38話 ~勇者の覚醒~ ※残酷な描写有り
頬に冷たさを感じマリンは目を開く。そこはあのクレープ屋。気を失う前にいた場所と同じ。
しかしあの時とは全てが違う。機能を停止していた体の中の毒は濃密な炎によって燃やされた。目も耳も皮膚の感触も、あの時には無かった全てが完全な状態で戻っていた。
耳の空洞の中に雨の音と人の声が響く。
落ち着こう。
心はもうすでに決めているけれど焦ってはいけない。もし万が一間違っていたら大変だ。そう自分に言い聞かせ、床にうつ伏せのままで男たちの会話を聞く。
男達は話している。あの女はどこにいる、一刻も早く連れ戻せという命令だぞ。いや、あの女は今意識が無いから医者に連れて行っていった。何を馬鹿なことを言っている、医者など我が国にもいるではないか。そこまではあの女の体は持たないと判断した。なんでそんなことになっている。それは少々不手際が起きて………。声を張り上げた問答が永遠に続きそうなほどの勢いだ。
感情を揺さぶられたマリンの体がさらに熱くなる。
間違いない、セラフィーを攫ったのはこの男達だ。それを確信してからマリンはゆっくりと立ち上がる。足にはまだ若干の震えを感じているが使えないほどではない。
熱い。
体の中から燃えるような熱さを感じている。今からやる。大丈夫私ならできる。今やらなかった絶対に後悔する。誰かじゃない、先生じゃない、私がやるんだ。
もう決めた。
体格のいい男たちの中のひとりが立ち上がったマリンを見て口を開こうとしたその時、マリンが閃光のように右手を振った。
血飛沫と共に首が舞った。
そこにいたのは眉一つ動かさないマリン。男たちが声をあげるのに一瞬の間があったのはその目に気圧されたから。
音。
それは建物の一部が、ずり落ちていく音。たった一度だけの閃光は男の首を刎ねただけではとどまらず、その背後にあった建物の壁までを切り裂いた。
ようやく叫び声をあげたのとほとんど同時に、マリンは一歩踏み出して再び男の首を刎ねた。そこにいる誰の目に突然目の前に現れたように見えただろう。首を刎ねられた男でさえもだ。
指先を滑らせただけで首を刎ねる。
大きな音を立てて、ずり落ちた建物から黒く分厚い雲と、そこから叩きつけてくる粒の大きな雨粒が見える。
しかし今それに気が付いているのはマリンだけ。彼女は今ただただ落ち着き払っている。吹きあがる地の中で己の力を見極め、相手の力を見極め、人体の構造を見極める。
この世界には魔力がある。筋力よりもはるかに力を発揮することができる。ただ単に力が強くなるだけではない。使い手が優れていれば、そう願えば魔力は切れ味を持つの武器となるのだ。
そこから始まったのは一方的な殺し。
アリクイが一心不乱にアリを食べ続けるように、その室内にいる男たちの首を次々に刎ねていく。
覚悟を決めろ。
あの黒い空間の中であの男に言われた言葉は、マリンの中に揺るぎない言葉として残っていた。
極めて冷静。
これはやらないといけない事。だからやる。悪いのはこいつら。私にとっての大切なものを守るため。鋭利な魔力を持った指先は人間の動脈を切り裂いていく。
怒りと冷静さが両立する心。
ほんの少し前までのマリンは人間が怖かった。あの雨の日以来、ずっと虎丸と一緒に生活してきたマリンは、自分の事が人間なのかどうかあやふやになっていた。
人間と魔王は敵同士。
だけどマリンには兄であり父親でもある虎丸と離れて生きていくという事は考えられない事。そうなればマリンにとって人間というのはもはや味方ではない、仲間ではない。
だから人間が怖い、怖かった。
あの黒い空間の男が見せた映像がそんなマリンの心を変えた。男たちがなぜあんなことをしたのかは知らない。しかしやった事はとても許せることではない。
