1 【夕焼けの紅は血の紅色・1】
「魔王様には蒼いリボンをつけて」Episode3。
悪魔に日常を壊された少女は、悪魔の城で彼に会う。
見知らぬ場所で見知らぬ人とふたりきりの生活。しかし、ふたりきりのはずなのにそれ以外の「誰か」の声が聞こえて――。
ルチナリスと青藍の出会い。過去話です。
※本文中にも挿絵があります。
著作者:なっつ
Copyright © 2014 なっつ All Rights Reserved.
掲載元URL:http://syosetu.com/
無断転載禁止。(小説家になろう、taskey、novelist、アルファポリス、著作者個人サイト”月の鳥籠”以外は全て【無断転載】です)
这项工作的版权属于我《なっつ》。
The copyright of this work belongs to me《NattU》。Do not reprint without my permission!
その日は夕焼けがとても紅かった。
まるで熟れすぎて落ちる寸前のトマトのような、少し崩れた紅い夕陽が稜線の彼方に引っかかっている。きっと地面に着いたらベシャリと潰れるのではないだろうか、なんて思いたくなる、そんな色をしている。
養父でもあるこの村の神父が言うには、こんな日は悪魔が彷徨い出て来るらしい。
早く帰るようにと言われていたのだが……ルチナリスは今日だけはどうしても帰る気になれなかった。
ルチナリスと同じように牛の柵に腰かけて足をぶらつかせているのは、幼馴染みのメグ。
麓の町で流行っているのだと言う歌をハミングで口ずさんでいる。
どちらも帰る気はないが、気分は逆なのかもしれない。ルチナリスはちらりと横を見る。
彼女に会えるのは今日が最後。
明日になれば、彼女は村を出て行ってしまう。
「お引っ越し先はね、海の近くなんですって」
「海? いいなー、あたし海見たことない」
笑みすら浮かべているメグに、ルチナリスも顔だけで笑って見せる。
ここはミバ村。
四方を山に囲まれた小さな村で、海なんてものは本の中だけの存在。
あたしはきっと、一生海なんて見ることなどないのだろう。
ルチナリスは以前本で見た「海」というものを思い描く。
この世界の7割をその「海」が占めているらしい。「海」というのは、村にある池を何十倍も広げたものであるらしい。
そんなにたくさんあるのに1度も見ずに終わるなんてあり得ない、と思う反面、この村を出ることがない身では1度でも見る機会があることのほうがあり得ないのだ、と考え直す。
「でもねぇ、搾りたてのミルクやチーズが食べられなくなるのは残念」
ルチナリスが海に思いを馳せている間もメグは喋り続けている。
チーズトーストに、シチューに、フォンデュ。
指折り数えている料理の数々は平凡な家庭料理ではあるけれど、想像して唾を飲み込むくらいにはルチナリスも好物だ。
ミルクやチーズは引っ越し先の町にもあるだろうが、やはり味は落ちるだろう。食べ物は新鮮なものが美味しいのだと神父様もよく言っていたし。
そっか。メグは食べられないんだ。
そう思うと、メグに対して優越感さえ抱く自分がいる。抱いて、そして嫌な子だと自己嫌悪に陥るのもいつもの話。
ルチナリスはトマトのような夕陽から目を逸らし、隣を振り返る。
「そのかわり、新鮮なお魚が食べられるじゃない」
「そうなんだけどぉ、あたし、お魚あんまり好きじゃない」
こんな山奥では生魚はほとんど手に入らない。干物がほとんどで、たまに漬魚を見るくらいだ。
だから「新鮮なお魚」というのがどんなものであるのか、ルチナリスは知らない。
そして食べる機会があまりない上に生臭い、とくれば、ほとんどの子供が敬遠する。
ルチナリスだって魚は好きなほうではない。乳製品と魚のどちらかを選べと言われれば、100%乳製品を取る。
ああ言ったものの、新鮮な魚が食べられることを羨ましいと思わない。
それはメグも察しているのだろう。
野辺の花で作った花輪を弄びながら、メグは口を尖らせた。
「向こうに着いたら手紙を出すわ。遊びに来てね、るぅ」
「うん、絶対」
夕陽の紅が幼馴染みの顔を紅く染めている。
彼女が見ている自分の顔もきっと同じように紅いのだろう。そう思いながら、ルチナリスは稜線に目を向ける。
夕陽は半分以上潰れている。潰れて、どろりと横に広がっているようにも見える。
遠くでメグを呼ぶ声がした。
「あ、ママだ」
その声にメグは柵からぽん、と飛び降りる。
「じゃあね、るぅ。またね」
「うん」
また明日も遊ぼうね、とでも言うように手を振って、彼女は道の向こうで待っている母の元へ走って行く。嬉しそうに母に抱きつき、手を繋いで帰っていく。
