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4話 『無差別失血殺人事件』2

「実はだな、頼みたいことがあるのだよ。陸」

「……灯狐もかよ」

「うん?何か言ったか?」

「……いや。何も」

たとえどんなことが起きようとも、夢現堂に訪れることは僕の日課に近かったので、つまりは今日も僕は灯狐に会いに行ったりする。

郁さんの仕事だけでなく七夕織音の仕事も手伝うことになり、僕としてはもっと『無差別失血殺人事件』のことについて調べなきゃいけないんじゃないか?という焦りはあるものの、結局ここにたどり着いてしまった。

よくよく考えると日課というよりも習慣と言ったほうがいいかもしれない。

学校の後に夢現堂を訪れるという習慣。それが身についていてしまって、なんとなくここに足を運んでしまうのだった。

それで昨日と同じように特に用もないので(昨日は無理矢理用事を作ったが)、適当に話をしていると、いつの間にかそういう流れになっていた。

「陸は今受けている依頼や仕事のようなものはあるのか?」

「あるといえばあるな……」

「妙な物言いだな?あるのかないのか?はっきりしないのか?」

「……正確にはある事件の解決を手伝っている、というのかな?」

さらに正確には郁さんと七夕織音、同じ事件の解決を手伝いながら、違う二人を手伝っている。

のだが、ややこしいから説明は抜きでいいだろう。

「ふむ。忙しいのか?」

「忙しいといえば忙しいね」

まだ手伝って欲しいと二人から言われただけで、全く事件の手伝いをしていないかったりするが、見栄を張ってそう答えた。

「ただ、この夢現堂を訪れるぐらいは暇さ」

「それを聞いて助かったぞ。ならば是非頼みたいことがあるのだ」

「灯狐の頼みたいこと……」

灯狐の頼み事なんて、あれしかない。

「はぁ……妖刀か」

「まあそうだな。私が頼むことなんて妖刀のことしかない」

妖刀ハンターの夢現。

それが彼女の裏の顔だ。研ぎ師で妖刀ハンター……どちらも普通ではない職業ではあるが、あえて言うならば妖刀ハンターのほうが異常なので裏の顔とさせてもらう。

僕は稀に彼女のその仕事を手伝うことがあった。

果たして僕が役に立っているのか?それは五分五分で、役に立つときもあるし役に立たないことも結構あった。

僕は殺し屋という割と異常な職に就いているのだが、餅は餅屋。

妖刀集めにおいては灯狐に遙かに劣るのだ。

そういうわけだから頻繁には灯狐の仕事は手伝えない僕だったが、しかしたまにはこういうふうに灯狐が頼みことをしてくることがあるのであった。

「今回も蒐集に励むのは夜か?僕としては毎日というのはちょっときついんだけど」

明日からは七夕織音と一緒に無差別殺人失血事件の調査をしなければならなかった。

いつまでそれが続くかはわからないのだが、しかし毎日織音と調査後、灯狐と妖刀の蒐集に励むというのは、いささかハードスケジュールである。

玖浪に鍛えられているからといって、僕が異常な力を有しているからといって、僕は疲れないわけではない。

そのスケジュールを続ければ、確実に僕は疲労するし、身体だって崩すかもしれない。

それは避けたいところだった。

だから灯狐と妖刀の蒐集に励むのは二日に一回ほどがいいんじゃないかな?とか思っていたのだが……

「それならば問題はない。今回は頼みごとであって、一緒に仕事をしてくれというわけではないのだよ」

「え?どういうこと?」

一緒に仕事をしない?

それなのに僕に頼む……それってつまり僕一人で妖刀を蒐集してほしいということか?

いくらなんでも、僕は妖刀に詳しいわけじゃないし、無理だろう。

「ふむ、今からそれを話す。先に言っておくが、決して陸一人で妖刀を蒐集してくれというわけではないので安心してくれ」

???

ますますわからない。

「私が追っている妖刀は『紫水しすい』と言ってな、人心掌握系の妖刀だ」

「昨日話していた首切り鎖鎌と同じタイプか……」

使用者の心を掌握してしまう妖刀。よくありがちな妖刀であり、宿主がいなければ動くこともままならない低級の妖刀。

『龍尾』と比べればそこまで厄介な相手ではないだろう。

灯狐がわざわざ僕に頼むことなんてなくても、一人で蒐集可能な妖刀ではないのだろうか?