勇者。
仲間のために戦う時、勇者は最も力を発揮するのだ。相手が魔物であろうと人間であろうとも。
今のマリンはどこか自信なさげな彼女とはわけが違う。
覚悟が決まっていた。
人間と戦う覚悟、殺す覚悟、自分の手で殺す覚悟。
昨日までは平和なクレープ屋だったその店には血飛沫が絶えず上がり続け、滑り落ちた屋根の部分からは雨が降り注いでいる。
セラフィーは私が守る。
霧のように可視化できそうなほど濃密な血の臭いの中で、細胞一つ一つから発せられるような確かな覚悟は、少女を勇者へと変えていた。
「発動」
床を浸す血の中でマリンはリストバンドに向かって呟くように言った。魔王虎丸から渡されたお互いの居場所を知るための魔道具。
糸のように細いがしっかりとした光が一直線に伸びて妹と思っている大切な存在へと向かう。
鍵のかかった扉を蹴破ってマリンは走る。黒い雲が覆う一面の空の下を走る。大粒の雨を弾き飛ばすその体には、視覚化するほどの濃度を持つ白銀色の光が包んでいる。
雨が落ちる速度よりも速く走る。
やがて一つの建物の前についた時、二人の男と一人の子供が言い争っているのが見えた。
「どうして約束のお金を払ってくれないのさ!俺は言われた通りにクレープ山であの二人を連れて行っただろう!約束が違うよ」
雨の中で叫ぶ子供はツンツン頭をしたトマソンズ。
「うるせえなガキ!しつこいんだよーーーちょっと待てあいつは………」
体格のいい男のひとりが声をあげ、もう一人が指を指した。そしてトマソンズは振り返った。
6つの目が見ているのは極めて表情の変わらない少女。毒を盛られ動けなくなった、さらにいえば死んでいておかしくないはずの少女。
ほんの少しの時間だけゆらりとした膝をかがめる姿勢。彼らが見ることが出来たのはそれだけだった。
閃光は雨雲で覆われた闇の中でも光る。
頭部が水を叩く音。
6つの目から光が消えていく。
頭部のない体がゆっくりと倒れていく。
それを待たずしてマリンはその建物の扉を蹴破って中へと侵入する。活きひとつ乱れず進む少女の体には水の一滴も付着していない。
歩みを進めさらに蹴破った扉のすぐ近くにいたのは、ベッドに寝かされているセラフィー。そして医者のような白衣を着て尻もちをついている染みだらけの顔をしたつるつる頭の爺さん。
爺さんが何か声をあげるのも構わず、マリンはセラフィーを抱え上げた。いつも明るくて甘いものと悪戯が大好きでお風呂を面倒くさがる妹のような存在。
死人のように真っ白な顔をしたセラフィー。
マリンの体を包む光りはさらに強さを増して行き、室内全体を清めるような強く美しい光となった。
光はマリンの体からセラフィーの体へと伝わってその体を包む。祈祷を唱えたわけではない、手を組んでいるわけでもない。しかしそこには確かに祈りが感じられた。
回復魔法の発動。
魔力を使用した時の独特なスパイシーな香りが室内に立ち込めている。今まで一度たりとも使ったことは無い、たった今取得した魔法だから。
ただ念じただけでマリンの体の中にある魔臓は主人へと意思を持った魔力を与え、少女の体内の全ての毒を滅死させる。
暫くして後、ゆっくりと抱え上げられた少女の瞼が開く。
「マリン………」
弱々しい声と弱々しい微笑み。美しい目はまだトロンとしてはいるが、そこには生きている人間の目の柔らかさがあった。
「もう大丈夫よ」
生暖かい雨はまだ勢い良く降り続いていた。
「ありがとう」
セラフィーの目の端からは温かい涙がこぼれ落ちていた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「ブックマーク」と「いいね」を頂ければ大層喜びます。
評価を頂ければさらに喜びます。
☆5なら踊ります。




