を思いついたのだ、と胡乱な目が向けられる。しかし攻撃の手が止まったところを見ると、興味は引いたらしい。
「そうです。見たところあなたは未だに青藍様の魔力を扱えてはいない。でもそれは当然のこと。炎を操るための魔力で氷を作ろうと言うのがそもそもの間違いなんです」
彼の魔力が使いこなせているのなら、まともに攻撃してこない自分など赤子の手をひねるより簡単に潰すことができる。
しかし彼はそれをしない。
否。しないのではなく、できない。
先ほどの氷の結晶も、グラウスの氷塊のほうが大きく、量も多かった。ドラゴンは青藍の魔力を使いこなせてはいない。
「このままどう足掻いたところで、魔力が馴染むことなどありませんよ? だって属性が違うのですから。先程から剣を使っているのは、魔法攻撃のほうが上手くいかないからなのではないですか?」
ぐぅ、と青藍が小さく唸る。
「だから」
グラウスは手を差し出す。
少し前に青藍がしたように。握手を求めるように。
「青藍様の代わりに、私を乗っ取るのはいかがでしょう? 私の魔力なら最大限使えると思いますけれど」
一瞬目を点にした青藍の顔に、再び嘲りが戻る。
「交渉はしないんじゃなかったの?」
提示された内容に自分の優位が揺るいでいないことを察したからか、さもくだらないことに時間を費やしてしまった、と言わんばかりに鼻先で笑う。
「馬鹿げたことを。たかが使用人の体などに何の価値がある。地位、名誉、魔力。いくら属性が氷だったとしても、それっぽっちのことで乗り換える気になると思う? お前とて身に染みているだろう。魔族の、あのくだらない身分制度を。爵位のない者はどうしたって上になど、」
「爵位ならあります、下級ですが」
その言葉に、階下でざわりと風が動いたような音がした。
青藍が目を細める。
「……貴族が何故こんなところで使用人の真似ごとなど」
聞いてくるのは話に乗る気がおきたから。
グラウスの頭の中で、カチャリ、と鍵穴に鍵がささったような感覚が襲う。
いくら能力至上主義の魔族と言っても、無印と爵位持ちでは上に上がる速度も違う。
無印では一国を滅ぼすような武勲を上げてやっと爵位を賜れるかどうか。部隊の長を任されるのがせいぜいだろう。
だいたい、自分たちの地位を守るために馬鹿げた制約でがんじがらめに縛りつけようとする連中が、そう簡単にライバルを増やすことなどないと言っていい。
「貴族の子弟が行儀見習いのために執事学校に行くのは普通にあることです。たまたま私はそれを仕事にしてしまっただけのことで。……私はこのとおり、武勲を上げてのし上がっていく裁量などありません。ですが、あなたほどの策略家ならさらに高みを狙うこともできるでしょう?」
ううむ、と青藍が考え込むのがわかる。
外見だけは上級貴族のこの人が下級の爵位が手にできるかどうかで悩んでいる絵というのは、なかなかにシュールだ。
「ついでに言っておくと氷属性はなかなかに希少な属性らしく、爵位持ちの中では数人いるだけでして」
グラウスはさらに畳みかける。
しばらく黙りこんでいた青藍は、浮かんだ考えを振り払うかのように首を横に振った。
「信用できるか。主を救うためとは言え、メリットが何もない取引を持ちかけるなど、」
「メリットならあります。あなたが私を使ってのし上がってくれれば、私の家の爵位も上がる。貴族と言うのはまず第一に一族の繁栄と安定を考えるものなんですよ」
くだらない考えだ。
家。家。家。身分の違いが全てを左右するなんて。
口では一族最優先を謳いながら、グラウスは心の中で毒を吐く。
そんなものが無ければ今頃は……。
フラッシュバックのように弾けたのは、どうやっても手に入れることのできなかった笑顔。
「いや。そこまで大事な家を他人に託すなど、お前のような男が持ちかけるとは到底思えん。何を企んでいる!?」
「何も。無論、あなたが一族に手を出さないでいて頂けるのなら、それに超したことはありませんし」
「随分と信頼されたものだ。もし違えば?」
「青藍様を返して頂けるのなら私は何を犠牲にしたところで本望です。家も爵位も、一族の命さえも」
グラウスは嗤う。
嘘八百を並べたてたつもりだったが、こうして口に出すとあながち間違ってもいないことに内心驚いている。
自分にとって、目の前のこの人はそこまで大事なのか。
親兄弟の命よりも。
「……先程その口で主と一緒になるのは嫌だと言ったくせに」
「ええ。一緒に、ではありません。青藍様の代わりに私を、と、そう申し上げています。あなたにとってもそのほうが得策でしょう? 魔力を抱えていたところでまた別の誰かが狙ってくる。青藍様を取り込んだ"あなた"のように」
もしそうなったら。
使うこともできずに持っているだけの魔力など、ただの撒き餌にしかならない。
「だったら、」
「煩い! 所詮、お前程度の魔力などいくら俺が操ったところで……!」
撥ねつけるように青藍は声を荒げた。
交渉決裂にも見えるその態度に、グラウスは残念そうな色をみせつつも笑みを作る。
「では、そういう話があるということだけ心の隅に持っておいて下さい。良い話だと思いますけれ、」
「黙れッ!」
遮る声と共に飛んで来たのは、やはり剣。
戦っている相手に魔法より剣ばかり使っていると指摘されて、それでもなお剣を使ってくるなど、何処に策略があると言えるだろう。
図体がでかいから脳まで血が巡らないのか?
グラウスの胸の内で吐き出される毒は止まることを知らない。
「たとえ貴族でも氷属性でも、その程度の力などいらない! お前の主がお前を置いて出たことでも証明済だ。守ってもらうにも値しないと、お前の主もそう言っている」
投げつけられる言葉が胸を抉る。
今この場で青藍本人に不要と言われているような錯覚に陥りそうになる。
「お前なんか、いらない」
青藍の足が床を蹴った。両手で握った剣が光を反射する。その光が彼の目に色を映す。
――蒼。
その色に一瞬、気を取られた。
気がついた時には、目の前で薄笑いを浮かべた人が剣を振りかざしていた。