「察しているようだが、人心掌握系の妖刀はそこまで強い力は持っていない。そしてそれはこの妖刀『紫水』にも言えることだ。単純な力でいうなら、私が蒐集してきた中でも、『紫水』は最弱な妖刀に位置するかもしれない」

「最弱……」

最弱……最も弱いということ。

最たる弱さの妖刀『紫水』。

灯狐がそれを最弱と評価するならば、僕は『紫水』についての考えを改めなければならない。

警戒しなくてはならない。

「最も弱い妖刀。しかし最も弱いからこそ、私は『紫水』を蒐集することが出来ないのだ。私が個人では唯一、いやもしかすると他にもあるかもしれないがあえてここでは唯一と言わせてもらおう。私が個人では唯一蒐集が不可能である妖刀。それが『紫水』だ」

「……その妖刀『紫水』というのは、どういう妖刀なんだ?」

「人心掌握系の能力さえなければ普通の刀だ。いや小刀と言ったほうが正しいかもしれんな。殺傷力は異常に低い。首切り鎖鎌のように首ばかり狙うという殺癖さっぺきもないし、龍尾のような馬鹿力及び切れ味もない。私が相手をするならば恐れるに足らん妖刀ではあるのだが……」

「だけど蒐集は出来ない」

「そういうことだよ、陸。話が早くて助かる」

最弱であるが故、最たる弱さを持っているがため、灯狐がそれを蒐集することは不可能であるのだ。

「普通の妖刀……という言い方もおかしいかもしれないが、ともかく普通の妖刀には自身に対する驕りというものがある。龍尾がいい例だし、今まで陸が関わってきた妖刀だって思い返せば驕りの無い妖刀などいなかっただろう?」

「確かにそうだな」

「普通の妖刀には驕りがある。自身が優れている刀であると、そして自身は主よりも優れていると考えるから人心掌握し、人を殺すのだ」

「龍尾は驕りはあるけど、自身を刀であると思っていないぞ」

「あれは特殊だ。異常だ。妖刀の中でも更に異常だ。私は妖刀ハンターだが、正直あれには勝てる気がしない。私が未熟というのもあるが、一種の天敵のようなものだな。まあ、話は脱線したが、この『紫水』というやつも私の天敵のようなものなのだ」

「天敵?」

「そう。普通の妖刀には驕りというものがある。妖刀ハンターと言えど、自身が負けるわけがないと、どの妖刀も思うのだ。しかし『紫水』は違う。あれは最弱故に、自分と相手の戦力差を正確に測り、そして自分が敵わないと察するや否や一目散に逃亡するのだ。最弱故に、どうあがいても私は『紫水』を蒐集することは出来ない」

「逃げる前にどうにかすればいいんじゃないか?」

「……実は先日『紫水』を見かけてな、蒐集しようとしたんだが」

「逃げられたわけか」

「そういうわけだ。私が妖刀ハンターだってもう『紫水』にはばれているのだ。つまり私がやつに少しでも近づこうものなら、やつは一目散に逃げるだろう」

「故に灯狐は『紫水』を蒐集することが不可能になった、というわけか」

「そうだ。故に陸に頼みたいのだよ。『紫水』の蒐集をな」

「そういうことなら請けてもいいのだけど」

一つ大きな問題がある。

「僕、普通の刀と妖刀の区別がつかないけど」

「それは大丈夫だ。『紫水』は形に特徴はないものの、その刃の色には大いに特徴がある」

「どんな特徴?」

「刀身が真っ青なのだ。それは海のような、はたまた空のような青という美しい刀身をしているとのことだ。実際には見たことはないのだがな。その刀身に魅せられて、宿主は人を殺すとも言われている」

「ふーん」

それだけの特徴があれば見つけるのは、容易い、かな?

いや、しかし、人が持っている刃物をいちいち判断できるわけがないし、そんなのどうやって蒐集すればいいのか、全く皆目検討がつかなかったのだが、郁さんや織音の仕事は手伝っておいて灯狐の仕事を手伝わないのは、フェアではないと思った。

そういうわけで、僕はまた厄介事を一つ抱え込むことにした。

「わかった。探してみるよ」

「まあ時間を割けとも言わないさ。無理に探さなくていい。ただ、何かのきっかけでそれを見つけることがあったら、私のところに届けて欲しいのだよ」

「了解。つまり仕事ではなく、頼みごとというわけか」

「そういうことだ。だから勿論龍尾は貸さないし、それにお金もでない。頼みだからな」

「じゃあ、優先度は低めでいいかな?」

「いい」

「もしかしたらずっと見つからないかも……」

「構わないよ。私が陸に頼んだのは保険のようなものだからな。私もどうにか頑張って蒐集しようと努力はするが、それでも陸のほうが蒐集出来る確率が高いだろう」

「そうか?妖刀と刀との区別のつかない僕がか?」

区別がつかないから妖刀を蒐集することも出来ない、というのが僕の考えなのだが、間違っているだろうか?

