カッコ悪い
踠いて、足掻いて、苦しんで
8話 原稿
それは一瞬の出来事だった。
「痛ッ!?」
足首に異様な圧迫感を感じて呻くように呟く。
違和感の正体を確かめるべくとっさに下半身に放った右の掌に当たるのは、氷河のように冷ややかで、鋼鉄のように硬い何かの感触。
一拍遅れて下半身を視認する。
そこにあったのは、俺の両足首に足枷のように嵌った、直方体の氷の塊。
「なっ!?」
戸惑いも冷めぬまま、周囲から数秒前の俺と似通った動揺の声が聞こえて来る。辺りを見渡せば、やはり俺と同じように、氷の足枷を嵌められた患者たちの姿が見て取れた。
半ば条件反射のように、俺はアエラに問いかける。
「ア、アエラちゃん?これは一体どういう…」
「?、ちゃんと言ったはずですが、貴方達を〝拘束する〟と」
「いやでも…」
「命令です私の下僕のアマミヤさん。少し黙っていてください」
フィオナが食い気味に俺に話しかける。見れば、フィオナは俺の横で同じように拘束されていた。
咄嗟に何か言い返そうとして口を開く。
だが、その声と、俺を見つめる眼差しにこめられたあまりにもまっすぐな感情に、俺は思わず口を噤んだ。
体を捻るように動かしてフィオナの耳元まで顔を近づけ、小声で喋りかける。
「おい、こりゃ一体なんなんだ」
言って、指で自分に嵌められた氷の塊を突いてみせる。
「《氷姫》の力。アエラさんの血族系の力です」
「すまんちょっと待ってくれ、血族系…ってなに?」
血族系…なんてものは単なる血液型程度の意味だろうとばかり思っていたが、どうやらそんな生温いものではなかったらしい。
「そんなことも知らないんですか?アマミヤさん一体どこ生まれなんです…」
「い、いやっ、俺マジで何にもない山奥の集落出身でさ、この国のことはおろかこの世界の仕組みすら満足に知らないんだって、マジで」
怪訝そうに半眼で問いかけるフィオナに早口で捲し立てる。
「はぁ…まぁそういうことにしといてあげましょう」
「助かる」
「いいですか、この世界は古くから魔族と人間とが対立を繰り広げています。ですが強力な魔力を持った魔族に生身の人間が叶うはずもなく、はるか昔に人類は全滅の危機にまで追いやられました。そこで、生き残った人類が全ての知恵と技術を注ぎ込んで作り出したのが、血を媒介にして、魔力を発生させるシステムです。そのシステムにより、人類は魔族と対等の魔法を操れるようになりました。こうしてかろうじて生き残った人類は、さらに技術を発展させ、今度は自身の血、つまりは遺伝子そのものに魔力因子を埋め込みます。そうすることによって、その子供達は、潜在的に、ようは生まれた頃から魔法を操れるようになったのです。また、生み出される魔力の種類は個々人によって異なります。つまり、扱える魔法の種類が人によって違う、ということです。そして、それを一つの目安として表しているのが、血族系、というわけです。」
「な、なるほど…」
たかだか一つの単語に込められた深い歴史を目の当たりにして、思わず生唾を飲み込む。
生まれながらに決められた魔法の力…か。
残念ながら、どこの世界でも人間には個体差というものがあるらしい。努力と友情だけで勝利出来るようなご都合主義じみた世界など所詮はくだらない妄想であることを思い知らされる。
「ってことは、お前の魔法ってのも?」
「その通りです。《活性》、人の身体機能を強化して、傷の回復を促進させる。それが、私の魔法です」
そう言って掌を覗き込むフィオナのその表情は、なぜだか少し寂しげに笑っていた。
「そして彼女、《氷姫》の血族であるアエラさんは、視認できる範囲内にある全ての水分子を氷に変化させることができます」
「つまり見えてるとこなら全部凍らせられるってことか…」
なんだよそれ、チートじゃねぇか。なんであんなちょっと残念な感じの娘に少年漫画のラスボスみたいな無敵魔法持たせやがった?頼むから生き残りたいのか滅びたいのかハッキリしてくれ人類。
