第7話:精霊魔法と神聖魔法
――目が覚める。
淡い微睡みの中、もうひと眠り……と思ったが、自分の置かれた状況を思い出し目蓋を開いた。
薄暗いが、しっかりとした木で組まれた梁が目に映る。
取りあえず家屋内で目覚めれた事を、神に感謝すべきなのだろうか。
昨夜の目覚めと比べると、意識は幾分明瞭な感じがした。
横になったまま暫くは静かに時を過ごす。
これから生きるか死ぬかの裁きを受けるのかと思うと、胃がチクチクと痛む思いがした。
誰かに起こされるまではこのまま寝ていた方がいいのかも知れないが、既に睡魔は影を潜めてしまった様だ。
息を吐き心の中で幾つかの諦めを付けてから、ゆっくりと上半身を起こした。
寝床には厚手の布が何枚か重ねて敷いてあった。
無地のものが数枚、一番薄手の布は織り目が細かく草花の様な紋様が描かれてある。
元居た世界と似た文化や風土に触れる事は、心が救われる思いがする。
上手く生き永らえる事が出来たら、順応するのは然程難しい事では無いかも知れない。
(生き永らえることが出来たら、だけどな――)
昨夜、老魔法使いルーファスにこの部屋まで案内されて、その後の記憶が全く無かった。
薬師のソフィアとの会話にあった昏睡の魔法とやらで、深い眠りに落とされてしまった、と考えるのが妥当か。
ふと、治癒の魔法で治して貰った足を見てみた。
痛みはもう殆ど無かった。
傷が治り掛けると痒みを感じるが、それも無かった。
傷痕はまだ痛々しくあるが、今のところ膿んでいる様子はない。
「――寝ている間は元の世界とかでは無いみたいだな。ここはまだ異世界ってことだ」
思わず呟きが零れた。
木造ならではの木の匂いに、薬草や香辛料が織り交ざったような匂いがする。
魔法使いの家と言うよりは、雑貨屋とかアジアン居酒屋みたいな匂いに感じられ笑みが零れた。
簡素な寝床を抜け出し、昨夜老魔法使いらと語らった部屋へと移動する。
ロウソクやランプは消えていたが、外からの光が射し込み視界は確保できた。
部屋を移ると、そこには栗毛の女性がいた。
薬師のソフィアだ。
昨夜と同じく緑色に赤の刺繍が施されたローブを纏っている。
テーブルの角にもたれ掛かり佇んでいた。
彼女はおれを見ると「――あら、おはよう。よく眠れたかしら?」と声を掛け歩み寄って来た。
改めて健康的で美しい女性だなと思う。
元いた世界であれば、モデルとか女優でも活躍出来そうなくらいだ。
「おはよう、ソフィアさん。あの、ルーファスさんはどこに?」
「あの偏屈なじいさんは外で浄化の準備をしてるわ」
ソフィアは呆れ声でそう言うと、おれの前に立ち腰に手を当てた。
ルーファスと喧嘩腰で話していた時よりも物腰の柔らかな立ち振る舞いだが、気の強さは滲み出ている。
「結局、ルーファスさんが浄化をしてくれることになったと言うことですか?」
「夜が明ける頃には、浄化用の魔法陣を描き出していたから。初めから自分ですると決めてたんじゃないかしら?」
「それって、要するにソフィアさんも浄化の魔法が使えるってことですよね?」
「系統は違うけれどね。ルーファスのは精霊魔法で、私は神聖魔法。今日みたいなよく晴れた日は光のマナで溢れてるから、精霊魔法の浄化の方が効果覿面なのは間違いないけど」
何気ない立ち話の中に、さり気なくファンタジーテイストたっぷりの内容が織り交ざっている。
改めてここが異世界なのだと思い知る瞬間だった。
「精霊魔法と神聖魔法と系統が分かれてると言う事は、仕様が違うと言うか、魔法を発動させるための源が根本的に違う、と言う事ですか?」
つい反射的におれは思わずそう口走ってしまった。
言葉遣いには気を付けたが、話しかける勢いを抑えることは出来なかった。
そんなおれの様子をソフィアは目を見開いて見ていた。
「貴方って不思議ね。教養は高そうなのに、そんな誰でも知ってるようなことが分からないなんて」
「あの、その、なんて言うか、わたしの故郷では魔法を使える者がいなくて……」
ソフィアには、おれが別の世界から来た可能性がある、と告げてないことを思い出した。
昨夜ルーファスがその話を伏せた様に感じたので、おれも迂闊な発言は控えたのだが。
「魔法を使える者がいない?ふうん、それは少し妙な話ね。この時代にそんな国や街があるのかしら?貴方を見る限り、魔法文化の無い様な未開の地の部族出身には見えないし。それに、とても流暢なイセリア語を話してるわ。訛りも無いし、まるで王都に住む上流階級の人々が使うような言葉をさらさらと」
彼女は気が強い上に中々の洞察力を有している。
これ以上の嘘や誤魔化しで彼女を謀るのは無意味だし、今後の関係性に悪影響を及ぼしかねない。
先の長い命では無いかも知れないが、それでも味方は一人でも多い方が良いのは間違い無い筈だ。
「あの、ソフィアさん?浄化まで、まだ少し話す時間はありますか?」
「ええ、まだ大丈夫よ。魔法陣を描いて光のマナを収束して、何度か発動試験を繰り返すはずだから」
「では、少し腰を落ち着けて話しませんか?」
そう言いテーブルの椅子を引き出すと、ソフィアはすぐに腰かけてくれた。
そこは昨夜彼女が座っていた席で、おれはぐるりとテーブルを回り昨夜と同じ席へと腰かける。
「――で、どんなことを話してくれるのかしら?全く見当もつかないから、すごく楽しみ」
その言葉通りソフィアは目を輝かせておれのことを見ていた。
この世界の文化や時代背景は全く分からないが、この女性が好奇心や探求心旺盛なのは間違いない。
「あまりにも荒唐無稽な話をしてしまう事に、なるかもしれないですけど」
「別に構わないわよ?知ってることや分かってることを長々と話されるよりも、馬鹿げてても物珍しい話の方が楽しいもの」
彼女は昨夜よりも明らかに上機嫌そうな笑みを零している。
自ら話のハードルを上げるのは好きでは無いが、今から話すネタは彼女の期待や想像を遥かに超える自信があった。
ルーファスの様に魔法使いや研究者として多少なりとも知見のある人物は寛容に受け入れてくれたが、果たしてソフィアの様な若い女性がどの様な反応を示してくれるのか。
昨夜と打って変わり、今日はおれが実験的な視点で彼女を観察する事になる。