間違いないと思うのだが……

「そういう陸だからだよ。それに陸……お前はかなり運がないからな、きっと普通に生活していても『紫水』と出会ってくれるんじゃないかな?」

嫌なことを平気で言う灯狐だった。


無差別失血殺人事件を解決すること、そして妖刀『紫水』を蒐集すること。

先に述べたほうが二件引き受けていて、後者は一件、つまりはこの一日で三件の仕事や頼みごとを引き受けることになってしまった。

家に帰って冷静に考えて、頭を抱える僕。

三件はいくらなんでも引き受けすぎだろう。

うち二件は僕が行動しなくてもいいのだが、しかし織音の一件に関しては僕が一緒に行動しなくてはならなくなった。

「どうしてあの時請けてしまったんだ?」

わからない。面倒事は嫌いだったはずだ。

どうして僕は断ることが出来なかったのだろうか?

理由がなかったはずだ。請ける理由がなかったはずなのに、僕はあのとき彼女の言葉を断らなかった。断る術を知らなかったように、断れなかった。

他の二人には理由があった。郁さんはわかりやすくお金で請けたし、灯狐の頼みを請けたのは友達だからだ。

しかし織音に関しては違う。

彼女とは今日初対面で、しかも事件を解決したからといってお金や何かが貰えるというわけでもない。

リスクはあるが、リターンが何にもない。

本当に僕が彼女の頼みを請けた理由が謎だ。

理由がわからない。自分が請けた理由がわからない。

もしかして……もしかしてこれは……

食卓で郁さんが作った夕飯をつまみながら僕はそんなことを考えていた。

「陸。今日のご飯おいしい?おいしい?そのお味噌汁、陸のだけ私の唾液が入っているんだけどおいしい?」

「ぶは!」

なんてことをするんだ!

もう結構飲んじゃったじゃないか!

「新手の嫌がらせか!どうしてそういうことするんだよ!」

「もう、冗談だよ。陸は楽しいなぁ。反応が良くて本当にからかいがいがあるよ」

「やめてください。僕は、今日疲れているんです。あまりいじらないでください」

「了解だよ。でもどうしたの?さっきから心ここにあらずって感じだけど」

「うえ!そうですか?」

そんなに顔に出ていたか?出ていたんだろうな。

「陸君、学校で何かあったの?」

からかう郁さんとは反対に、とても心配した様子で立夏が言った。

「学校で何か、ね」

あったと言えばあったのだが、それを皆に言うとやっぱり心配させてしまうだろうからはぐらかすことにする。むしろ嘘をつくことにする。

「なかったよ。別に何も」

「それじゃあ灯狐ちゃんと何かあったんだろう?わかった!陸はスケベだから灯狐ちゃんに襲い掛かって逆に返り討ちにあったとかそういうところだろ?」

「玖浪はマジで黙れ」

玖浪が会話に参加してきたが、こういうアホは一蹴してこれ以降会話に参加させないに限る。

アホは口を開かせてはならない。アホはアホなことしか語らないのだ。

「灯狐とはいつもどおりだよ。何もない」

「……あの、灯狐って誰ですか?」

あ、そういえば立夏には灯狐のことを話していなかったな。でも必要ないだろう。立夏が灯狐と接点を持つことなんて今後ありえないのだから。

だからまたはぐらかすのがベストだ。

「灯狐ちゃんっていうのは陸の初恋の相手だ。それと初体験の相手だよ」

「え!!」

「どうしてお前は真実が語れないんだよ!いい加減にしろよ!僕はこう見えても気が短いんだぞ!」

勿論、灯狐が僕の初体験の相手ではない。

……しかし初恋の相手だというのは実は本当だったりする。これまた勿論皆には内緒だ。

玖浪は適当に言ったんだろうが、的を得ていた。だから僕は結構焦ったりした。

「灯狐と僕はそういう関係じゃない。ただの友達だよ!文句あるか!」

「あー、そんなに怒るなよ。これまた冗談だよ。しかし……それならばどうした?郁の言うとおり何か考えるごとをしているようだったが」

「そうだね……考え事をしていたよ」

ごまかそうかとも考えたが、しかし知りたいこともあったので嘘をつくのは止めた。

「玖浪……少し知りたいことがあるんだが」

「いいよ。何が知りたい?」

「……今度はからかわないんだな」

「少しやりすぎたと、俺自身も反省しているんだよ。だから今回だけは真面目に陸の質問に答えてやろうと思ってね。どうだ、いいやつだろう?」

「そうだな。少しだけ見直した」

嘘だ。今ごろ真面目に接したといって僕の玖浪の評価は上がったりはしない。

「知りたいのは……いや後にしよう」

「うん?そうか?」

立夏のいるこの場でその話はしたくない。

彼女は妙な力を持ってはいるが、しかし精神的にはまだ普通の人間でしかない。

そんな彼女に『十死』の話は聞かせたくはない。


立夏とついでに郁さんにも出て行ってもらった。

十死の七番目。七夕が同じ事件を追っていると知ったら、郁さんはどうするだろうか?