1度も振り返ることなく。
その姿を牛の柵に腰掛けたまま見送ったルチナリスは、黙ったまま少しずつ暗くなってきた空を見上げた。
『絶対』
……また会うことはないだろう。
ここから海は遠い。子供のあたしが村を出て遠くまで出かけられるようになるには、あと何年かかると言うのか。
その頃にはきっと、メグはあたしのことなんか忘れている。
視線を落とすと足元の草むらにしおれた花輪が転がっていた。
メグが持っていたものだろう。ここいらでは珍しくもない花だが、海のほうでは咲かない。
村の思い出に持って行くの、と言っていたのに。
白かった花が茶色く変色しかけている。
ピンクも黄色も色褪せて、どこかみすぼらしい。
まるで、この村みたいだ。
世界から忘れ去られた山奥のちっぽけな村。訪れる旅人もほとんどいない村。
海を見ることもなく、この村で生まれて、この村で死んでいく。そんな人たちばかりの村。
あたしも……。
「ふぅぅ」
ルチナリスは、わざと大きく息を吐く。
胸の奥に溜まったもやもやを全部吐き出すように。
かわりに山の新鮮な空気をいっぱいに吸い込んで。そうすれば、また明日から頑張れる。
ルチナリスには両親がいない。物心ついた頃には既にいなかった。
聞いた話では、彼女は悪魔に襲われた何処か別の村から逃れてきたのだそうだ。ここまで連れて来てくれた人も血縁ではなく、この村に辿り着いたものの、そのまま力尽きたと聞いている。
そんな身寄りのない彼女を育ててくれたのは、教会に住まう神父だった。
神父とは神の教えを人々に知らしめるのが仕事だ。
だがそれだけではない。
学校が無いが故に読み書きを習う機会のない人々に教えるのも、神父の仕事のひとつである。
ミバ村にも学校などというものはない。本格的な学校に通うつもりなら麓の町まで下りなければならず、貧しかったり親がいなかったりする子供はその時点で就学を諦めなければいけなかった。
そんな就学できない子供たちを教会に集め、神父は無償で勉強を教えていた。
まず確実に学校に行く機会などないルチナリスにとって、神父がこの村にいたのは幸運だと言えるだろう。
それだけではない。
彼と共に暮らしているルチナリスは日中の授業以外……例えば夕食後の暇ができた時などに個別に教授してもらう機会まであった。その点では彼女はむしろ恵まれていたと言える。
おかげで、孤児であるにもかかわらず、読み書きは村の中でもできるほうだったりする。
後に教会の手伝いをさせる心づもりもあったのだろうか、神父は個別教授の時には読み書き以外に治癒の呪文なども教えてくれたのだが……しかし、魔法だけは持って生まれた才能が左右する。
残念なことに、ルチナリスにその才能が花開くことはなかった。
この世界には魔法がある。
しかし魔法は誰にでも扱えるものではない。
主にそれを使う者は「悪魔」と呼ばれる人間の敵で、人間はと言えば、ごく稀にしか魔法を扱える者は現れない。
先祖返りしたのだとか、ルーツのどこかで悪魔と混じったのだとか言われるが、何故魔法が使える者と使えない者がいるのか、その理由は明らかになっていない。
だから魔法が使えないということは「お前は悪魔じゃない」と認められたようなもの。
それは残念な反面、ルチナリスにとっては喜ばしいことでもあった。
でも、魔法が使えればもっと神父様のお手伝いができるのに。
魔法が使えれば、パパとママを殺したっていう悪魔に復讐することだってできるのに。
魔法が使えないことを喜ぶ反面、そう思うのも正直なところ。
しかしルチナリスがそう言うたびに、神父は悲しそうな顔をしたものだった。
『復讐なんてするものじゃない。過去に取り憑かれて生きるより、自分のために生きなさい』
彼はよくそう言って諭す。
だが、何故復讐してはいけないのだろう。
それってどういうこと?
悪魔に殺されたっていうパパとママは、きっと悪魔を恨んでいるわ。
あたしが1匹でも悪魔をやっつけることができれば、パパもママも喜んでくれる。
それ以外のみんなからも喜んでもらえる。
いいことじゃないの?
どうして、そんな顔をするの?
『親がいないなんて可哀想に』
『大きくなったら悪魔をやっつけるの? 偉いわねぇ』
まわりの大人はそう言った。
神父のように駄目だとは言わない。むしろ褒めてくれる。
どっちが正しいの?
あたしは両親の顔を知らない。
だから、ママが迎えに来るメグが羨ましい反面、よくわからない。
パパってどういう人?
ママってどういう人?
顔を知らないって「可哀想」なことなの?
誰かを恨んだり復讐するのは悪いことなの?
……わからない。
そんなどろどろした膿を、息と一緒に吐き出す。
吐いても吐いても、どんどん溜まっていく膿を。