第1章 第1話 悲哀の姑獲鳥 ②
「さて、邪魔ものはいなくなったわ」
「いや、邪魔ものってお前…」
家族を、それも実の弟達を、ひどい言いようだ。
「何だっけ?基地が必要ないという確たる理由だったかしら?まともな感性を持った魔術師なら誰でもそう言うと思うけど」
「僕はまともな感性を持ち合わせてはいるよ。でも残念ながら魔術師じゃないんだ」
ため息交じりに放った僕のその言葉に一瞬ノラは怪訝な表情を呈し
「だって基地なんて無くても防御魔法を拡張すれば雨風しのげて快適に過ごせるし、転送魔法で亜空間から家具も出せるし、魔法で掃除も洗濯もできるでしょ?」
と基地を作ることで解消されるであろう諸課題を次々と解消していった。
「なんか、お前といると魔法が万能だっていう錯覚に陥りそうになるけど…実際は違うんだよな?」
「その通り。私が万能なだけ」
万能、か。確かに、彼女が有能であることは事実だ。しかし、万能であるかどうかについてはまだ議論の余地がある。
「何言ってるの?そんな余地ないわよ。既に全て買収済みよ」
「何を言ってるのはお前だ。僕は何も言ってない。勝手に地の文を読むな」
というか議論の余地を全て買収してしまったら結局、疑惑を一挙に引き受けてしまうことになるのではないだろうか。いや、そんな議論をこいつとしたところで生産的な意味は皆無なのだが。
「そういえばカタリスト三姉弟は僕と出会う前、具体的には一か月前に魔王城に乗り込んだらしいけど」
「ちょっと待って。そのことについては何も聞かない約束でしょ」
ノラが僕に鋭い視線を浴びせる。彼女達は、あるいは彼女だけかもしれないが、頑なに魔王と戦ったときのことを話したがらない。
出会った直後にしつこく聞いてみたところ、魔王を倒すのに失敗したということだけは聞き出せた。双子から。
「分かってるよ。詳細を話せとは言わない。お前の性格からして自分の失敗談なんて口が裂けても話さないだろうしな」
「あんた、私を何だと思ってるのよ。兎か何かだと思ってるの?」
「…それは一体どういう意味だ?」
魔術師の間で流行ってるジョークか何かだろうか?
その意味を汲み取ろうと数秒ほど思考を巡らせた僕だが、時間の無駄だということに気付く。
「兎はしゃべらないだろ。そもそも鳴き声さえ聞いたことがない。」
「はあ…やっぱりあんたはその程度のツッコミしか入れられないのね。今の『兎』は『プライドが高い』って意味でしょ」
「いや、兎のプライドなんて僕は知らない。というかどうでもいい」
何でも知ってる僕がそう言うんだから多分デマだろう。
いや、人の考えてることまでは知らない僕だから、兎の性格について知らなくても不思議はない。案外真実だったりするのかもしれない。
まあ、どうでもいいことであることに変わりはないが。
「それと、あんたはどうせ『兎は水を飲まない』っていう迷信を信じてたりするんでしょ。残念でした。兎はちゃんと水を飲みます」
「ごめん。その迷信は知ってるけどそれが嘘だというところまで含めて僕は知ってる。っていうかちょっと待て」
いつの間にか話がそれてしまった。どうやったら基地の必要性の話をしていて兎の話になるんだ。
「話を戻すぞ。と言いたいところだが、話を戻す前に魔王について一つ聞きたいことがある。直接お前達の特攻に関係のある話じゃないからいいだろ?」
彼女達の「失敗」をあえて「特攻」と表現したのは僕なりの配慮のつもりだったりする。
「…しね」
「はあああ!?」
しかしそんな僕の配慮に感謝するどころか、ノラは僕が思いつく最凶の罵声を浴びせる。
やっぱり聞いちゃまずかったんだろうか。
「あ、ごめん。間違えた。『そうね」って言いたかったの」
「何だ。言い間違いか…」
彼女が本心から僕の死を望んでいなかったというのは吉報だが、とてつもなく悪意を感じる言い間違えだ。
「そうね。直接関係のないことならいいわよ。何が知りたいの?」
「魔王城の内部の構造とか戦闘員の配置とか作戦を立てるにあたって必要な情報。そろそろ聞いておくべきだと思ってな」
「それなんだけど、私達あまり知らないわよ?城のこととかは」
ばつ悪そうに視線を斜め下に逸らしながら「知らない」と言えば多少可愛げがあったのだが、ノラは全く悪びれることなく確かにそう言った。
威風堂々とさえ言えるその態度に、危うく僕は納得してしまいそうになる。しかし必死に思い留まって脳内に疑問符を生成する。
知らないだって?そんなはずはない。あの三姉弟は魔王城に乗り込み魔王の顔を拝んだとのことだ。だったらそのために魔王城やその城下町についての調査はして然るべきだ。それだというのに知らない?
