13 【虜囚-トラワレビト-・3】
著作者:なっつ
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気がつけばドラゴンの姿はどこにもなかった。
ぽっかりともぬけの殻になったホールがやけに広く見えるのは、天井が半分なくなっているから、というだけではない。
白い霧が消え失せて視界が良好になったのもある。
けれど、1番はやはり無理矢理入り込んでいた巨体が無くなった、と言うことに尽きるだろう。
『急に消えちゃって』
義兄もそう言っていた。
ドラゴンというものは、いきなり現れていきなり消えるものなのだろうか。
そりゃあ負けが濃厚になって来たなら戦略的撤退という言葉もあるけれど。
生きていればいいことはあるさ、というのは人間だけに通用するものでもないだろうけれど。
でも。
ドラゴンの負けが濃厚、とは言い難かった。
義兄は倒れていたし、あのまま貫かれていれば、負けているのは義兄のほうだった。
何が起きたのだろう。この世界にいるのに時間制限がついている、とか……ああ、今はそんなこと考えてる場合じゃない。
「青藍様!」
ルチナリスは倒れている義兄に駆け寄った。
ドラゴンは義兄を貫く前に消えたのだろうか。目立った傷はない。ない、が、冷たい。床と同じくらいに冷え切っている義兄の体は、生きている温もりすら感じない。
……駄目。
駄目。駄目。駄目。考えちゃ駄目!
お兄ちゃんは強いのよ。こんなことくらいで死んじゃったりするもんですか!
そっと背中を揺する。義兄の名を呼ぶ。
その声に固く閉ざされていた瞼が震えた。わずかな瞬きの後、義兄は閉じていた目を開けた。
安堵しかけたルチナリスの目の前で、義兄は上体を起こす。
起こして――。
「手に、入れたぞ……」
色が付くとしたらどす黒い、と表現するしかないだろう。
そんな声が義兄の口から洩れた。
この声は。
最後に笑ってたあの声に、似て……?
目の色は黒。紅でも蒼でもない、光など全く無い虚ろな色。
目を見張ったまま動けない義妹の前で義兄はゆらりと立ち上がり、両手を持ち上げた。
くすり、と馬鹿にしたような笑みが浮かぶ。
――ザラッ。
ふいにその手のひらから透明な粒が溢れだした。
パラパラパラ、パリン。ザラザラザラザラ……。
そんな音を立てながら、粒が床に零れていく。零れた粒はみるみるうちにその周囲をも凍りつかせていく。
跳ねた1粒がルチナリスの頬に当たった。
冷たい。
これは……氷?
何故?
義兄の魔法属性は炎のはず。氷も使えるなんて話は聞いたことがない。
「青藍様、じゃ、ない……?」
義兄の姿のまま、義兄じゃないものはルチナリスを見た。魔王の時ですら絶対に浮かべないような冷たい表情で。
「……人間の小娘か」
声と共に腕が伸びた。乱暴にルチナリスの腕を掴むと、ぐい、と引き寄せる。
違う。あの人は、こんなことしない。
食い込む指は、義兄のものであって義兄のものではない。
嘲笑うように歪められた目が、ルチナリスの顔を覗き込む。
「聞いているぞ。魔王が子飼いにしている人間の娘。名は確か……」
……違う。
ルチナリスは身体を引こうとした。しかし動けない。腕を掴まれているだけなのに動くことができない。
至近距離から見たその目には、やはり光もなにも無い。
この人は、あたしの手を掴んでるこの人は、お兄ちゃんじゃない。
いや、見た目はお兄ちゃんなんだけど。
魔王の時だって冷たい目をしているけれど、でも、この目とは違う。魔王の時の目は冷たいけれど紅く澄んでいて、怖いけれど何処か物悲しい。
この目は、あの人の目じゃない。
腕は掴まれたところからだんだんと冷たくなってくる。体温が奪われていくのがわかる。
「魔王の大事なもの、ひとつめ」
義兄の口から歌うように紡がれる言葉は楽しげだ。
「こうしてひとつずつお前の未練を消してやろう」
その瞬間、パチッ! と義兄の左手から火花が散った。
一瞬揺らめきかけた炎は、しかしそのまま左手に握り消される。
「無駄な足掻きを」
義兄は握りしめた左手に侮蔑の視線を投げかけ、またルチナリスに視線を戻した。
薄く笑った口元に牙のようなものが見えた。
「お前の大事な主人に喰われることを喜ぶがいい」
喰、われ、る?
そりゃあの人は魔族なんだから、人間を食べるくらい普通なんだろうけど。
「主人……主人、か? 少し違うようだな」
今までそんな素振りを見せなかっただけで、本当は口にしたこともあるのかもしれないけれど。
ここに来てからはずっと、あたしに遠慮して食べなかっただけかもしれないけれど。
「まあいい。胃に入ってしまえば同じこと」
だけど。
「……青藍様は、人間なんか食べないわ」
ルチナリスの言葉に、真っ暗な空洞のようなその目を細めて義兄は笑う。
怖い。
この人は義兄ではない。義兄の笑い方ではない。
「お前は知っているか? 何故こいつが人間を食べないのか」
義兄の中にいる、誰か。
「人間の血肉は魔族にとっては最良の餌で、力の源。何時まで経っても人間狩りがなくならないのはそういうことだ。……しかし、こいつは食べない。食らえばもっと強い力を得ることができると言うのに」
餌。
久しぶりにその単語を聞いた。義兄に出会ってから、ノイシュタインに来てからはほとんど聞くことも聞かされることもなかった。
おかしな話だ。ここには、人間を食べると言われている魔族しかいないのに。
ミバ村にいた時にはずっと付きまとっていたその単語とそれに付随する恐怖は、この10年、あたしの回りには無かった。
魔族である義兄は、人間を食べない。
城にいる他の皆も、きっと口にしてはいない。
守ってくれていた。人間は魔族の餌に成り得る事実から。その恐怖から。
義兄が。みんなが。
「これに人間の味を覚えさせればどれほどの力になるだろう。……誰も私を止めることなどできなくなる。人間も、魔族も」
その人は笑う。笑い続ける。
ひとしきり笑った後、義兄は引き寄せたままの義妹の顎に指をかけ、つい、と持ち上げた。
「……覚えておくがいい。自分が、喰われる瞬間を」





