2 【夕焼けの紅は血の紅色・2】
※過去話になります。
著作者:なっつ
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森の木々の向こうに消えた夕陽は空に紅を残していった。それが空の紺青と混ざり合ってグラデーションを作っている。
熟れ過ぎたトマトのような禍々しい紅は、幼心にも不安と恐怖を植え付ける。
まるで。
まるで、悪魔が好みそうな、血の紅。
ううん。ここは大丈夫よ。
ルチナリスは首を横に振った。
『こんな山奥にまで悪魔なんか来やしないさ』
と、誰かがそんなことを言っていた。
同じ労力を必要とするなら、効率の良い大きな町を襲うものだ、と。
でも悪魔が来なくても、熊や獣が来るかもしれない。
獣も日中は村まで入って来ることはない。だが、人気のない夜ともなれば違う。
ワォ――……ン
遠吠えが聞こえた。その声にルチナリスはひとつ身震いする。
帰ろう。もう聖女様の像にお祈りする時間だわ。
だが、そうしてルチナリスが柵を降りようとしたその時だった。
上の方から、ギャアギャアと鳴き声が聞こえてきたのは。
カラス?
声のしたほうを見上げると、紅と紺青が混ざり合う空一面に何かがいる。グラデーションに混ざることなく、ただ黒く、黒く、広がっていく。
「な、に?」
カラスのように羽根がある。
しかし手も、足もある。
落ちくぼんでいるわりにぎょろりと光る目と、尖ったくちばし。
鳥や獣というよりは人間のようにも見えるが、それは決して人間ではない。人間は飛ばない。
人間に似た、人間ではない異形の化け物、それが上空を覆っている。
紅でも紺青でもなく、真っ黒に。
「あれは、なに?」
思わず口をついて出た言葉が、なんだかとても滑稽に聞こえた。
あれは。
…………悪魔!?
村はずれであったことと、小さい体が柵の陰になって見えなかったのが幸いしたのであろう。化け物たちはルチナリスの頭上を越えて行く。
越えて、次々と村に下りて行く。
見慣れたはずの村のあちこちで火の手が上がる。人々の悲鳴が聞こえる。
「メグ!」
母と手を繋いで帰って行った幼馴染みの後ろ姿が脳裏に浮かんだ。
彼女はどうしただろう。彼女の家はこの道を真っ直ぐに行った、あの化け物の下りた先。
『お引越し先はね、海の近くなんですって』
夕陽に紅く照らされた笑顔が、そのまま紅に塗り潰されていく。
「メグ!」
「ルチナリス!」
ルチナリスがよろけるように村への道を駆け出しかけた時、声が響いた。
時同じくして腕を掴まれる。
振り返ると、神父が青い顔をして立っていた。
だが彼は掴んでいるルチナリスではなく、村を凝視している。
「……神父様」
ルチナリスの声に神父は強張った表情のまま息を吐き出し、それからなだめるように彼女の頭に手を置いた。
置かれた手がかすかに震えている。
「悪魔どもの人間狩りだ。お前は早く逃げなさい」
神父は早口にそう言うと裏山を指差した。村とは反対方向の裏山を。
にんげん、がり。
ルチナリスは神父の言葉を反芻した。
どうして? こんな山奥の村なんかには悪魔は来ないんじゃなかったの?
「明日の朝日が昇るまでは決して村に戻って来てはいけないよ。決して、だ」
でも
あれは
空に現れたあの化け物の群れは
どう見て、も
燃え盛る炎に包まれる光景がルチナリスの瞼に浮かんだ。
自分を庇うようにして目の前で倒れた女の人。顔はわからないのに、逃げて、と動いた唇だけがやたらと鮮明で。
あれは。
あれは……マ、マ……?
そして。
彼女が視界から消え失せた後に立っていた、黒い人のようなもの――。
「人間狩りって!? 村は!? メグは!?」
「心配しなくていいから早く行きなさい。私は、」
「ねえ! メグは!?」
神父は身を屈めてルチナリスの顔を覗き込むようにしながら、諭すように言う。
「心配することはない。あとでメグも連れて行くから。だからお前は先に行って……そうだな、ホワイトセージの茂みがあったろう? あの陰に隠れているといい」
「神父様は?」
「私は聖職者だからね。悪魔を追い払わなければ」
「あ、あたしも、」
悪魔が来たのなら、やっつけるチャンスじゃない。
奴らは弱いから集団で襲ってくるんだって、1匹でいる奴を狙えば子供でも倒せるんだって、この間村に寄った勇者様たちが言っていたわ。
神父は唇を噛みしめ、首を左右に振る。
「逃げなさい。奴らはお前のような幼い子供を狙っている。捕まってはいけない。逃げて、隠れて、生き延びることだけを考えなさい。できるね?」
「神父様!!」
彼はそれだけ言うとルチナリスを裏山へ押し出した。そしてそのまま村への道を駆け下りて行く。
薄暗い中に、紅い火の粉がはらはらと散る。
神父の後ろ姿も、その中に溶けるように消えて行った。
人間狩り。
この世には悪魔と呼ばれる存在がいる。
悪魔は魔法が使えて、そして人間を捕まえて食べてしまう。
逃げないと。
ルチナリスはのろのろと立ち上がると周囲を見回した。
神父の姿はどこにもない。
眼下に広がるのは炎の海と、まるでそれ自体が生きているかのようにもくもくと増えていく黒い煙。
風に乗って漂う異臭。
ただ、悲鳴も何も、人の声らしきものは聞こえない。
「あ、」
あたし、ひとりで逃げてしまっていいの?
悪魔が来たら、そいつらを倒すんじゃなかったの?
……でも。
どうしよう、足がすくんで動かない。
前にも、後ろにも。
『逃げなさい』
逃げないと。
『悪魔に復讐する機会じゃない』
倒さないと。
でも。
動けない。
「あ、ああ」
どうしよう。
どうしたらいいの。
メグ。
神父様。
あたし……あたしは。
その時、背後で大きな翼の音がした。
後ろからルチナリスの小さな体に覆い被さるように差し込んだ影は、両手を広げた人の形。
そして。
「かわいこチャン見~っけ」
……振り返りたく、なかった。
ルチナリスの後ろに、羽根の生えた悪魔が立っていた。
ホワイトセージは魔除けに使われる植物です。
古くからお祓いや浄化に使われていたとか。
るぅちゃん5歳児の台詞じゃないですが、オールひらがなにすると読み辛いことこの上ないので、そこはご容赦下さい。





