第1章 第1話 悲哀の姑獲鳥 ⑧
姑獲鳥が消えたことを確認してノラは僕たちに掛けていた魔法を解いた。
「要さんは、行ったようですね。」
「ええ、皆さん、この度は本当にお世話になりました。」
「いえ、まだですよ。」
頭を下げようとする辰正さんにノラは言う。
「要さんは彼女の思い入れが最も強い場所に移動しただけです。もちろん、姑獲鳥としての特性を失った地縛霊として、ですけど。」
「え、それはどういう…。」
「詳しくはアーサーに聞いてください。この作戦の発案者は彼ですから。」
ノラは辰正さんに見えないように僕に悪い笑みを向ける。
こいつ、なんでこのタイミングで僕にいやがらせを仕掛けてくるんだ。状況を考えろ。
「アーサーさん。一体どういうことなんでしょう。」
「えーっとですね…まあ、その場所に行けば分かると思います。まずは移動しましょう。目的地はもちろんあなた達の家です。」
彼女は辰正さんに「先に帰ってます。」と言った。その言葉が本当なら彼女は今家にいて、地縛霊ゆえにそこからはそう遠くへはいけないはずだ。
「分かりました。行きましょう。」
辰正さんは僕の言葉を信じてくれた。ありがたい限りだ。
感動的ともいえるあの一連の顛末にはどうやら、ノラが一枚噛んでいたようだが、僕にはノラが何をしたか未だに分からない。
「なあノラ、今のうちに教えてくれ。僕には二人の愛が奇跡を呼んだようにしか見えなかったんだけど。」
「え、何?二人の愛が奇跡を呼んだ?何言ってるの?恋愛小説の読みすぎじゃない?…冗談よ、ごめん。…実を言うと、私はあの二人が話してる最中に魔法を使っていろいろ実験してみたの。岩を軽く振動させてみたり端っこのほうを砕いてみたり。」
なんて奴だ。感動の再会の裏でそんなことをしてたのか。…こいつはきっとあれだ。説教を受けてるときに後ろで手を組んで見えないように手遊びする奴だ。
「それでも姑獲…要さんは特に何も感じてないみたいだったからいけるなって思って、やったの。」
「やったって何を?」
僕は馬鹿か。いま僕が彼女に言うべきことは「なんで僕の作戦に無いことしたんだ!」とか、「それでもし僕らがいることがバレたらどうするつもりだったんだ!」とかそういうことなのに。
「岩を砕いたのよ。見てたでしょ?みんなは要さんの姑獲鳥としての性質が消えた合図として岩が砕けたって思ったんでしょうけど本当は逆。そう思われたことによって要さんの姑獲鳥としての性質は失われたの。」
「それはあれか。物の怪の存在の源である『信仰心』を利用したってことか?」
「その通り。よくできました。偉い偉い。」
「馬鹿にしてるのか。」
「私はしないわ。馬鹿になるとすればそれはあんたが勝手になるだけよ。」
これ以上軽口で応戦しても重い返しが待っているだけなので僕は口をつぐんだ。
にしてもやはりノラは天才なのだろうか。いや、彼女に言わせると万能か。あの状況でそんな判断そうそうできるものではない。
あの時、要さんを姑獲鳥と認識していたにはこの世界でたったの5人。僕とノラと双子、そして辰正さんだ。ノラはその機転によって5人のうち4人、さらには要さん本人にまで要さんは姑獲鳥で無くなったという認識を持たせた。
そうなってしまえばあとは多数決の原理で晴れて要さんは姑獲鳥の性質を失い地縛霊になったというわけだ。
参考までに一応断っておくが、霊的なエネルギーの込められたものはそう簡単に破壊できるものではない。妖刀を武器として重宝する者がいるのはそういった理由からだ。また、百年使われた道具には付喪神が憑りつくとよく誤解されているが、付喪神が憑りつくから百年使えるというのが真相だ。
程なくして僕たちは家の前に到着したが、ノラはそこで皆を制止する。
「ちょっとみんな下がってて。中に要さんがいるか見てみるから。」
そう言ってノラは目を閉じ、掌を家のほうへとかざす。
「えーと…あっいたいた。ちょっと待って今結界張るから。」
そう言ってノラは杖を握り頭上に掲げる。
「はい。終わりました。辰正さん入っていいですよ。要さんを探してあげてください。」
そう言うノラだが、家の周囲に結界らしきものは見えない。見えないタイプの結界なのだろうか。