「そうです、自分が今どれだけ危険な状況にいたのか理解できました?」
「それはもう文字通り死ぬほど」
額に変な汗をかきながら引きつった笑みで答える。
「あの」
気づけば、2人だけの世界にすっかり没入してしまっていた俺たちの会話に、アエラが痺れを切らして割って入る。
「お話、終わりましたか?」
「えぇもちろん、お待たせしてしまい大変申し訳なく思っております」
「アマミヤさんそんなキャラでしたっけ!?」
「おほほ失敬な、いつもこんな感じじゃありませんかですわあそばせ」
「ぶれっぶれじゃないですか!さっきの微妙に失礼な感じの貴方はどこへ!?」
膝を携帯のバイブレーション並みに震わせながら、顔面蒼白の笑顔で応じる。
実際、アエラには心臓を鷲掴みにされているも同然なのだ、氷漬けにされた無職成人男性の標本など一体どこの世界に需要があるというのだろう。
拳銃を突きつけられながら殺人犯とにこやかに会話しろと言われても人間にはやれることとやれないことがある。
「ま、まぁ、冗談はぁ、こっ、これくらいにしてぇっ、そ、そろそろ本題に入ってくれないきゃ?」
「噛みまくりじゃないですか。神がかり的に噛みっ噛みじゃないですか」
「なにそれシャレ?つまんな」
「理不尽!」
ぐわーと髪を掻き立てるフィオナを一瞥して、俺は改めてアエラの方に向き直る。
「俺たちを拘束して…そんでなにすんのが目的なの?」
一呼吸おいて、なんとかまともに言葉を発する。
場の空気を入れ替えるため、こほんと小さく咳払いをしてそれに答えるアエラ。
「そうですね、では単刀直入に言いましょう」
短く息を吸い込んで、少しだけ声を張り上げる。
「我々国家機関の目的は、治療師、フィオナ=ホーリネスの身柄の確保です」
「は…?」
瞬間ーー。
周囲から湧き上がるのは、気味の悪いほどにざわついた戸惑いの声。
「ホーリネスってあの…?」
「呪われた血…」
「おいおいマジかよ…」
「その名前で呼ばないでくれませんか?フィオナはフィオナです、それ以下でも、それ以上でもなく、私はただの治療師、フィオナです」
先ほどと打って変わって、明確な敵意を声に乗せて、フィオナが口を開く。
「あぁ、貴方がフィオナさんでしたか。それでは改めて…フィオナ=ホーリネス、貴方を首都アルバートへ連行します。当然、拒否権はありません」
右手に冷気を纏わせて淡々とした口調でアエラが返す。何かを悟ったように、静かに目を閉じるフィオナ。そんな張り詰めた場の空気の中、たった1人、俺だけが、何もわからずに呆然と固まっている。
「いや、いやいやいや、お前ら一体何を話してる?フィオナを連行?なんで?呪われた血ってなんだ?俺にもわかるように説明してくれないか?わっかんねぇ!さっきから何がなんだかさっぱりわかんねぇよ!」
「やめて下さいアマミヤさん。こんな大衆の面前で、みっともないですよ。」
激昂する俺に、フィオナが諭すように呟く。
「でもッ!」
「やめて下さいッ!」
叫ぶように吐き出されたフィオナの声が静まり返った室内に響いて、俺はまた口を閉ざしてしまう。
「もう…いいんです」
途端に声から覇気が消え、消え入りそうなほど弱々しく呟くフィオナ。
その直後、フィオナに嵌められていた足枷が砕け、氷の粒が光を浴びてキラキラと空中に拡散する。
「外に翼竜を待機させてあります。着いてきてください」
入り口の扉を開け、フィオナに同行を促すアエラ。
それを見て、俯き気味にゆっくりと歩き出すフィオナ。
「きっと、夢を見てしまった報いがきたんです。本当は、わかっていたはずなのに…」
「フィオナ?」
「貴方の言葉を、嬉しいと感じてしまったから、もしかしたらと、希望を抱いてしまったから…」
消え入りそうに小さく囁かれる言葉を、俺は聞き取ることができなかった。
「もう、主従関係は解消です。つまらないことに巻き込んでしまってごめんなさい」
