第1章 第1話 悲哀の姑獲鳥 ⑦
さて、いよいよこからが本題。
人気が無く、障害物もない開けたところへと場所を移し、そこに辰正さんは一人立っている。
そこから8メートル後方にデキステルを、そのさらに10メートル後方に僕とノラとシニステルを配置する。
辰正さん以外には「可視光線透過魔法」をかけている。つまり透明になったということだ。これは転送された時に姑獲鳥が辰正さん以外の人間を視界に入れないようにするための配慮であり、8メートルというのは万が一のことが起こった場合デキステルがすぐに駆け付けられる距離だ。
「では、お願いします。」
辰正さんの合図でノラは姑獲鳥を上下逆に転送する。
勢いのついた姑獲鳥は地面すれすれに転送されたにもかかわらず瞬時にかなりの高さまで上昇した。
「!?一体何が、ここは?」
突如一変した視界に姑獲鳥は当然ながら動揺する。しかしそれはつかの間のことで、すぐさま空中で姿勢を立て直し静止する。
そして奇しくも、体勢を整えた姑獲鳥の真正面に辰正さんは立ちはだかる形となった。
彼をとらえた彼女の目が大きく見開かれる。
「要、俺だ辰正だ。」
辰正さんは彼女にそう呼び掛け、彼女の方へと一歩踏み出す。
「あなた?本当に…あなたなの?」
「ああ、俺だ。しばらくぶりだな会いたかったぞ。」
彼女の黒く大きな目から何粒もの涙がこぼれる。
「う、ああ…あなた。」
一粒また一粒と涙は地面に吸い込まれていく。吸い込まれていくたびに彼女の高度は徐々に下がる。
「やっと、やっと会えた。…私はずっと…。」
「探してくれていたんだな。ありがとう。…寂しい思いをさせてすまなかった。」
辰正さんはさらに一歩踏み出し、二人の距離は縮まる。
全ては順調であるかと思われた。
しかし、彼女の足が辰正さんの頭くらいの高さまで降りてきたとき、事態が動いた。
彼女がその足で掴んでいた赤ん坊を落としてしまったのだ。しかし今まで赤ん坊だと思っていたものは彼女の足を離れた瞬間ただの岩と化した。
恐らく姑獲鳥の特性によるものだろうが、幸い彼女は今辰正さんの真上にいるというわけではなかったので彼に岩が直撃するという事態は避けられそうだった。
「ぐっ!!」
しかし辰正さんは動いた。自ら岩の下に身を滑らせ、両手で受け止め、両足を広げて踏ん張る。
「大丈夫だ!!」
その言葉は要さんに向けられているとともに僕らにも向けられていたのだろう。彼が大丈夫だと言っている以上僕らは動くわけにはいかない。何か考えがあるのか。しかし事前に打ち合わせをした時には何も言ってなかった。
「ごめんなさいあなた!早くそれを私に」
「返さないよ。大丈夫だといっただろう?それに、これをお前に渡すとせっかく会えたのにまた振出しに戻ってしまうじゃないか。」
「え?」
「まだお前が俺のことを『たっちゃん』って呼んでた頃の話だ。近所の婆さんが話してくれた怪談だろ?姑獲鳥というのは。今のお前というのは。」
「あなたも、覚えていたのね…。」
「ああ。あの時初めて聞いたが、以降一度も聞いたことがない。さほど有名な話じゃないんだろうが、あの話が今のお前だとしたらこの子をお前に返した途端お前は消えるんじゃないのか?」
確かに、「姑獲鳥」という物の怪は赤ん坊の扱いによって二種類の行動に出る。
赤ん坊を抱くことを拒むか落としてしまったりしたときは殺される。姑獲鳥がいいと言うまで抱き続け、無事に返すことができたら姑獲鳥は消える。その際、怪力を授けられるとも言われる。
よくよく考えたら僕が襲われたのは赤ん坊を抱くのを拒んだせいかもしれない。なぜあの時このことを思い出さなかったんだろう。いや、辰正さんが苦悶の表情を浮かべてやっと持っていられるものを僕は一秒として持っていられるわけがないから、どっちにせよ僕は襲われていたか…。
何であれ、姑獲鳥は岩を放してしまった。そしてやはりその瞬間から「姑獲鳥」という怪現象は始まってしまっており、辰正さんが岩を受け止めていなければ彼女は自らの夫を殺さなければなくなる。つまり彼が取ったとっさの行動は正解だったということだ。
「この岩を返してお前が消えることができたとしてもそれは必ずしも成仏とは限らないだろ?だってお前の根本的な未練は何一つ解決してないんだからな。」
根本的な未練。彼の言うそれとは夫に会うことでも謝ることでもなく、夫と子と三人で幸せに生きていくことなのだろうか。もしそうならその未練が果たされることは未来永劫ないだろう。
「その未練が消えない限りお前は何度消えようと姑獲鳥として復活し続けるんじゃないのか?」
「でもその岩だって決して軽くないはず。いつまでもは無理よ!」
「そうだな。いつまでもは無理だ。俺の体力が持つ限り、だな。」
「死にたいの!?その子を抱いた時点であなたの運命は二つに一つなのよ。返して一時的に私を消すか、返さずに私に殺されるか。」
「分かってるよ。それは言い換えるとお前が赤の他人を殺すか俺を殺すかということでもあるんだろ?だったら俺を殺せ。」
辰正さんは苦しそうな顔でそう言った。しかし彼の目は石を放すまいとう確たる意思を宿していた。
「自己犠牲のつもり?妻のしたことは夫である自分が責任を取ると?思い上がらないで。夫というものは妻の罪を背負えるほど偉いものじゃありません。」
「はは…、そうだな。確かにその通りだ。でも俺を殺すというのならある程度手は打てる。俺の体に霊を消滅させる魔法をかければ俺を殺した瞬間お前も一緒に消えられる。」
「ふざけないで!…本気で言ってるの?」
「本気だよ。それにほら、こうすると多少は楽になる。」
そう言って彼は岩を背中に乗せる。
「お前に謝るだけの時間は稼げるだろう。」
「謝る?」
姑獲鳥の目からもう涙は流れていなかった。その目は辰正さんの言う言葉の真意を測りかねた、探るような視線だった。
「ある人から聞いたんだ。お前がその体を手に入れて家に帰って来た時、俺はもうそこには居なかったと。」
「そんなこと、あなたが謝ることじゃ…。」
「いや、謝らないといけないんだよ。俺はな、逃げたんだよ。辛かったことを思い出したくなかったから。お前との楽しかった思い出もあったはずなのに、一人で乗り越えたような顔をして、出家だなんていう口実まで作って。すまなかった。」
彼は今度は頭を下げてはいなかった。その代わりに彼女の眼を真っすぐ見ていた。
「でももう逃げない。忘れないと約束する。だから一緒に家に帰ってくれ。要。」
「やめ、やめて。なんで、そんなこと言うの。…私は」
彼女の目から再び何粒もの涙がこぼれる。
「私は人を殺しかけたのに、帰ってもいいの?」
「当たり前だ。何のために夫婦になったと思ってる。」
その時だった。何の前触れもなく
バキンッ
という音が響き渡った。何の音なのかすぐには分からなかった。しかし、辰正さんの背中を見れば、それは分かった。
彼の背負っていた岩が、粉々に砕けている。
その数瞬後、今度は要さんに変化が現れた。
羽が抜け、見る見るうちに人間の姿に戻っていく。飛行能力を失った彼女は徐々に下降を始める。
「先に帰ってます。早く帰ってきてね。たっちゃん。」
彼女はそう言い残して光の粒となり、虚空へと消えていった。




