6 【菖蒲の姫君・1】
著作者:なっつ
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その城は、険しい山道を越えた先に突如として現れた。
ノイシュタイン城と同程度の小ぶりな造りだが、こんな人気のないところに建てるのでは労力も格段にかかるだろう。
しかし、見れば色とりどりの草花が雑多に咲き乱れ、庭木も刈り込んだばかりと言わんばかりの整然とした形で揃っている。とても長い間放置していたようには見えない。
ここはアーデルハイム侯爵の別邸。
主な魔族は、人間界ではこのように離れた辺鄙な土地に居を構えるのが普通とされている。
自分たちの素性がばれた時の身の安全と、そして狩る対象――人間と同じ場所には住みたくない、同じ空気を吸いたくないという差別的な理由で。
「これではノイシュタインに帰るのは明日の昼になってしまいますね」
乗って来た馬車が去っていくのを見送りながらグラウスは空を見上げた。先ほどまで空を染めていた鮮やかなオレンジ色は、既に紺青に変わりつつある。
城を出たのは午前中。そんなに長く馬車に揺られていたつもりはなかったのだが。
「大丈夫。この空は幻覚だから」
懐中時計の蓋をパチン、と閉めた青藍も執事に倣うように空を仰ぐ。
「……幻覚?」
グラウスは自分の時計を見た。午後6時半。空の色に見合った時刻と言えよう。
馬車に揺られている間に眠りでもしようものなら、まず疑うことなどない。針はそんな時刻を示している。
現に眠っていなくても疑わなかった。それなのに青藍はこの時間どおりの空を幻覚だと言う。
「ヴァンパイアには朝の日差しも昼の太陽も不要なものだからね。ここには夕暮れと夜しかないんだ」
訝しげに空を見上げたグラウスに、青藍は懐中時計を弄びながら説明を加える。
夜だけが繰り返される世界。
こんな機械仕掛けのものにまで作用するとは……、知っていなければ、ずっと明けない夜を待つことになるのだろう。
「普通の時計は役に立たない、と」
グラウスの呟きに、青藍は鎖を外すと自らの懐中時計を差し出した。
あたり一面、城を取り囲む木々に沈んでいった夕日が残していったオレンジ色に満ち溢れている。その光が、彼の差し出す時計の蓋に反射した。
蓋に彫り込まれた両翼を広げた鳥のようにも見える紋章は彼の家のもの。特殊な細工を施してあることは、家の紋章を頂いているところから見ても明らかだ。
――あの紋章と同じ。
グラウスは気づかれないようにそっと上着のポケットを押さえる。
「交換しよう。正確な時間はお前が知っていた方がいい」
手を出さないグラウスの手を取り、その手のひらに青藍は自分の時計を握らせた。
紋章が存在を示すように鈍く光る。
鳥、か。
グラウスは握らされた懐中時計に見入った。
あの日、目の前の彼から託されたのも同じ鳥の紋章だった。
この時計は、正確な時を刻む。
正しい道を指し示してくれる。
彼が託してくれた鳥のように、自分を導いてくれるだろう。
だが。
「それでは青藍様が」
正確な時を知ることができるのはこの時計のみ。それを自分が持ってしまえば、彼は時を知る術を失う。
「帰り支度をしておいて。9時になる前に此処を出ないと、幻覚に囚われて戻れなくなる」
見てごらん、と青藍は城の屋根の先端を指差した。
尖った屋根の先端に黒い霧のようなものが見える。それは触手のように幾筋かに分かれ、周囲の空の色を絡め取っていく。
空の色とは端から変わっていくものではなかったか? 何故あんな位置から……。
「あれはヴァンパイア一族が作る夜の結界。ああして少しずつ広がっていくんだ。あの速度なら、9時頃には城全体を覆ってしまうだろうね」
ただ時間がわからなくなるだけでなく、止まった時に閉じ込められてしまう。
齢の長い魔族ならまだしも、もしただの人間がこの城に彷徨い入ってしまったら白骨化するまで出ることは叶わないだろう。
しかし。
そんな「何処かの誰か」のことなどどうでもいい。
グラウスは受け取った時計を握りしめる。
「そんな危険があることを知っていて、何故誘いに乗ったりしたんです」
戻れない、なんて。
まさかこの城に閉じ込めるつもりで呼び出したわけではない、と思いたい。
だが青藍は言い切った。帰り支度をしておけ、と。
それは言いかえれば、いつでも出られるように待機していろと言うことだ。楽観視などできない。
魔王がいなくなれば狩りどころではないことくらいわかっているだろうが、なんせ魔族というものは享楽的だ。したいと思ったことを優先するきらいがある。「魔王」にはいくらでも代わりがいるが、「青藍」はただひとり。そう簡単に手放してはくれないかもしれない。
そうでなくても魔族は寿命が長い分、時間の観念が薄い。積もる話が尽きなくて、と言う程度で何年も縛られる羽目になったのでは堪らない。
もし期限までに城を出ることができなければ、ノイシュタインに残してきた義妹の顔だって2度と見ることはできない。次に解放された時には彼女はもう墓の下だ。それだって推測できただろうに。
「だからさ、アーデルハイム侯爵からのお誘いじゃ断れないって言ったでしょ?」
「侯爵がなんですか! 現に今までだってこの手の誘いは断ってきたでしょうに」
不審の目のまま見下ろすと、ご主人様は委縮して目を逸らした。