第1章 第4話 怒涛の鵺 ③
「あ、そうだ。あたし清さんに用事があるんだった。」
城下町を囲む堀にかかる橋を渡り切った直後、潮離はそう言っておもむろに立ち上がる。
「そうなのか。じゃあ…」
「ああ待って!大丈夫。自分で降りられるから。」
ゴーレムに指示を出そうとする僕を制して潮離は言う。
「用が終わったらぬらり屋に向かう。その時に合流しよ?もしあたしが来る前にお仕事終わっちゃったら待たなくていいから。」
そう言った潮離は僕からの返事も待たずにピョンと横に跳んで荷車から降りる。
慣性の法則によって潮離自身も荷車と同じ速度を持っている。だというのに潮離は着地点から一歩もぶれない。
話を僕の方に戻すと、潮離が離脱してから数分でぬらり屋に到着した。
ゴーレムは店の前に荷車を停める。僕は荷車から降りて店内に入るが、例によって客一人いない。本当に大丈夫かこの店。
「ぬらりひょん。来たぞ。」
「おうご苦労さん。中に運ぶのを頼めるか?」
僕の呼びかけに応じてじわりと湧き出るようにぬらりひょんが現れる。
ご苦労さんだった相手に随分な扱いだが、まあ別に運ぶのは僕じゃないから気にしない。
「Golem, carry boxes into warehouse.」
「Yes sir.」
ゴーレムは指示を受けるとすぐに店内の倉庫にダイヤモンドの詰まった木箱を運び始める。
「お前さん。今のはまさか、『死んだ言葉』か?」
「ああうん。あれ?もしかして知ってるのか?」
だとしたらまずいぞ。誰も知らないはずの言葉を選んだはずなのに。
「いや、そういうものがあるっちゅうことしか知らん。何を言ってるのかは見当もつかん。」
「なんだ。ならよかった。」
ぬらりひょんの言葉に僕は胸を撫で下ろす。
「わしは他の言葉というものと一切関わらずに生きてきたからよく分からんのだが、知ってるだけでどうにかなるもんなのか?言葉っちゅうもんは。」
「詩みたいな美しい表現をするには確かに知ってるだけじゃ不十分だけど、単純に会話をしたりするには知ってるだけで十分だよ。」
もっとも、知っているのは「全て」だから知ってる「だけ」っていうのはいささか語弊が生じるかもしれないが。
「まあわしは小難しいことはあれだが、なんにせよ、便利でいいな。」
興味を失ったのか、ぬらりひょんはここで話を切る。そしてゴーレムの方を一瞥した。
「見たところもうちっと掛かりそうだな。茶くらい飲む暇はあるだろ。」
「ありがとう。いただくよ。」
ゴーレムの作業が終わるまでの間ずっと立ち話というのも正直辛いので彼の申し出は非常にありがたかった。
「ほれ。」
いつの間にか手に持っていた二つの湯吞みのうちの一つぬらりひょんは僕に差し出す。
「どうも。」
「ぬるめでよかったな?もし熱い方がよかったら温めてくるが。」
「いや、大丈夫。ぬるめ最高。」
何を隠そう今は真夏。熱いお茶をフーフーしながらすするなんて一種の苦行だ。
店内は外と比べれば幾分涼しく感じるがそれでも肌にまとわりつくような暑さは消えない。
「お、そうだ。ダイヤモンドと交換で引き渡す約束だった情報だが、倉庫の中に束にしてひもでくくってある。全部持っていってくれ。」
思い出したようにぬらりひょんは仕事を追加する。これもやはり、やるのは僕じゃないんだが。
「分かった。 Golem! When you finish your task, carry sheaves of papers laid in the warehouse and lay them on the cart.」
「Yes sir.」
「…大したもんだな。普段使わん言語をそうもやすやすと。」
「別に大したことじゃないよ。本当に、何でもないんだよ。これは僕の知識じゃないから。」
本の知識によって発音もイントネーションも全て頭の中にある。自分が何を言ってるか頭では分かってる。「伝えたいこと」自体は頭の中で生まれるからだ。しかし口や耳には違和感しか残らない。