なんだかややこしいことになりそうだったので、退場していただいた。

まあ僕が織音と事件を追うことになったのは秘密にしておくけど、それでも僕は隠し事が苦手だから、ばれてしまう可能性も否めない。

ここは何も知らない玖浪だけに聞くのがベストだと考えたのだ。

「それで何が知りたい?」

「……『十死』のことだ」

「『十死』か。『十死』の何が知りたいんだ?」

「僕は屍祈までしか十死を詳しく知らない。それ以下の十死の特性のようなものを教えて欲しいんだけど」

「怠惰の壱慈玖。解体屋の弐解。惨劇屋の参乃川。暗殺屋の屍祈……それ以降、ね」

玖浪は腕を組み、考え事を始めてしまった。

「それ以降の十死を教えることに何か問題があるのか?」

「うーん。問題は二つほどあるな。一つ目、お前には一応十死の全てを教えたはずだ。結構前のことになるけどな」

「うん。結構前のことだから、さっぱり覚えていないんだよ」

「陸は頭が良くないからな」

「玖浪に言われると非常に心外なのだが」

「こう見えても俺はなかなか賢いんだ。いつもは馬鹿みたいなことをやっているけど、頭の回転の速さは並じゃないぜ」

そう、玖浪は馬鹿だが賢いのだ。

それは手合わせをすればよくわかる。玖浪には僕の攻撃がほとんど届かない。それは単純に身体能力に差がある、というのも勿論あるのだが、しかしそれ以上に玖浪の読みの鋭さが起因している。

僕が一手考える間に、きっと玖浪はその更に十手以上の攻撃パターンを思考し、そして対応してくる。

馬鹿なのに賢いなんて、釈然としないものがあるが仕方ないのであった。

「まさか六道も忘れていないよな?あれを忘れたというのなら、お前の脳は本格的におかしい」

「それは覚えているから、僕の脳は心配しなくていい」

殺人鬼がいる上に家族全員が狂っているという、十死の災厄ともいえる六道家。

あれは忘れたくても忘れられるものじゃない。

「それと十輪も一応覚えているよ」

「なるほど、印象に残っているものは屍祈以下の十死でも覚えていると。中途半端な記憶力だな」

「ほっといてくれ」

僕の記憶力が中途半端でも玖浪に迷惑をかけているわけではない。

「いや、現に今俺に迷惑をかけているじゃないか」

「だから、読心術は止めてくれ」

「察しやすい顔をしている陸が悪い。悔しかったら整形をしろ」

「あぁ、わかった。もう心を読まれるのは諦めることにする」

「そうか?それで、もう一つの問題だが、どこの十死と接触したんだ?」

「……」

ばれていた。またもや読心術だろうか?

それともまたストーキングされていたのか?ともかくこいつに隠し事は出来ないらしい。

「ストーキングはしていない。俺は久々に今日は仕事で出掛けていたからな」

「玖浪も仕事かよ。郁さんと玖浪……この地域最近物騒なのか?」

読心術をまたもや使われたのだが、もう気にしない。

「たまたまだよ。たまたま。それで、どうしてお前が十死と接触したか推測したかというと、お前の話の振り方が露骨すぎたからだ」

「……」

「陸は自分では気がついていないかもしれないが、灯狐ちゃんと同じようにゴーイングマイウエイだからな。ほとんどのことは気にしない。現に今まで十死のことを俺に訊ねてきたことは一度たりともなかった。俺から十死の情報を教えたことはあってもお前から聞いてきたことは、一度たちともなかった」

「……大した推測だよ」

「そして事実だろ?陸、お前には言ってあったはずだ。どんな事情であれ他の十死とは接触するな、と。あいつらはろくでもないんだから。まあそれに俺たちも含まれているんだけどな」

「仕方がなかったんだよ。僕の学校で殺しを行いそうになっていたんだ。あの学校でこれ以上人が死ぬと、流石に僕が原因じゃないかって考えてしまうんだよ。しかも屋上で行おうとしていたんだ。その後、僕と燐那がそこで稽古をすることを考えたら、やっぱり止めないといけないと思って……」