そう言って小さく笑う彼女の声は、やはり切なげで力がない。
その時だった、俺の中にあるドス黒い感情が、覆い被さるように膨れ上がって心を飲み込んでいく。
そうだ、ここでフィオナと別れてしまえば、俺たちの奇妙な主従関係は綺麗さっぱり無くなって、俺はまた平穏な日常へと戻ることができる。
元の世界の俺のように、何も考えず、何をする必要もない自堕落なあの毎日に…
それに、せっかく異世界に転移したんだ、もしかしたら、心を入れ替えて真人間として新たな人生を歩んでいくことだって出来るかも知れない。
そうさ、何も自ら死亡ルートを突き進む必要なんてない。
ここで俺の災難も終わる。
ただ黙っているだけでいい、ただ、黙っているだけで…
「でも…」
ふと、フィオナが立ち止まり、俺の方へと振り返る。俺に向けられたその顔には、満面の笑みが浮かべられていた。
「ほんの少しの間だったけど、楽しかったです。ありがとうございました」
その笑顔は、未だ空中に留まり続ける氷の粒と相まって、何ものにも代えられぬほどに、綺麗で、輝いていた。
だから、俺はーー
「ちょっと待ったぁぁぁ!」
室内に反響する叫び声、遅れて、それが自分のものであることに気づく。困惑が周囲に伝染し、さらなるどよめきを生んでいく。静まり返った場の雰囲気は、瞬く間に喧騒へと変わっていった。
だが、一度流れ出した感情の奔流は、際限なく溢れ出て、止まらない。
「フィオナ様を連行だぁ!?そんなこと、崇高なるフィオナ様の下僕である、28歳無職アニオタヒキニートのこの俺、雨宮千種が許さねぇ!!」
自分で言ってて悲しくなる。よく考えたらひっどいな俺。クズじゃねぇか。第一俺は一体何をやってるんだ、わざわざ面倒ごとに首を突っ込んでどうする。馬鹿なの死ぬの?
だが、何故だか俺は、自分のこの行動に、一毫の後悔すらも感じていなかった。
「物事にも順序ってものがあるだろうが!物語の展開的にも、やっぱりまずはこの俺を倒してからウヒョイッ!?」
突如として俺の真横に氷の柱が出現し、思わず声が裏返る。前を見れば、アエラが冷気を帯びた掌をこちらに向けていた。
「命は無駄にするものではありませんよ」
「えぇそうですね今この身をもって痛感させて頂きました…」
「アマミヤさん!?何を…」
戸惑いの声をもらすフィオナ。だがその声も、周りの喧騒も、今の俺には届かない。
何かを変えなければいけない。漠然としすぎて、自分でもよくわからない。
それでも、ここでフィオナを見捨てたら、俺は…〝雨宮千種〟という人間は、きっとここで終わる。…そんな気がした。
脂汗を拭って必死で思考を巡らせる。
まともにやって敵う相手じゃない、俺の力で状況が打破出来るわけがない。
ならーー
ここが正念場。大きく息を吸い込む。
「でも、それでも俺は認めねぇ。どうしても連れて行くってんなら、俺も一緒に連れて行け」
「なッ!?」
フィオナが驚愕で目を見開く、その時、ほんの一瞬、アエラがその鉄仮面じみた絶対不変の表情を歪めた。
よくある話だ、決定打がないのなら、打開策を見つけるために、現状を維持して、延長戦に持ち込む。
それが最適解かどうかなんて、わからない。
それでも、言葉を繋ぐ。
「言ったはずです、命は無駄にするものではない、と」
「どうせ散々無駄遣いしてきた命だ。もう無駄に出来るところなんざ、残っちゃいねぇさ」
冷ややかに言い放つアエラに、不敵に笑って屁理屈で言い返す。
「そうですか、わかりました」
瞬間、足の拘束が解かれる。
「アマミヤさん、どうして…」
「アマミヤチグサ、貴方をフィオナ=ホーリネスの従者として連行します。着いてきなさい」
虚勢をはって、笑みを崩さず、その下にある、弱くてカッコ悪い自分を覆い隠すように、口を開く。
「了解しました、氷のお姫様」
あぁ、それでもやっぱ、カッコ悪い。
雨宮、連行される




