37話
黒一色の闇の空間の中にマリンはいる。自分は死んでしまったのだろうか。そう思った時、目の前に男があらわれた。
深い瞳をした男。
白い着物の上に肩衣と呼ばれるジャケットのようなものを着て、腰に二本の刀を下げた、異様な雰囲気を放つ男だった。近くにいるだけでマリンは、土の中に埋められてしまったかのような圧迫感を感じた。
動くことも出来ないし肺に空気も入ってこない。
きっとこの男は自分よりも遥かに遥かに強い。今はすっかり慣れてしまったけれど魔王虎丸と初めて出会った時の事を思い出した。
絶対に抗うことのできない存在、目の前にいるのはそういう者だと本能が感じ取っていた。
何て深い暗闇、きっと私は死んでしまったのだろうな。マリンがそう考えた時、男が口を開いた。
「諦めるのか?」
それがセラフィーのことを言っているという事にはすぐに気が付いて、頭の中が熱くなって声を発した、発そうとしたけれど自分の口からは何の音も出ていなかった。
「お前の事情は分かっている。近くで見ていたからな」
男は低く落ち着いた声で言った。
分かっている?それならなぜ諦めるのか、なんてことを聞くのだろうか。あのクレープに入っていた毒のせいで私の体は動かなくなって死んでしまったんだ。
それなのになぜ………。
「お前はまだ死んではいないし、この程度のことで死ぬことはない。まあ1日程度寝れば元通り動けるようになるだろう」
え?
「今はただ意識を失っているだけだ」
よかった。
「お前はその程度で済んでいるが、お前が大切に思っている人間はそうはいかない。お前よりも体が頑丈ではないからな」
え………。
「知っているだろうが、あの子は人間に狙われている。お前が何もしなけれが死ぬよりも辛い目に遭う事だろう」
先生、先生に助けてもーーー。
「お前がやるべきだ」
え。
「お前自身が行動するべきだ」
厳しい口調の中にも思いやりが感じられる言葉だった。
「いまの魔王虎丸はすぐに動ける状況ではない。こうしている相手にもあの子は苦しんでいるんだ。すぐに救ってやりたいと思うのならば今すぐに自分でやるべきだ」
動けいない?そんなはずは、だって先生は私たちのことをいつも見守ってくれて、それで助けてくれて。
「あの子のことを考えるのならお前自身が動くのが一番早いのだ、それはお前にだってわかるだろう」
それは、でも、どうすれば………。
「考えるな」
?
「今のお前は思考で自らを縛り付けている。考えるな。獣のように本能に身を任せて行動しろ。それがお前の力を最大限に発揮するきっかけとなるのだ」
何を言っているのか分かりません。
「お前は優しすぎるのかもしれないな。私がお前くらいの歳の時には誰よりも強くなることしか考えられなかったものだ。全ての人間を押しのけて戦って戦って戦って自分の自我を通すためだけに生きていた」
遠くを見るようにして男が言う。
「余計な話だったな………今からお前に未来を見せてやろう。この先起こりうる未来の映像だ」
未来?
「それを見てもなお動かなければ、お前に友を想う資格は無い」
辺り一面真っ暗闇の世界から一転して、目の前の景色が石造りの狭い通路の映像に切り替わった。
混乱したマリンがあたふたしても、その映像はピタリとも揺るがずにただその光景を流し続ける。
「大丈夫、何も心配する事は無い。考えるな、本能に身を任せれば何をすべきなのかは自然とわかる。必要なのは覚悟を決めるだけだ、大切なものを守るための覚悟を………」
男の瞳は深くて厳しくて優しい。
マリンは少しだけ落ち着き始めた。あの男は間違いなく強者であるが、自分に敵意を持ったものではないという事は分かっていた。先生と慕う魔王虎丸と同じ雰囲気を持っていたから。
ランプを持っているのは狐のような顔をした中年に入りかけくらいの歳の男。ランプの光で不気味に見える顔は少し笑っていて、下へ下へと細い通路を降っていく。
やがて金属製の扉の前にたどり着いた狐顔の男は、そこにいる軽鎧を身に付けた兵士らしき男に何かを言うと、兵士はその扉に鍵を差し込んで回した。
そこは牢獄。
ただの映像のはずなのに臭いと湿度まで感じられるほどの陰湿な牢獄で外からの光は一切なく等間隔で置かれたランプによって照らされている。
マリンから息を呑み込む声が出た。
広めの牢獄の中にいたのは鎖につながれたセラフィーだった。
映像はさらに流れていく。
マリンの呼吸は荒くなる。
「やめろーーーー!!!」
真っ暗闇の空間を震わせたのは悲鳴とも、怒声とも、雄叫びともいえるマリンの声だった。
それでも映像は流れ続ける。
見たくない未来を見せていく。
マリンの鼓動は大太鼓のように強く鼓動して、恐ろしいほどの速度で体内の血液を回していく。
自制の鎖が外れていく。




