第1話 華麗なる離島脱出
ざっぱーん、なんて景気のいい波音が聞こえる。
めちゃくちゃ痛い。
背中に刺さる岩の感触で、ようやく目が覚めた。
顔を上げれば、私を突き飛ばした護衛船が豆粒みたいに小さくなっていくのが見える。
大叔父様のあの……ごみを見るような目と、歪んだ笑顔が網膜に焼き付いて離れない。
「……はぁ。本当に捨てられた。公爵令嬢やってたのに即日廃棄って」
私の名前は、チェリ・ローゼンフェルト。
アンブロシア公爵家で『魔力ゼロの無能』として、空気みたいに扱われてきた薄幸の令嬢だ。
この国じゃ、魔力がない貴族は貴族じゃない。
ゴミだ。
だから成人式の魔力測定で計測不能を出した私は、この『絶望の孤島』に、いとも簡単にぽい捨てされた。
けれど、岩場で頭を打ったおかげか、私の脳内に最悪な記憶が混ざり始めた。
十七年間の記憶が、たった数秒で上書きされていく。
それは、思い出すだけで胃に風穴が開きそうな、あまりにも痛々しい前世の記憶。
(――「我が名はヴェリタス。万象の理を統べ、終焉を司る漆黒の王なり」)
(――「ククク……この世界の均衡など、我が指先一つで塵へと還してくれよう」)
「…………あ、あ、ああああああああっ!!」
私は絶叫しつつ岩場を転げ回った。
あまりの恥ずかしさに、そのまま海に飛び込みそうになる。
何が「漆黒の王」よ!
誰に向かって「ククク」とか笑ってるの!?
怖すぎるんだけど!?
当時の私を捕まえて、一晩中正座させて問い詰めたい。
そのマントの裏地、何でそんなに無駄に赤くしてるの?
まさか、恰好いいとか思ってるわけ?
しかも、一番思い出したくないとんでも事件の記憶まで蘇ってきた。
魔王時代の私が、ただの気まぐれで、当時の主要通貨を偽造しまくったり、市場の流通を魔術でコントロールしたりして――。
「いやあああああ! 世界経済崩壊! 私は何もしてない! 私はただ、美味しいケーキをお腹いっぱい食べたかっただけなの! 濡れ衣なのよおおおおお!!」
だめだ、話題を変えなきゃ。
経済の話をすると、恥ずかしさで孔と言う孔からから火が出そう。
あ、今日の空は青いですね。
海鳥が飛んでますね。
平和ですね。
よし、現実逃避完了。
そもそも、私が無能って判定された理由も、今なら冷静に分析できる。
教会の魔力測定器?
ちょっと振ったら壊れそうなガラス玉で、私の魔力を測れるわけがない。
あんなのは、コップ一杯の水の量を測るための道具だ。
それに対して、私の魔力は目の前に広がる大海原そのもの。
スケールが違いすぎて、計測器が「えっ、多すぎて意味わかんないんだけど」って思考停止しただけだと思う。
それを魔力ゼロと勘違いするなんてねえ、現代の魔術師たちもたいしたことないわねえ。
「……まぁ、いいわ。あんなギスギスした公爵家に戻るつもりなんてさらさらないし。私はここで、誰にも邪魔されずに、ただ息をして、寝て、美味しいものを食べるだけの隠居生活を送るんだから」
「グルゥゥゥ……」
私のささやかな野望を遮るように、背後から巨大な影が差した。
家ほどもあるデカい熊。
この島の主かなんか知らないけど、涎が私の靴にかかってる。
汚いでしょおが。
「……ねぇ、熊さん。私、今すごく気分が悪いの。恥ずかしさと胃痛で、今すぐ自分の存在を隠匿したい気分なの。わかる?」
かつての魔王時代なら、ここで「極大消滅」とか無駄に叫んで、島ごと地図から消していただろう。
でも、そんな技名を口にした瞬間、私の精神が摩耗する。
だーれも見てないし。演出に気を遣う必要なんてひとつもない。
「知らないわよ、魔力で空気を固めて、上からぶん殴ればいいんでしょ? 魔力回路、律動。……よし、あの感覚思い出してきたわ。まだ問題なく使えそう」
指先を軽く振ると、周囲の空気が細かく震えた。
無論、全盛期の力には及ばないが、それでも一国を焦土に変える程度なら容易い魔力が体内を巡る。
呪文? 魔法陣?
んなもん、無能令嬢が知るわけないでしょ。
ただ、そこにある魔力を、物理的な質量の塊に変えてぶつける。
あ、でも昔みたいに環境破壊しまくる危険人物にならなりたくないから、適度に調節はしないとね。
ドォォォォォォォンッ!!
凄まじい衝撃音。
巨熊は悲鳴を上げる暇もなく、頭上から降ってきた不可視のハンマーに押し潰され、地面にめり込んだ。
クレーターの中で、熊が、解せぬという顔で白目を剥いている。
「……ふぅ。やっぱり、物理で解決するのが一番スマートね。疲れないし」
島に隠居するにしても、ここはあまりにも不便すぎる。
美味しいパンもなければ、ふかふかのベッドもない。
だったら、さっさと別の大陸の港町にでも移動して、偽名を使ってお小遣いでも稼ぎながら暮らすのが正解だ。
「船が必要ね。でも、木を切って船を作るなんて、そんなの可哀相な私の手が更に荒れちゃう」
海岸を見渡すと、ちょうどいい材料が海面からぬんと顔を出した。
伝説の海竜。
古代種の亜種かな?
王国の船団でも太刀打ちできない、生ける災害。
それが、私を餌だと思って、巨大な水流を吐き出そうと口を開けている。
「うるさい。少し静かにしてて」
私は指先をパチンと鳴らした。
魔力を海竜の全身に叩き込んで、その分子構造を無理やり、《《動かないように》》固定した。
ガチガチに固まった海竜の背中に、私はひらりと飛び乗る。
「さて……次は、内装ね。この辺の枯草、いい感じの柔らかい絨毯になーれ。あと、この鱗、透明な防風ガラスになーれ」
指を動かすたびに、海竜の背中が私の想像する快適な隠居空間へと作り替えられていく。
伝説の怪物を魔改造してリビングルームに変えている光景なんて、誰かに見られたら卒倒されるだろうけど、知ったことじゃない。
ここ、私の事見ている人間居ないし。
なんせ、捨てられたから!
目指すは平穏。
目指すは静寂。
目指すは別大陸。
「最後は、ここの神経に魔力を繋いで……よし、完成。とりあえず南方大陸のヴェルナ辺りまで、揺れを最小限にして進んでね。……あ、海賊とか来たら、適当に体当たりして沈めといて」
海竜は私の命令に逆らえず、悲しげな瞳を向けながらも、滑るように海を走り始めた。
私は完成したソファに深く腰掛け、島で拾った果実を齧りながら、大きく伸びをする。
「はぁ……。ようやく一息つけるわ」
国へ戻って仕返し?
いや、面倒だ。
私を見捨てた者達になんかに構っている時間は無駄無駄無駄。
たとえ、私が乗っているものが。
世界を滅ぼすレベルの災厄であっても。
私はただの無能令嬢として、ひっそりと、死んだように暮らしたいだけなのだ。




