第1章 第3話 悲業の鬼 ②
森の中にて
「母さん。さっき店って言ってたけど、呑み屋はまだ続けてるってこと?」
「ああ、料理のレパートリーが昔より増えてるから飲み屋と言うよりかは食堂って言ったほうが合ってるだろうけどねえ。」
「僕がいたころはお客さんはみんな物の怪だったけど今は人間のお客さんも来るの?」
「ああ、人間の方が多いくらいさ。」
母さんの料理の腕は確かだから一度食べてもらえさえすれば客は確保できるというわけか。
まあ、料理で人を太らせて食うような物の怪だ。当然と言えば当然か。
「城下町にも物の怪はいるんですか?」
ノラはいつも通りの調子を取り戻して母さんに質問する。
「人間が物の怪に慣れてきたお陰か最近増えてるよ。城下町に住むには役所に届け出る必要があるけどねえ。」
「うまく共存が進むといいですね。ところで、アーサーって昔はどんな子だったんですか?」
ノラが切り込んできた。こいつ。僕が頑なに昔のことを話さないから母さんから聞き出そうとしてやがる。確かにこれは「互いに詮索しない」という約束を破ったことにはならないが、しかし人としてどうだろう。
「昔か…。あたしがこの子を拾ったのは今から三年前だけど、うちに来てから最初の一週間は布団から一度も出てこなかったねえ。」
「布団から?」
「何でも『頭が痛い。』『何も見たくない。』って言ってね。」
「一週間ずっとですか?」
「僕が引きこもってたのは厳密には六日だ。」
「そう。一週間したらようやく顔を出して『お腹空いた』って言ったんだ。」
僕の訂正を無視して母さんは話し続ける。
まあ実際のところ僕が「お腹空いた」と言ったのは僕が布団から出た翌日、つまりは一週間後ということになるからまるっきり間違いというわけではないが。
「ところでアーサー。あんたあの時何食べたか覚えてるかい?」
「白米と麩の味噌汁と大根の漬物。ちゃんと覚えてるよ。」
僕は基本的に漬物というものが好きではない。理由は味や匂いが濃いからだ。
しかし
「僕が食べられる漬物なんて母さんの作るやつくらいだからね。」
「おや、嬉しいこと言ってくれるねえ」
おそらく味付けが濃くないためだろう。
何でも知ってる僕だが母さんの漬物の作り方は未だに分からない。漬物というものは野菜の周りを塩分濃度の高いもので覆うことによって内部の水分を抜き取った料理だから必然的に味付けは濃くなるものだと思うのだが。
「それで、アーサーは引きこもりをやめて、そこからどうなったんですか?」
「それからは普通に生活を送ったよ。店の手伝いなんかもするようになってねえ、お客さん達ともよく話していたよ。布団から出て一か月経った頃にはもう今と変わらないアーサーだったよ。」
「それじゃあ、アーサーは五年前から背が伸びてないんですね…。」
ノラが深刻な顔でどうでもいいところに食いつく。
「ああ…それだけは本当に残念だよ。」
母さんが本当に残念そうに応える。五年も世話をしてもらっておきながらこんなことを言うのはあれだが、大きなお世話だ。
「なあアーサー。」「本当にこっちで合ってるのか?」
先頭を歩く双子が振り返って僕に尋ねる。が、僕に聞かれても困る。僕がこの道を歩くのはこれが初めてだし、今の今まで僕はこの道の存在を知らなかった。
「合ってるよ。もう少しだからね。足元に気を付けるんだよ。たまに人間の仕掛けた罠があるからねえ。」
「分かった。」「気を付ける」
代わりに答えてくれた母さんの言葉に返事し、双子は若干視線を落として再び歩き出す。
母さんの言う罠とは恐らく人間が動物を狩るために仕掛けたものだろう。
「あの、アーサーのお母さん。」
「清でいいよ。みんなからはそう呼ばれてる。」
「清さん。アーサーはいつからあんなに物知りなんですか?」
「それは悪いけど分からないねえ。あたしのところに来たときはもう十分に物知りだったよ。…よく知識をひけらかしてお客さんを驚かせてたねえ。」
母さんは懐かしそうに目を細める。
「そう、なんですか…。」
対するノラは目当ての情報が得られず浮かない表情だ。
どうやらノラは僕の知識の出どころが気になるようだが、母さんに拾われる前に僕はもうすでにこの知識を手に入れていた。
だからノラよ。母さんにいくらたかったところで無駄だぞ。
「アーサーのお母さん。」「聞きてえんだけど。」
「あんた達もあたしのことは清でいいよ。で、なんだい?」
「城下町には人がいっぱいいるんだよな?」「外から来た人っているの?」
