↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/11

序章

 薄暮の空を舞う揚羽蝶。


 その翅を茜に染め、ゆらゆらと風に乗る。


 冬に遅れひと時、舞い降りる粉雪が迷っていた。


 花になろうか。風になろうか。


 ぼんやりと空を眺めながら、男は肩に掛けた槍越しに、町の喧騒へ耳を傾ける。


 遊郭の屋根から見下ろす街並みに、平素とは異なる賑わいが連ねていた。


 じゃらじゃらと重々しい鉄の音を響かせ、先触れとして四人の金棒引きが、ゆっくりと道を清めていく。


 一糸乱れぬ足並みと鉄の音。


 人々は息を吞み、道をあけた。


 道中の先頭を行くのは、揃いの極上ちりめんを纏った二人の禿。


 その小さな手に恭しく捧げられているのは、贅を尽くした特注の煙管一式である。


 その後ろを、盾となる屈強な男衆が続く。


 内側に極彩色の絵が隠された、巨大で格式高い大傘を掲げる男が、一歩一歩踏みしめるように続く。


 二人の振袖新造、続いて二人の引込新造、そして列の後方を固める番頭新造たちが、寸分の乱れもない美しい列をなして随伴する。




 だが人々が見るのは真中央。


 黒漆が妖しく光る、三枚歯の高下駄。


 その高さ、優に五寸。


 その巨木のごとき下駄が、ゆっくりと宙に浮く。


 大きく、あまりにも大きく外側から内側へと振りだされる。


 水守宿の土をすりながら、それは、重々しくも完璧な弧を描く。


 右へ、左へ。


 一歩、また一歩と。


 身に纏うのは、名工がこの日限りに織り上げた絢爛な三枚重ねの打掛。


 重厚な地色に映える金糸銀糸の刺繍が、立体的な陰影を伴い、揺らめく。


 まるで、生きているかのように。


 それを束ね、重ねる巨大な前結びの帯。


 視線を上げれば、美の極限まで幾重にも刺された、極上の鼈甲簪。


 支えるか細い首筋は毅然とし、その先に据えられた切れ長の瞳には、一片の揺らぎもない。


 ただ傲然たる妖艶さを、周囲へと静かに注ぎ放つ。




 人々は理解する。


 これが……朧であるのだと。




 その澄んだ口元が、わずかに上がる。


 全てを慈しみ、憂い、愛する笑みが、視線を独占する。


 目を向けた者達は感嘆し、瞳を重ねた者は身震いし、ため息を漏らした。


 誰一人として声を上げる事すらできない。


 ただ、釘付けだった。


 長い長い時間を掛け、ひれ伏す人々の前をゆっくりと、通過していく。




 遊郭の屋根の上、槍の男はただただ空を見上げ、耳だけを置いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。