「はっは。なかなか謙虚なこって。とてもあのばばあの息子とは思えんな。」
「…母さんのことを言ってるのか?」
「他に誰がいる。…あ、でもわしが『ばばあ』と呼んでいたということは絶対本人には言うなよ。」
ぬらりひょんは声を潜めて釘を刺すように言うが、ビビるくらいなら言わなきゃいいだろ。一体それは何の意地だ。
「言わないよそんなこと。で、母さんの息子とは思えないっていうのはどういう意味なんだ?」
「昔、わしがばばあに世話になってた頃の話なんだが、ばばあに言われたんだ。」
そこでぬらりひょんは湯呑みに口を付け、茶をすする。
「『成功を自分だけのものだと思うな。その成功が何でできているかを思い出せ。』とな。言ってることは至極当たり前のことだ。」
「まあそうだな。」
奇麗事とさえ言えてしまう。
「でもな、ばばあの言いたかったことはつまりこうだ。わしらは自分以外の誰かしらによって作られる。特技や才能も誰かによって目覚めさせられたり磨かれたりする。己の存在そのものだって必ず何かしら先立つものがある。」
先立つもの、人間でいうところの親、物の怪でいうところの信仰心か。
「つまり生まれてから何をしようが全て『誰か』のお蔭ということになる。」
「確かに。」
何だ?ぬらりひょんにしてはえらくまともなことを言うな。いや、厳密には母さんの言葉なのか。
「そこでわしは考えた。ならば他人の手柄を横取りすることと自分の手柄を主張することは本質的に同義だと。」
「うん?」
「自分で編み出した技も他人から盗んだ技も本質的には同じ。つまりお前さんの持ってる知識も、出どころは何であれちゃーんとお前さんのものだということだ。」
「う、うん…。」
話し終わって再び茶をすするぬらりひょん。いい話をしたつもりなのだろうし実際ためにはなったが、中盤にぬらりひょんの生き方の根源を垣間見た気がした。
「お邪魔しまーす!」
と、突如潮離が店の暖簾を勢いよくはためかせて店の中に入ってきた。来る時は手ぶらだったはずなのに今は両手に風呂敷を持っている。
「よかった間に合った。」
「いらっしゃい。どんな御用で?」
客だと思ったのかぬらりひょんは多少戸惑いつつも接客のトーンで声をかける。
「あたしは潮離。先生ことアーサー・マクダナムの部下で、料理係を担当してます。よろしく。あ、それとこれ、清さんからぬらりひょんにって。お土産。」
そう言って潮離は手に持っていた風呂敷を一つぬらりひょんに差し出す。
「何!?清さ…いや、ばばあから?」
ぬらりひょんは風呂敷を受け取ると大事そうに抱えて店の奥へと消えていったが、すぐにまた戻ってきた。
「ちなみに中身は何なんだ?」
僕は潮離に聞いてみる。
「闘言狂の新しいメニュー。確か名前は…『お目々ライス』だったかな。」
「うーん。多分だけどそれ、『オムライス』だと思う。赤いご飯を卵で包んだやつだよな?」
「ああそうそれそれ。お目々じゃなくてオムだったかー。ノラちゃんから教えてもらったんだ。」
潮離の様子から察するにボケではなく本当に間違ったようだ。
それにしてもノラが教えたのか。少し、いや、かなり意外だ。
「Sir task is over.」
どうやらゴーレムが作業を終えたようだ。見れば、書類の束がきっちりと荷車に積まれており、ゴーレムは車を引く体制になっている。
「終わったみたいだしそろそろ行くよ。お茶、御馳走様。」
僕は空になった湯呑みをぬらりひょんに返す。
「それじゃあまた来月にな。まあそれまでに用があったらいつでも来てくれて構わんが。」
「うん。その時はそうする。」
「それとお前さん。潮離といったか?見知った仲だ。これからもよろしくな。」
「こちらこそよろしく。ぬらりひょんは長いからぬらちゃんでいい?」
別れ際にする問答ではないのだがぬらりひょんは満更でもない様子で受け入れた。
ゴーレムに指示を出し僕達は再び荷車に乗り込み、帰路に就いた。