「たとえ、どんな理由があっても、だ」

「……」

有無も言わせないらしい。

「それに十死と知らなかったし……」

「どんな理由であってもだ」

「知らなきゃ仕方がないだろう!」

相手が十死かどうかわからないのに、接触するなというのは無理な話だ。

初対面でいきなり名乗ってくれるやつなんてこの世にそんなにはいないのだから。

「雰囲気でわからなかったのか?どこか異常な雰囲気が。お前は頭は悪いが、そういう感性は人よりもいいはずだ」

「その言い方だとその感性以外どうしようもないように聞こえるけど、まあそれは置いておいて、特には感じなかった」

「ふん。お前の感性も錆びついたか。それとも……接触したのは七夕か?」

「え?」

「図星か」

「そのとおりだけど、どうして?」

玖浪には、いや他の誰にだって僕が今日織音と会ったことは言っていない。一言たりとも喋っていない。

やっぱり玖浪のやつ、ストーキングを……

「違う。してないって言っただろ、ストーキングは。何故わかったかというと……」

きーん。

「く、あ」

突然の耳鳴り。

玖浪の言葉が聞こえない。僕の声さえも聞こえない。

僕はきっとその耳鳴りが起こったことにより苦悶の声を発したと思うのに、玖浪は何事もないように話を続けている。

何かがおかしい?そう、僕は何か、おかしいことがあって……

‐そして僕は考えるのをやめた。

「……それが七夕の特性だ。だからもしかすると」

「大丈夫。もうわかった」

「うん?あ、おい」

僕は自分の部屋に向かった。

今日は疲れた。早く寝なければ。

眠りについて、疲れを取って、明日、事件の解決に励まなければ。



次の日、僕は放課後になるとまず燐那に電話をかけた。

仕事の手伝いをしなければならなくなり、その関係上しばらくは燐那と稽古が出来いということを伝えた。

燐那は特に文句も言わず、「そうですか」とだけ答えた。

彼女らしい。

ただ最後に僕に何か言葉を投げかけたのだが、僕はその言葉を聞き取ることが出来なかった。

昨日から、僕は人の言葉が聞き取りづらくなっていた。

病気だろうか?今度、郁さんに診てもらわないと。

しかし郁さんは内科というよりは外科的な能力だから、診てもらうのは無駄かもしれない。

……無駄だろう。

無駄なことはよろしくない。

そして無駄な思考もよろしくない。

僕は七夕織音の教室まで向かった。

昨日あの後、僕は織音の学年とクラスを訊いた。

二年三組。

僕は昨日あれだけふてぶてしく彼女と接していたのだが、実は織音は僕よりも一年先輩であった。

まあそんなことをいちいち気にする織音ではないだろうけど。

二年三組の教室の前にたどり着く。さてどうしよう?

一学年上の教室って何か入りにくいところがあるよなぁ。

かといって誰かに織音を呼んでもらうのも、緊張するし。

そういうわけで僕はひたすらに二年三組の廊下の前で待つことにした。

しばらく待っていると織音が教室から出てきた。

「あら?」

「何?その意外そうな顔は」

「いえ、まさか本当に来るとは思っていなかったから」

何だよ、それ?

つまりあそこで約束はしたものの、織音は僕がその約束を破ると思っていたのか?

それは心外だ。僕は一度した約束はほとんど破ることはないのだ。

「僕は非常に真面目な男でね。約束は必ず守るんだ」

「ふーん。私は約束は破るためにあるものだと思っているけど」

「嫌な人生を送ってきているな」

「十死なんてそんなものでしょ」

それは、どれほど悲しい言葉だろうか。

僕だって人に誇れる過去を持っていないが、彼女もどうやら僕と同じようだった。

殺し屋、人殺し。

僕らが呪われないで、誰が呪われるというのだ?

「さて、それじゃあ行きましょうか?」

「え?行くって何処に?」

「……あなたここに何しに来たの?」

「えっと、織音の手伝いをしに来たんだけど」

「それで?私たちはこれから何をしなければならないわけ?」

「?さあ?」

「何も考えていないわけね。流石頭が悪そうな顔をしているだけあるわ」

無表情で言う織音。

そんなことをサラリと言われると物凄い傷つくんですけど。

「いい?この事件の犯人は自らの痕跡を全く残していない。それはわかるわね」

「そんなに最初から説明しなくてもわかるよ」

「犯人についての手がかりがない。それならばどうすればいいか、わかる?」

「いや、わからないけど」

「そういう時はね、まず現場を調べるのよ。

「僕らで現場を調べてどうするんだよ。僕らは殺し屋。現場を調べたって流石に警察以上の現場検証能力はないよ」

僕らは殺しが専門分野であり、現場検証には現場検証のエキスパートがいる。

そのエキスパート以上に情報を収集することなんて出来るわけがない。

「そんなことはわかっているわよ。事件の現場に行くというのは別の目論見があるわけ」

「別の目論見?」

事件の現場に行って現場検証以外にすることって、いったい何だろうか?