辰正さんは玄関の戸まで走り寄り、勢いよくそれを開けた。
すろと、玄関を上がってすぐのところに要さんは横たわりスヤスヤと寝息を立てて眠っていた。
「か、要!」
辰正さんは履物を脱ぐのも忘れて要さんに駆け寄る。
「ん…ああ、あなた。お早う。」
要さんはあくびをしながら伸びをする。
「あれ、私まだ成仏していなかったんですね。光の粒になって消えたものだからてっきり奇跡的に成仏できたと思ったのに…。それに私の姿、どうしてあなたに見えているの?」
「それは私が説明しましょう。」
ノラは嬉しそうな顔をして二人に歩み寄る。
「今この家の周囲には結界を張っています。この結界は内にいる霊を実体化させるとともに外部からの霊や物の怪の侵入を防ぎます。さっき要さんがいるかどうか見たとき一緒に要さん以外の霊がいないこともしっかり確認しておいたので安心ですよ。」
ノラの顔がとても生き生きしている。ホント、嬉しそうに説明するよな…。これだと説明される方もされ甲斐があるというものだ。
「おーいノラ、説明が終わったら帰るぞ。二人のお邪魔しても悪いしな。」
「そうね、ごめんなさい私ったらつい楽しくなっちゃて。」
それじゃあ僕達はこれで、と帰ろうとする僕達を辰正さんは呼び止めた。
「ノラさんから聞いたのですが、基地を作るんですか?でしたら人目に付きにくい良いところを知ってます。」
何ということだ。何と嬉しい申し出だろうか。しかし同時にどうしたものか。帰るといった手前ばつが悪いが、
「是非教えて下さい。」
少しくらいいいだろう。
結局、僕はそれから5分ほど話を聞き、夫婦に別れを告げた。
しばらく歩いて…
「なあノラ、聞きたいことがあるんだけど。」
「あなたに言うことは何もないわ。」
「何でだ。別に答えてくれてもいいだろ。」
「嫌よ。黙秘権を行使するわ。」
「この島国にそんなものは存在しない。…なんでだ。さっきまであんなに嬉しそうに話してのに。」
「だからこそよ。あんた大好物をおなか一杯食べて幸せになってるところにさらに大量の大好物が運び込まれて、今すぐ平らげろって言われたら、嬉しい?」
確かにそれは嬉しくない。なるほどこれは僕が双子にした「限度をわきまえろ」という話に通じるところがあるのかもしれない。
いや、納得しちゃ駄目だ。
「そこを何とか頼むよ。あの夫婦の未来の幸せがかかってるんだ。」
「…なら仕方ないわね。何よ。」
ノラは不機嫌そうな視線を僕に注いだが、しかし了承してくれた。
「あの結界、要さんを実体化させてるって話だけど、要さんは霊だからあの姿のまま変わらないんだよな。」
「うん。でもなんでそんなこと聞くの?あんたなら何もかもお見通しじゃないの?」
「そんなわけないだろ。僕は知ってるだけで何も見えてないよ。それで、話を戻すけどそれってまずくないか?先の話かもしれないけど辰正さんはいずれ死ぬ。そうしたら彼女はまた独りになる。」
「まあそうだけど、そのことはその時になったら考えればいいんじゃない?今が楽しければそれでいいじゃない。」
なんだそのダメ人間まっしぐらな理論は。ノラの場合は彼女の実力に裏打ちされた一つの人生観なんだろうが。
「大丈夫よ。きっとあの夫婦は私達が思っているほど弱くない。信じましょ。」
信じる。か、確かにいい言葉ではあるんだけど結局のところそれってただの丸投げなんだよな。
「あんたはきっと考えすぎなのよ。だって普通他人の人生にそこまで踏み入らないわよ。別にね、自分が関わった人は自分の手で全員幸せにしないといけないわけじゃないんだからね?」
勿論そんなこと分かっている。そうすることが現実的に不可能だということも。
「そうだな。できることはやったわけだし、祈るしかないよな。」
「まあ、今回の手柄は主に私のものなんだけどね。」
「ごもっとも。」
認めてしまうとノラにつけ上がられてしまうかもしれないが、仕方ない。本当のことなんだから。
「で、何か忘れてない?」
「何か?ごめん何のことか分からない」
とぼけているわけでもボケているわけでもなく、本当に分からない。
「基地よ。何か勝手に作ろうとしてるみたいだけど、私はまだ認めてないわよ?」
何でだよ。なんでこのタイミングなんだよ。