「知らないってどういうことだ?まさか、魔王は記憶を消す能力でも持っているのか?」
「違うわよ。ただ単に私達なんの計画も立てずにただ思い付きでこの国を滅ぼそうとしたってこと」
「なっ…!」
嘘だ。そんな滅茶苦茶な話があるか。魔王城というのはこの国、つまりはこの島で最も攻めにくい場所だぞ。たった三人がノープランでそんなことできるわけがない。
「何よ?なに奇声上げてんの?」
僕の動揺をよそにノラはケロッとした顔をしている。
魔王城にノープランで乗り込むという奇行を演じたやつに奇声がどうのこうのなんて絶対に言われたくなかったが。
「いや、話が進まないから一旦置いておく。魔王本人についての情報はあるか?」
「まあ、それなら答えられなくもないわ。見た目は人間、それは魔王の妃も同じ。魔王は風を使って、妃は氷を使って攻撃してた。以上」
「そうか、妃も戦えるのか。まあ一国の王なら当然だよな…」
この国は「物の怪」と呼ばれる種族と人類が共存する島国だ。風や氷を操るとなると魔王も十中八九物の怪の一種だろう、あるいは陰陽師や精霊遣いか、いずれにせよあの三人が負かされるほどなのだから相当の手練れだろう。
「正直言ってあれには勝てないわね」
ノラにしては随分と弱気な発言である。
「片方だけなら薄氷の勝利は収められるかもしれない。でもあいつらは基本二人で動くみたいだから。…まあそれがあいつらの強みなんだけどね」
「それはお前達三人だけで挑んだ時の話だろ?でも今は違う。僕、つまり策士がいる」
「へーあんたって策士だったんだ」
「何が言いたい…」
「だって私達と組んで一か月になるのにあんたまだ料理しかしてないじゃない」
そう、今のところ僕は料理しかしていない。
というのも、家事は四人で分担しているのだ。掃除洗濯はノラ、薪拾いは双子、そして食事は僕が担当だ。この一見平等に見える分担だが実際労働しているのは僕だけだ。
ノラは杖を一振りして終わりだし、双子は剣の練習または散歩の帰りに手ごろな木をポキッと折って担いでくるだけ。
それに対して僕がすることは、第一に買い出し、第二に調理、第三に後片付けだ。これだけ書けば十分だろう。十分に不平等であることが伝わっただろう。
しかしノラの転送魔法のお陰で食材などはまとめ買いして亜空間に保存ができるのですごく助かっている。亜空間の中には時間が存在しないため保存にはうってつけというわけだ。
「いや、作戦の目戸が立ったからこうして話を持ち掛けたんじゃないか」
「一か月経ってようやく作戦が一つ?ずいぶんと怠惰な策士ね?」
「違う。ただの作戦じゃない。一か月待っただけで魔王攻略の作戦が一つだ」
十分すぎる働きだ。怠惰という言葉は取り消してもらおうか。