うーん。わからない。

どうやら僕は彼女の言うように頭がよろしくないらしい。

ぐすん。

「ねえ、陸?あなたがこの事件の犯人だとするわ。自分が過去に人を殺した現場に怪しい二人組みがいたら、どうする?」

「どうするって、それは、警戒するだろうね」

「そうね。私なら殺すわ」

「うん。そうだね。僕らの今までの人生を振り返るならその行動は正しいと思うよ。それで、つまり、どういうこと」

「……犯人は事件を調べる私たちをきっと許さない。何らかのアクションを取ってくると考えられるわ。警戒するにせよ、殺しにくるにせよね。つまりね、私たちは事件の現場に行って、事件について調べる素振りを見せて、怪しい人がいたら殺す」

「すっごい単純な作戦だね」

それでうまくいくならうまくいくで越したことはないのだけれど、そううまくいかないのが人生ってもんだろう。

「単純だけど確実な作戦だわ」

「あのさ、一般人も僕らがそんな行動をしていたら訝しげに見るだろうけど?」

「あら、そう?それはその一般人が運がなかったという話じゃない?」

「運がないという理由で殺されたらたまったものじゃないよ」

「そうね。少しは大人しく行くべきね。では私たちを殺しに来たら殺す。それで問題ないわね」

僕は郁さんに犯人を捕まえるだけで殺してはならないと言われているのだけど、しかし織音がこれ以上妥協してくれるとは思えないので、渋々ながらそれで了承することにした。

まあ犯人が死にそうになったら織音を止めればいい話だ。それはそれほど難しいことじゃない。

というわけで本格的に『無差別失血殺人事件』の犯人探しが始まった。


第一の被害者、明野清隆は人通りの少ない路地裏で殺されていた。

学校からは歩いて三十分の距離。

僕らは特に異常な脚力も使うことなく、普通に歩いてその場所まで向かった。

そして到着してある失敗に気づく。

「……人がいないわね」

「そうだね。人っ子一人いないね」

前述してあるが、人通りの少ない路地裏で殺されていたのだ。現在は人通りどころか人っ子一人いない。よって犯人とも思われる人間も勿論いないし、僕らを訝しげに思っている人間すらいない。

つまり犯人と思われる人間が一人としていない。

「これは、来た意味が無いね」

「……ないかもしれないわね」

「無いかもしれないじゃなくて、無いね」

「……うるさい」

うわ、逆ギレかよ。

この作戦を立てたのは織音本人だろう?その失敗を僕に当たるのはお門違いだろう。

「まだ最初の現場じゃない。殺されたのはまだあと二人いるわ。一ヶ所ダメだったぐらいで何よ」

「確かにまだ最初の現場だけどさ、情報だと他の二つの現場も同じように人通りがない場所だったんじゃなかったっけ?」

「……何が言いたいのよ?」

「わかっているんだろう?この作戦がダメダメだったって……」

がん。

僕の足に激痛が走る。

織音に思いっきり踏まれたのだ。突然のことで避けることは不可能であった。

「そんなことを私に言う暇があるならさっさと犯人を探しなさいよ」

「だから、誰もいないだろう」

「誰もいなくても何とか犯人を探すのがあなたの仕事でしょ」

それは初耳だ。そしてそれはどう考えても不可能なことだと思うのだが、今の織音は機嫌が悪いので何を言っても無駄か。

「しかし本当に何も無い現場だね」

人がいないだけでなく、人が殺されていた痕跡すらない。

この事件が僕らと同じ異常者が引き起こしたとわかると、国は事件から手を引き僕らのような同じ異常者にそれを解決させる。

よって現場は何も無かったことにされる。

いつも通りに、普段と変わらず、人が殺されたという痕跡すら無くす。

人が死んだというのに、惨劇が起きたというのに、無かったことにされるという異常。

……ま、どうでもいいんだけどね。


第二、第三の現場も概ね同じ状況であった。

人が全くいない、というわけではなかったが、それでも犯人らしき人間はいなかった。現場で一般人を見つけるたびにそいつを殺そうとする織音だったが、その描写はあえてここでは割愛させていただこう。その度に僕が織音を一生懸命止めたのだったが、その描写もあえて割愛させていただく。

犯人は現場に戻ってくると確かに言うが、それが本当であるかどうかと問われれば微妙なところだと思う。僕が惨劇で人を殺したあとにその現場に戻ったことがあるかというと、そんなにない。

全く無いわけではないのだけど、その確率はそこまで高くないのである。せいぜい一割ぐらいだろうか。

犯人はまだ三件の殺人しか犯していない。その犯人が現場に戻ってくる確率は、僕の行動に当てはめてみてもかなり低い。

まあ、人によって現場に戻ってくる確率は違うのだろうけど……しかしやはりこの作戦はダメだったのだろう。

それに犯人がもう現場に戻っていて、僕らがその後に現場検証を行っていたのなら、またこの作戦は無駄なのだ。

明らかに穴が多い今作戦。

それをどうして織音は提案したのか?

それをどうして僕は承諾したのか?

