第1章 第後話 前編 悔恨の鬼 ⑭
夏が深まった頃
「降らないねー」
「そうだねー」
あたしと潮音は並んで外を眺める。ここ最近ずっと雨が降ってない。もうすぐ、晴れ続けて1か月になる。
実際かなりまずい。今は溜池の水を使ったり川の水を引いてきたリしてなんとか生活用水と田畑用の水は確保してるものの、溜池には限界があるし、川も枯れかかっているらしい。
「こんなに乾いたことはあたしの知ってる限りではないよ」
「そうか、やっぱり普通じゃないんだね、これ」
潮音によれば、あと一週間雨が降らないと本格的にまずいらしい。
「うん。普通じゃない。…多分だけど、物の怪が絡んでる気がする…」
表情を曇らせながらこぼしたその言葉に、あたしは思わず隣の潮音に体ごと向いてしまう。
「物の怪!?何で分かるの?」
「分からないよ。ただ、そんな気がするってだけ。こういう異常なことには物の怪が絡んでることが多いの」
「そうなのか…」
「あるいは、異常なことの原因として、物の怪が生み出されるのかもしれないけど」
「え?それってどういう…」
このあたしの質問に、今のあたしは答えられる。先生やノラちゃんがよく言ってる「信仰心」って言うやつだ。
人間は自分の理解の及ばない天災や運命に理由を付けたがる。それが物の怪。いると思うからそこにいる。いて欲しいという強い思い、願いがあってあたし達は生まれてくる。
もっとも、この時のあたしはそんなこと、欠片も知らない。
「というわけでちょっと様子を見てくるね」
「分かった。どこまで行く?」
「ん?ああ、潮離はお留守番よろしく」
「え?何で?」
てっきり付いて来いと言われるものと思ってたあたしは、驚いてつい声を上げる。
「うん。さすがに今回ばかりは付いて来させると危ない目に合わせちゃうかもしれないから」
それだけ言うと潮音はすぐに出かける準備を始める。
「いや、ちょっと待ってよ潮音。俺も行く」
「ううん。駄目だよ潮離。場合によっては戦うことになるかもしれないし。潮離はまだそこまで戦うのに慣れてるわけじゃないでしょ?」
「いや…そんなこと、ないよ。脚の扱い方だけならもう潮音にも劣らないくらいだし」
嘘じゃない。脚の扱いだけならあたしはこの時点で十分に上達して潮音から免許皆伝を言い渡されていた。
「そうだね。『脚の扱い』はね」
「…な、何が言いたい…?」
意図的に語気を強めて言われたと思われる「脚の扱い」に込められた意図を薄々察したあたしだったが、一応聞いておく。
「戦う練習をしてるとは言え、相手はいつもあたしでしょ?まだまだ実戦経験は浅い」
「だからと言って出させてくれなかったらいつまでも経験は積めないままでしょ?」
「うーん。それもそうか…」
予想外にあたしの言葉が響いたらしく、潮音は足を止めて考え込む。
「……分かった。あたしの指示に絶対逆らわないって言うなら、いいよ」
「うん!分かった!絶対言うこと聞く」
念願叶ったあたしは子供の様に素直に返事をして出かける準備をする。
まあ出かける準備と言っても、履物を履くだけなんだけどね。
「で、どこに行くの?」
「うーん。実はあてがあるわけじゃないんだよねー」
「え、そうなの?」
「うん。だって言ったでしょ?この日でりは物の怪の仕業かどうかも分かってないの」
「あ、ああ。そうだったね」
連れて行かせて貰えたことが嬉しくて忘れてた。
「まあ取り敢えず溜池の様子を見て回ろうか」
こうしてあたし達は溜池の様子を見て回ることになった。
溜池の形状や大きさ、周囲の環境はそれぞれ違っていた。しかしどの溜池にも共通して言えることがあった。それは
「思ったより深刻だね。どこもあと少ししか水が残ってない」
そう。雨が降らないから溜池の水は減る一方。今見てる溜池で6つ目のため池になるけど、今まで見てきた池に残ってた水の量を足し合わせても溜池一つを満タンにできるかどうかといった具合だった。
「で、どう?物の怪の仕業なの?これ」
「どうだろうね。まだ分かんないよ。原因となってる物の怪を実際に見つけるまでは」
「それってもしかして…あれ?」
あたしは前方を指差す。その先、溜池を囲む茂みの中に、それはいた。
初めからいたわけではなかった。いや、あたしが気付いていなかっただけなのかもしれないけど、多分それは無いと思う。もし初めからいたなら潮音が気付いていたはずだ。
「え?」
潮音はあたしの指差す先を目で追い、それを捉える。
それはやせ細った老人の姿をしていた。目は血走って、赤い目をしているのではないかと思う程だった。
それは何か言ってるのか、しきりに口を動かしている。しかし声が小さいうえに離れているため何を言っているのか分からない。
「何て言ってるんだろ?」
何と言ってるか気になったあたしはそれのいる方へ歩き出す。
「あっ、潮離。ちょっと駄目だよ」
「大丈夫。声を聴くだけだから」
もはや聞きなれてしまった潮音の「駄目だよ」にさして心を動かされるでもなくあたしは歩き続ける。
近付くにつれて声がはっきり聞こえてくる。
「……か。…ろ…か」
「んー?何て言ってるの」
「や、ろうか…やろうかあ」
「え…?」
