第1話『超越者はただ静かに暮らしたい』
魔物蔓延る森の中。
そんな辺境で暮らしていても、脅威は一切ない。
弱者は見ただけで逃げ、強者も気を察知しただけでその場を離れる。
近づくのは、危機感のない小動物だけ。
「そんなつまらない人生でも、一向に構わない」そう言い続けてはや1ヶ月。
あの男は今日も森に足を踏み入れる。
「今日も来たぜーッ!」
赤い髪を整えながら、無駄に足音を立てて俺の小屋に向かってくる男。
「来るなと言っているだろ」そう言うのも、これで30回目だ。
それでも、この男は懲りずに毎朝俺の元を訪ねる。
「頭がどうかしている」と薄々思う。
そもそも、危険な森の中に青年1人が長剣1本でくるような場所じゃない。
「先に言うが、その話は断る」男が口にしなくてもわかる。
その次のセリフを――
「そう言わずにさー!俺のパーティに入ってくれよーぉ」
ケイス・ドゥメルト。
森を抜けた先にあるメヴュー最大の大国アフィネスに住んでいる一般男性だ。
なんの変哲もない青年。
最初に見た時も、非力な平民とばかり思っていた。
あれはちょうど1ヶ月前の出来事だ――
俺は普段通り小動物と戯れながらお茶をしていた。
そんな大切な時間を砕くかのように、男の悲鳴が聞こえた。
最初は無視していたが、その声は徐々に近づいていた。
おかげさまで小動物は怯えて森の中に身を潜めてしまった。
流石の俺でも、大切なティータイムを邪魔されてはひとたまりもない。
怒りを拳に込めながら悲鳴のする方へと足を運んだ。
「助けてくれーーッ!!?」
悲鳴ははっきり聞こえるようになり、ついには発声源を視界にとらえた。
そこには赤い髪をした青年と――
樹木を切り倒しながら青年を追う黒い狼がいた。
「そ、そこの人助けてくれーーッ!!?」
無駄にデカい声が、森中に響き、二重に聞こえる。
「俺が居るだけで抑制できてたんだが……」そんなことを呟きながら、一歩、前に足を運ぶ。
くだらない芝居に、深くため息を吐きながら静かに口元を震わす。
「超越する魔法――」
極力使わないように心の奥底に封印していたのだが、気分でその言葉を口にした。
足元が青白く発光し、星型を映し出す。
いわゆる魔法陣を展開すると、あたりの草木は激しく震え、さっきまでいた小動物は完全に姿を消してしまった。
赤髪の青年は驚いた表情を浮かべながらも、必死に俺に向かって走っている。
「しゃがまないと死ぬぞ」
そんなことを男に吐き掛けると、男は今にも「そんなことしたら狼に食われちまうーーッ!!?」と言わんばかりの表情を浮かべる。
ため息を吐きながら「はぁ、仕方ない」と明らかに不機嫌だという顔をしながら青年の方に向かう。
近くに落ちていた石を拾い、赤髪の青年に向かって力強く投げつけると、男は咄嗟にその場に屈んだ。
「危ねえじゃねえかーーッ」その言葉を放ち終わる前に、男を巨大な影が覆う。
黒い衣を纏った狼が、その巨大な爪を立てて、勢いよく振りかざす。
男は頭を押さえて、その場に額をつけていた。その姿は、まさに捕食される寸前の小動物だった。
「まったく。ティータイムの邪魔をした罪は深いぞ」頭を抱えた赤髪の男を見下ろし、狼を見つめる。
刹那。
狼の首がゆっくりと地面に落ち、地を抉る。
その首は死んだことにすら気づいていないように、無表情だった。
「あ、アイツが悪いんだーーッ!急に石なんか投げやがってーーッ」
男は何度もそんな言葉を吐いた。
その度に男の頭を軽く叩いた。
「起きろ。お前は死んでない」そう呼びかけても、男は俺に対する呪いを吐き続ける。
思わず拳に力がこもったが、俺を見つめる小動物が目に入り肩の力を抜く。
「まったくだ。くだらんことに時間を使わされて」男を放って、小屋の方に足を運ぼうとした。
しかし、男はそれを許さなかった。
「ま、待ってくれーーッ!」
その言葉を聞いて、ストレスが頂点に達しかけ、近づいた瞬間に顔面ストレートを決めようと、そう決心していた。
「名前はーーッ!?」男の声が耳元に到達した瞬間に、勢いよく振り向き、拳を振り上げた。
「さっさと帰れ――」そんな言葉を吐きながら、拳を振り下ろそうとした。
しかし、男の手には小動物が抱えられていた。
その光景を見て、無意識のうちに肩が落ちる。
「お前のような凡人が来ていいような場所じゃない。次はあの狼の餌になるんだな」そんな話をしながら、男の腕の中に抱えられている小動物を救出する。
「ちょ、待ってくれよーーッ!」
無駄にデカい男の声に、耳障りに感じるが、「怒るのも疲れる」と自分に言い聞かせ、男を無視しながら小屋に向かう。
男は諦めたのか、足音が遠ざかっていく。
本当に諦めていて欲しかったが――
「また来るからなーーッ!」
それは小屋の扉に手をかけた時に、耳に入った。
無意識に腕に力が入り、扉の取手が折れたのは別な話だ。
それ以来――
毎日のように森に立ち入っては、俺の小屋に来る。
俺からしたら迷惑でしかないし、小動物からしても、あれほどうるさい動物が来たら恐怖だろう。
「帰ってくれ。俺はお前に興味がない」適当にケイスを睨みつけて、追い払おうとする。
いつもなら「ちぇーーッ、今日もダメかーー」と言って「また明日も来るぜーーッ!」と呑気に森から出ていくのだが、今日は違った。
「そんなこと言わずにさーーッ!
俺のパーティに入った暁には、飯を奢ってやろう!」
今までとは違う展開に、少々戸惑ったが、「奢りなんてごめんだ」と会話を振り払う。
しかし、ケイスも負けず劣らずに会話を繋げようとしてくる。
「高級肉ーーッ!高級な肉を奢る!」
だが、その言葉に一切そそられない。なんせ俺は肉が嫌いだからだ。
小動物を愛す俺が肉を食うなどあり得ない。
「悪いが、俺は甘党だ。肉は食えない」訳のわからない断り方だと、自分でも思ったが、話を断るなら最適だろうと、そう思ったのが運の尽き――
「じゃあ高級なデザートを奢ってやろう!」
もうケイスの話を断るのは不可能なんではと思ってしまった。
たった一言が、俺の平穏な生活に幕を下ろしてしまうとは。
「……苺のショートケーキなら、考えてやらんこともない」たった一つの好物のためだけに、そんな軽い言葉を叩いてしまった自分を、その時は最高に恨んだ。
ケイスは口角を上げると、俺の腕をガッシリと掴んで、ケイスが踏みしめてきた森道に引っ張る。
「交渉成立だーーッ!」
この時の俺は、世界で一番惨めだっただろう。
もう戻れないだろう。
平穏には暮らせないだろう。
俺は、この森に最後の別れを心の中で誓った。