よくわからない。そしてもう考えるのも億劫だった。

「どうしたの?ぼーっとして」

「……うん。なんでもないよ」

無差別失血殺人事件の第三の現場は公園だった。

朝、この公園のど真ん中に女性の死体が転がっていたという。やはり傷口は手首一点。

犯行が行われたのが真夜中だとされている。もし白昼に行われたとしたら、すぐに犯行がわかったのだが、しかしそんな目立つ時間帯で犯行を行うほど犯人も馬鹿じゃないか。

そもそも犯人が用意周到ではなく、証拠をよく残してくれれば僕らがここまで大変な思いをせずにすんだというのに。

全く証拠を残さない殺人鬼。プロによる殺し。プロの殺人鬼。

そんなものが六道以外に存在するのか?

「結局は……ここに来たのも無意味なことだったわね」

「そうなったね」

「ねえ、犯人の目星はついたの?」

「つくわけが無いだろう」

相変わらず犯人の情報は全く掴めていないのだ。

正直、やってられん状況だった。

「なあ、織音。本当に犯人の情報は前聞いたものだけなのか?」

「それ、どういう意味よ?」

「言葉の通りの意味だよ。気に障ったのなら謝るけど、いくらなんでも犯人の情報が少なすぎる。もしかすると織音が何か隠している情報があるのかなと思って」

「ないわよ」

即答だった。全く迷うことのない回答。

「ねえ、陸。出会ったばかりで信じられないかもしれないけれど、私はあなたのことを結構信頼しているのよ」

「信頼?僕の何を信頼しているっていうの?」

「陸の力と推察力、そして運の良さかしら?」

力はわかるが、推察力は僕にはそんなに無い。そういうのは探偵とか警察に必要なスキルであって、僕のような殺し屋にはそんなスキルは必要ないのである。

それに運の良さって……

「何をもって僕の運が良いと決めるのさ?」

「陸はあの時……あの屋上で私の惨劇を止めた。あそこで行われるはずの惨劇をどういうわけかあなたは止めることが出来たのよ。その運の良さが私には必要なの」

いや、運が良いというか、僕と燐那があそこで日課をするのは僕らの日課のようなものであって、つまりはそんな場所で惨劇を起こそうとした織音の運が悪いだけだと思うのだが。またはあの男子生徒、安田先輩の運が良いというか……ともかく僕の運の良さは全く関係ないだろう。

「私は陸を信用しているの。だからあなたに説明していない情報など無いに等しいわ」

「そうか」

織音が僕を信頼してくれるのは嬉しいのだが、しかし織音が信頼してくれたところで犯人はわからないのだから、大した意味はない。

「それで、この後どうする?それぞれの現場を回っても犯人らしき人間と接触は出来なかったわけだけど」

「……」

織音は無言で歩き出す。

「?どこに行くんだよ?」

「……」

僕の問いに回答せず、織音は歩き続ける。

何かこの事件を解決する宛があるのか?ともかく迷いも無く歩き続ける。

「おい、織音」

「……ついてこないでよ」

「え?」

突然の、わかりすぎるほどの拒否。

何がどうして、織音はそんな反応をするのだろうか?わからない。どうしてか、わからない。

「織音……どうして?」

「……ついてこないでよ」

「どうしてそんなこというんだよ。さっきまで一緒に行動していたじゃないか」

「……トイレよ」

「……は?」

「トイレに行くからついてこないでって言っているのよ」

「あ、」

それは、ごめんなさい。生理現象でしたか。

デリカシーというものが無い僕を許してください。

織音がトイレに行ってしまったので、僕は公園のベンチに座って織音を待った。

…………遅い。

かれこれ二十分は過ぎた。携帯電話で時間を確認したから間違いない。

いくらなんでも遅すぎる。

トイレでゆっくりしたいという気持ちはわからなくもないが、人を待たせている状況でゆっくりするはずは無い。

まったく、何をやっているんだか。

様子を見に行ったほうがいいのかな?しかし女子トイレに入るのは流石に躊躇われるし、さてどうしたものか?

それから何分ぐらい悩んだだろうか?そうして悩んでいるうちに織音は何事もなかったかのように戻ってきた。

「織音。遅いじゃないか」

「……そうね。ちょっと思いがけないことが起きてしまって、遅くなってしまったわ」

「思いがけないことって何だよ?」

「予想外のことよ」

「いや、言い直さなくていいから」

思いがけないと予想外っていうのは同じ意味だ。

わざわざ言い直した理由が不明だ。

「予想外でも思いがけないでも、どっちでもいいけど。それで、何なのさ?それって?」

「そこの女子トイレだけど。人が死んでいるわ」

「……は?」

「だから人が殺されているって言っているのよ。それも状況を判断するに、私たちが追っている犯人が起こしたことのようね。傷口は手首。死因はそこからの失血死。やれやれって感じね」