「そうさねえ…いないんじゃないかい?この国は外の国と物の取引はしてるけど人の移動は禁じられているからねえ。」
「そっか。」「いねえのか。」
双子は残念そうに肩を落とす。
「まあこんな小さな島国。何か事情がなけりゃわざわざ来るやつはいないよ。」
この母さんの発言は三姉弟に事情があると見抜いたうえでのものか。あるいはただの一般論か。五年間育ててもらっておきながら僕には分からなかった。
「そろそろ出口だ。森を抜けたら目の前が城下町だよ。」
果たして母さんの言葉の通りになった。
僕たちの目の前に広がっていたのは城下町とそれを囲む巨大な堀。
「どうだいアーサー。初めて城下町を見た感想は?」
「思ってたよりもずっと賑やかだね。」
「何?あのおっきい川。」
「跳んでも向こうまで届かねえぞ。」「助走つけまくっても無理だな。」
「おや?三人とも初めてなのかい?」
「ええ、城に行ったことはありますけど、城下町は初めてです。」
「ん?城に行くなら城下町を…ははーん。なるほどねえ。」
母さんが何かを悟ったようだ。
「何か納得いったことでもあるの?母さん。」
「ああ、先月あたりに城を襲った三人組ってのはあんた達のことだね。」
ぎくりとしたようにノラと双子の動きが止まる。
「な、何を言ってるの?証拠でもあるのかしら?」
動揺のためかノラが犯人みたいな台詞を吐く。
「安心しな。役所に告げ口なんてしやしないよ。悪い子達じゃないってことは今しがた分かったことだしねえ。」
まあ母さんならそうしてくれると思っていたが。僕の懸念は別にある。
「やっぱり僕達って目立つかな?」
「まああんたはともかく、ノラにデキステルにシニステル。あんたら三人は人目を引くだろうねえ。悪名じゃなくてその髪の色で。」
この島の人間で色付きの髪というのはかなり珍しい。うっかり忘れていた。
「ノラ。お前の魔法で髪の色とかって変えられたよな?三人とも城下町にいる間は黒にしてくれないか。」
「分かった。いいわよ。」
ノラが空中で手を振ると彼女と双子の髪が黒く染められていく。
「お前黒いぞ!」「お前もな!」
双子はいつも通りのテンションではしゃいでる。
「どう?変じゃない?」
ノラは黒くなったツインテールの片方の房を手に取って色合いを確認している。
「うん。大丈夫。ちゃんと似合ってるよ。」
実際、双子もノラも生まれてこの方黒髪しか生やしたことがないという程自然に染まっていた。
「別にあんたの感想なんて聞いてないわよ。私は清さんに聞いたの。」
「さいですか。」
折角褒めてやったんだから素直に喜べばいいのに。
「それで、清さん。変じゃない?」
「ああ、よく似合ってるよ。それなら三人とも変に人目を引くことはないだろうねえ。」
「よかった。…あ、そういえば服。この服って変じゃない?今私達が着てるのは和服とはずいぶん違うわよね。」
「それは大丈夫だろう。似合わないからあたしゃ滅多に着ないけど城下町では洋服が出回ってるから。」
ということは三姉弟は服装の面では人目を引く心配はないということか。
それに、輸入した商品が庶民にまで行き届いてるということは城下町はかなり経済的に基盤が出来上がってるな。
「この橋を渡って右手の二番目の角を曲がるとあたしの店さ。」
僕達が堀にかかっている橋を渡り切る頃、母さんは僕達にそう告げた。
「店に寄ってくかい?茶くらいは出すよ。…まあ急いでるってんなら無理にとは言わないが。」
「あ、いや。悪いけど今日の用事は早く済ませないといけないからまた今度にするよ。」
そう。今回の仕事は急を要する。商談は慎重である必要もあるが、何よりスピードが命だ。もたもたしてはいられない。
「寄っていこうぜ。」「折角だろ。」
「そんなに急ぐことないでしょ?」
黒髪の三姉弟から集中砲火を受ける僕。しかし今回ばかりは折れるわけにはいかない。
「だめだ。遊びに行くのはぬらりひょんとの商談が終わってからだ。」
「ん?ぬらりひょん?」
ここで母さんが食い付いてきた。
「ぬらりひょんなら知り合いさ。会う約束があるならよろしく言っといておくれ。そしたら多少は負けてくれるだろう。」
「母さん知り合いなの?」
「まあ昔ちょっとね。…ああ、そろそろお別れだ。あたしはここで右だ。ぬらりひょんの店ならこの道をまっすぐ行きな。そのうち右手に見えてくるから。」
「うん。じゃあまた商談が終わったら寄っていくよ。」
そう言って僕達は母さんと別れ、ぬらりひょんの店を目指して歩き続ける。




