第24話 深淵より出でし黒歴史
それは、地底深く、三百年もの間、誰の目にも触れずに眠り続けているはずの禁忌であった。
「チェリさん! 大変ですわ、大ニュースですわよ!」
平和な午後の薬屋に、迷惑な質量を伴い興奮気味の声が突っ込んできた。
クラーリスである。
彼女は手にした号外の束を、カウンターで薬草を刻んでいた私の鼻先に勢いよく叩きつけた。
「王立考古学調査班が、ついに発見したそうですわ。伝説の魔王ヴェリタスの、秘密の書庫を!」
手から、すり鉢の棒が滑り落ちる。
三百年、という歳月は、人の記憶を風化させるには十分な時間だったはずだ。
だが、当事者にとっては、昨日の晩御飯の内容よりも鮮明に蘇る――忘れたくて仕方のない記憶の宝庫でもある。
「場所は西の果て、魔力の澱みが激しいと言われていた禁足地ですわ。そこから、失われた古代の禁呪が記されていると思われる、重厚な革表紙の書物が一冊見つかったそうですの」
「禁呪……? そんなもの、あそこに置いてあったかしら……」
脳裏に、当時の書庫の光景が走馬灯のように駆け巡る。
あれは、魔王として君臨していた頃、深夜の謎の魔力高揚感に任せて、「もし世界がこうなったら格好いいのではないか?」という設定を書き殴り、誰にも見られないよう厳重に物理封印した、アレ。の、こと?
嫌な予感しかしない。
滝のような冷や汗を流していると、入り口から珍しく騎士団の制服を纏ったアレクシオン様が現れた。
その手には、既にクラーリスから提供されたのであろう、件の『禁書』の写本が握られていた。
「チェリさん、これを見てください。……素晴らしい。実に、心が震える内容だ」
「……え、アレクシオン様? 読んだの? それを?」
「ああ。魔王ヴェリタス……彼女は、単なる破壊者ではなかった。これほどまでに繊細で、孤独で、世界を愛そうともがいていたとは」
アレクシオン様の瞳は、これ以上ないほど澄み渡り、感動に潤んでいる。
だが、その手は逃げ出そうとする私の肩を、ガシッと重たくホールドしていた。
私は震える手で、その写本の頁を開いた。
そこには、流麗な古代文字がご丁寧にも現代語訳され、こう記されていた。
『光は影を産み落とし、影は光を喰らう双子の蛇。
嗚呼、わたくしの魂は漆黒の外套に包まれ、
誰にも届かない銀河の果てで、
独り、
永久の静寂を奏でるだろう。
――だって、今夜の月は、少しだけ赤いから』
「……っ、うわあああああああん!!」
違う。それは魂の叫びではない。
ただの、中二病を拗らせた魔王が、赤い月を見て気分が良くなって書いた、最高に恥ずかしいポエムだ。
「チェリさん!? どうしました、急に頭を抱えて」
「捨てて! 今すぐその本を焼却して! あ、待って、灰も残さず消滅させてちょうだい!!」
「何を言っているんですか! これは歴史的発見ですわよ!」
クラーリスが瞳を輝かせる。
「見てください、この後半の『理想郷設定資料集』と題された項目! 『第一条:国民は全員、猫耳の装着を義務付ける』……これはおそらく、人間と獣人の融和を象徴する、高度な政治思想に違いありませんわ!」
(思想なんて一ミリも入ってないわ! ただモフモフしたかっただけなの! 猫耳かわいいでしょう!?)
必死の弁明は心の内でしか叫べないのがもどかしい。
アレクシオン様は次々と頁をめくり、さらに秘された深淵を覗き込んでいく。
「ここなどは特に胸を打つ。――『我が右腕に宿る紅蓮の龍よ、今はまだ眠れ。この契約の枷が砕け散るその日まで』――彼女は、己の中に眠る強大すぎる力を、これほどまでの詩的表現で制御しようとしていたのか……」
(それはただの、通販で買った安物のブレスレットが腕に食い込んで痛かっただけ……! てか、この人! 絶対に誰が書いてるか判ってて朗読してるでしょ! いじめよくない!)
私は壁に頭を打ち付けて気絶したくなった。
だが、事態はさらに悪化する。
店の外から「我が君の! 我が君の御言葉が!!」と号泣するセバスティアンや、その他の四天王たちの暑苦しい気配が急速に近づいてくる。
「チェリさん、安心してください。この書物は、僕が騎士団の権限で保護します。そして、教科書に載せるよう王宮に掛け合おう。僕たちは魔王を正しく理解するために、この散文詩を次世代の若者たちに暗唱させるんだ」
「アレクシオン様、お願いだから……あ、私なんだか立ち眩みが」
一点の曇りもない勇者の笑顔が迫って来る。
ただし、その瞳の奥には『僕の側から逃げたら、これを本当に国定教科書にしますよ』レベルの、極めてブラックでヤンデレな脅迫の色がハッキリと浮かんでいた。
……完全に、黒歴史を人質に取られたかもしれない。
私のささやかな現世での野望は、発掘された一冊の日記によって、物理的にも精神的にも粉々に粉砕された。
明日から、赤い月が空に浮かぶたび、引用される未来が、私にははっきりと見えていた。
――いっそ魔王として復活して、全人類の記憶を消去した後に死ぬ。
そんな物騒な決意を固めて指先に魔力を込め始める私の横で、アレクシオン様は「赤い月、か……深いな」と、最高に楽しそうに頷いていた。




