後日談 三人の休日
一 約束の休日
最終戦から二週間が過ぎた。
海沿いのサーキットには、レース当日の喧騒がもうない。代わりに聞こえてくるのは、波の音と、遠くで鳴く鳥の声だった。
「おーい、駆。そっち、持ってくれ」
佐藤匠が声をかける。
「ええ? 俺、今日休みだって聞いたぞ」
「休みだから、三人でやるんだろ」
「何を?」
「昼飯の準備」
匠が持っていたのは、工具箱ではなく大きな保冷バッグだった。
駆は目を丸くした。
「匠が料理するのか?」
「何だ、その顔は」
「いや、整備マニュアルがないと包丁を握れないかと思って」
「お前の昼飯だけ抜きにするぞ」
二人の言い合いに、後ろから笑い声が重なった。
「相変わらずだなあ、二人とも」
鈴木翔だった。
支援機器を備えた車椅子で、ゆっくりと二人に近づいてくる。今日はレーシングスーツではなく、柔らかな青色の上着を着ていた。
「翔、遅かったな」
「誰かさんが『昼飯は任せろ』って言うから、手ぶらで来ちゃった」
「正解だ。こいつ、まだ何もしてない」
匠が駆を指さす。
「俺、来たばっかりなんだけど!」
三人は顔を見合わせ、声を上げて笑った。
二 世界一速い昼休み
テーブルを置いたのは、海の見える小さな休憩スペースだった。
匠が用意したのは、握り飯と卵焼き、それに温かい味噌汁。
「……うまい」
駆が呟く。
「意外そうに言うな」
「いや、本当にうまい。これ、匠が全部作ったのか?」
「卵焼きはな。握り飯は買ってきた」
「そこは正直なんだ」
翔が笑う。
匠は翔の食事を手伝う支援具の位置を確認した。翔が自分のペースで食べられるように、さりげなくテーブルを調整する。
「どうだ、使いにくくないか」
「大丈夫。ありがとう」
翔は一口食べ、満足そうに目を細めた。
「そういえば、最終戦の映像、また流れてたぞ」
駆が言う。
「俺が最後に抜かれるところ?」
「そうそう。何度見てもいい場面でさ」
「本人の前で言う?」
「だって、俺が勝ったんだもん」
翔は少し考えるふりをした。
「じゃあ、次のレースでは絶対に抜かせない」
「望むところだ」
匠が味噌汁を置きながら言った。
「二人とも、今は昼休みだ」
「分かってるよ」
「じゃあ、その箸を置いてアクセルを踏むような顔をやめろ」
また笑い声が上がった。
海からの風が、三人の間を静かに通り抜けていった。
三 次の夢は、ゆっくりと
食後、駆は少し離れた整備棟を見た。
その中には、純白の初代SERAPHIM X-05がある。
そして別の棟では、漆黒のLUCIFERが次の試験に備えていた。
「なあ、翔」
「ん?」
「次は、何をしたい?」
翔はしばらく考えた。
「レースも続けたい。でも、まずはこの操縦技術をもっと使いやすくしたいな」
「車以外にも?」
「うん。手足を動かせなくても、自分の意思でできることが増えたら嬉しいだろ」
匠が頷く。
「ジェルや循環保護の研究も続けてる。レースで得たものを、ほかの場所でも役立てたい」
駆は空を見上げた。
「俺はさ、子どもたちに初代SERAPHIMを見せたい」
「乗せるのか?」
「いきなり走らせないよ。展示して、どうやって作ったか話すんだ。最初は失敗ばっかりだったって」
翔が笑った。
「それなら匠の失敗談も必要だな」
「お前らの失敗の方が多い」
「そうだったっけ?」
「都合の悪い記憶を消すな」
三人はまた笑った。
少しして、翔がぽつりと言った。
「こうして、普通に昼飯を食べられるのもいいな」
駆は頷いた。
「うん。すごくいい」
「次は何を食べたい?」と匠。
駆は間髪入れずに答えた。
「カレー!」
「また俺が作る前提か」
「だって、匠の料理うまいし」
翔も笑って言った。
「俺もカレーに一票」
匠は大きくため息をついた。
「……分かったよ。ただし、買い出しは駆の担当だ」
「了解!」
返事だけは、レースのスタート前と同じくらい威勢がよかった。
夕方の光が海を照らす。
純白と漆黒の翼は、今日は静かに休んでいる。
三人にも、急いで走る必要のない時間があった。
そして次の約束は、世界一速い機体の話ではなく、来週のカレーの話だった。
――後日談「三人の休日」完――
SERAPHIM GRAND PRIX― 蒼穹の駆 ―を最後まで読んでいただき、誠に有難うございます。
今回は、次世代モータースポーツ「SERAPHIM GRAND PRIX」を舞台に速さだけを追い求めるのではない、人間模様を描きたいとの思いから、新たなジャンルに挑戦してみました。
車体の完成度を高め、新たなシステムを組み込み、それを最大限生かせるサーキット場を描き……。
なかなかに楽しい創作の時間でした。
また、皆さんと次回作でお会いできるのを楽しみにしております。