それがしきりに口にしていたのは同じ言葉。「やろうか」だった。
「やろうかって…何?何かするの?」
「やろうか。やろうかあ」
「え、いや『やる』って…あ、もしかして何かくれるってこと?」
「ちょっと潮離。もういい。そいつから離れて」
「え?でも何かしてくれるみたいだし…」
さっきからずっと同じ言葉しか発さず、襲い掛かってくるわけでもなかったのであたしは警戒心を持とうとさえしていなかった。
我ながら迂闊なことこの上ない。
「いいからそいつから離れて。そいつにこれ以上何も言っちゃ駄目」
「え、何で…」
「いいから黙ってて」
有無を言わせぬ物言いに、あたしは素直に口をつぐむ。そして潮音は老人を見据えてこう言った。
「何がしたいのか分からないけど、あたし達は何もいらない。あたし達の前から今すぐ消えて」
すると老人の姿をした物の怪は潮音の言葉に従い、声と共にだんだんと薄れるように消えていった。
「ふぅ。よかった。消えてくれて」
「潮音。今のは…?」
「さっきのは物の怪。『やろか水』っていうんだけど、あいつの呼びかけに応じて『よこせ』とか『頂戴』って言ったら水をくれるの」
「いいことなんじゃないの?」
「ううん。全然よくない。鉄砲水だから。流されるよ」
「え?鉄砲水…?」
駄目だった。助けてくれるどころか、こっちの弱みに付け込んだ嫌がらせだ。
「そう。だから絶対挑発に乗っちゃ駄目」
「分かった。覚えとく」
しかしあの物の怪があたし達の前に現れたということは、他の村人の前にも現れるかもしれないということだ。
「さっきのやつのこと、村の人達に教えたげないとね」
「そうだね。今日の所はそっちの方を優先しようか」
そう言って潮音は踵を返す。
さすがに村人全員に教えて回るのでは時間が掛かって仕方ないのでこういう報告はまず村長さんにする。そのため今から目指すのは村長さんの家だ。
道中いくつか田んぼや畑を目にした。田んぼにはまだ辛うじて水気があるが、畑はほとんど干からびてる。地面は乾燥でひび割れ、草も本来の緑を失って土気色に干からびている。
「ねえ潮音。さっきの物の怪、『やろか水』だったっけ?あいつに頼んで、農業に必要な水だけ出してもらうように頼めないのかな?」
「無理だよ。やろか水の存在意義は自分に応えた人間の期待を裏切って、溺れさせることだから。物の怪って言うのは人の負の感情のはけ口。人間なんて絶対に助けない」
潮音は人間と助け合って生きてるんじゃないのか?そう聞こうとしたが、しかしその言葉はあたしの口から飛び出すことはなかった。
潮音が立ち止まり、その先にあたしは見たからだ。今までに見たことのない出で立ち、僧侶の姿をした複数の男達の姿を。
皆、網代笠と呼ばれる形状の笠を目深に被って表情は伺えない。
「おや、そこのお方。この村の方ですかな?」
その中の一人、周りの男達よりも首にぶら下げてる輪っかの数が多い男から声が響いてきた。
「ええ、そうですが。…何か?」
答えた潮音は何故か表情も、体も強張っていた。
「そうですか。では一つお尋ねしたいんですが、この辺りで物の怪を見ておいででないか?」
「物の、怪?」
潮音の緊張が高まり、一歩後ずさる。
いつもなら潮音はすぐさま質問に答えていたはずなのに、何と答えるべきか考えているのか、あるいは言葉が出てこないのか、潮音は言葉を発そうとしない。
「あの、物の怪ならさっき見ましたよ」
あたしは潮音に変わって質問に答える。潮音が答えようとしていない理由は分からなかったけど、少なくとも目の前の人間が質問してきているから、答えてあげることが「助け合う」ことになると思ったからだ。
「ほう、それはどんな?」
「えっと、やろか水って言う」
「潮離。やめなさい。子供じゃないんだから。そんな冗談」
「え?いや、冗談じゃ…」
あたしの言葉は何故か潮音に遮られる。
「やろか水…そうですか。まあその物の怪は今は捨て置くとしましょう。我々が探しているのはもっと大物ですので」
しかしこの時あたしはようやく感じ取った。恐らく潮音がずっと感じ取っていたであろう、男から放たれる不穏な空気を。
「そう、例えば牛鬼のような」
「潮離!」
男が言い終わった直後、男の手下達が一斉にこちら目がけて走り出した。
しかしあたしは迷わず動いた。背中から牛鬼の脚を出し、一番前にいた男の胸を、迷うことなく貫いた。
あたしの脚は大量の血を引き連れて男の背中から顔を出す。目の前で絶命した仲間を目にして、怖気づいたのか、他の男達は一斉に足を止める。しかし
「行け!何をしている!」
指導者の怒号が響き、男達はすぐさまこちらに走り出す。
あたしは迎え撃つべく背中の4本の脚を構え直すが、あたしの体は不意に宙に浮く。
「え!?」
胴体に圧力を感じ、視線を落としてみるとそこには潮音の脚が巻き付き、あたしを持ち上げていた。
「何やってるの!逃げるよ!」
あたしは戸惑った。潮音が敵を、それも勝てる敵を目前にしてまさか逃げるとは思っていなかったからだ。
潮音はさらに2本の脚を出すも、反撃はせずに地面をひっかいた。乾燥している地面は表面が容易に剥がれ、すぐに砂埃になってあたし達の姿を、後ろから追って来る男達の目から隠した。