……何かが、おかしかった。

しかし、もうどうでもよかった。


警察に連絡は必要だが、僕らが取調べを受けるのはめんどくさいし、そもそも警察とは別に僕らはこの事件を解決しなければならないので、連絡の前に現場の状況及び被害者の状態を調べさせてもらうことにした。

最も、織音に関しては先にそれらを調べていたらしい。そのためトイレから出てくるのが遅くなってしまったということだ。

それならそれを言いにきてほしいのだが、しかし終わったことをぐちぐち言うのも男らしくない。

そういうことはきっぱりと割り切ってしまうのが男らしいのだ。

さて、僕も現場の状況や死体の状態を知りたいのだが、前述したとおり女子トイレに入ることは躊躇われる。

しかし、これも仕事なのだ。仕事は全うしなければならない。

渋々ながら僕は女子トイレに入った。

それは洗面所のすぐ前にいた。

このトイレは入るとすぐに右に曲がっている設計になっていて、外からは中の様子が伺えないようになっている。まあ最近の大抵の公衆トイレはこんな感じだろう。

故に外からは全くわからなかったが、しかし入ればそれはすぐに発見できた。

一面の血の海。

横たわる女性。血色が悪い。それはそうだ。致死量の血が流れ落ちてしまっているのだから。

傷はやはり手首のみか。他の外傷は一切見られない。

また絞められた跡や、口を塞がれた跡もない。

現場の状況を見れば一目瞭然だ。女性はここで襲われ、そして死んだ。

この女性も何故かここから逃げ出さず、この場所で静かに死んだ。誰にも助けを求めず、犯人から逃げ出そうともせず。

僕はそっと地面に流れ出た血に触れた。

「何をしているの?」

……まだ液体だ。乾いていない。それに、

「……暖かい」

「あまり現場を荒らさないほうがいいわよ。犯人を捕まえるのは私たちの仕事だけど、検証はあくまで警察の仕事だから。それを邪魔するのはまずいと思うわ」

「警察はもうろくに捜査もしないだろう。僕らのような異常者に事件を任せたんだから。現場検証も然り、だ。それよりも……」

「それよりも?」

「織音に訊ねたいことがある」

「何よ」

「女性が殺されていたのは、君がトイレを済ませる先か後か?」

「殺すわよ」

「失礼な質問かもしれないけど、結構マジなんだ。答えてくれ」

もしも織音がトイレに入っている最中にこの女性が殺されたというのなら、正直この犯人は僕らの手に負えるレベルではない。

それは織音が気づけなかったということだ。近くで惨劇が起きていながら気づかない殺人。それは殺人鬼のプロとかそれ以上、そういう能力だとしか言えない。そんな奴を捕まえることなんてできるわけがない。

「先よ。私がここに入ったら既に彼女は殺されていたわ」

「そうか」

それならば、まだ僕らにも犯人を捕まえられる可能性はあるわけだ。

「ちなみに私はまだ生理現象を対処してないから。この現場を調べていたから遅くなっただけよ。だいたい死体があるトイレでそんなもの出来るわけないでしょ」

「そうか?織音なら平気かと……」

「殺すわよ」

「すいません」

「それで、先に殺されていたなら何なのよ。それがどうしたというの?」

「うん。今流れ出た血液に触れたけど、まだ暖かかったんだ。それに乾いてもいない。ということは彼女は殺されてからまだそんなに時間が経っていないんじゃないかって推測が出来る」

「血に触れただけでわかるの?」

「伊達に惨劇屋をやっているわけじゃない」

と言っても、そこまで詳しい時間はわからないが……

せいぜい一時間は経っていないんじゃないかなぐらいしかわからないけど、だがそれだけわかれば充分かもしれない。

「おそらく織音が入る少し前、だと思う。なあ織音。お前が入る前……そうだな十五分ぐらい前、誰かトイレに入っていくのを見なかったか?」

「見なかったわ。ずっとトイレを目視している人間なんて変態じゃない」

「まあ、そうだな。それじゃあ入ったときに出て行った不審な人間は?」

「見てないわね。さっきから陸は質問してばかりだけど、あなたはそれを見てないの?」

「……見てないな」

僕だってトイレをずっと目視していたわけではない。

ただたまにトイレを見ていた限りでは、出て行く人物は見ていない。

「やれやれ。第四の事件が起こったっていうのに、全く進展がないとわね」

今回も犯人に繋がる情報は全く得られなかった。

これだけ近くで、時間帯もほぼ僕らが公園にいた時間帯に行われたというのに、気づかなかった?

どれだけの能力を有している異常者だろうか?

検討がつかない。

犯人は勿論のこと、その異常度合いも検討がつかない。


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