━━━第二章・荒ぶる湖畔のスシ屋台━━━ 4
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時は遡り──一年前。
天下を統べる朝廷が白露様を討伐する為に送り込んだ征討軍と、それを阻止すべく鎮西地方の住民達が立ち上がった義勇軍。
その両軍が対峙する平原の真ん中へ近づけば近づくほど、寒風が強くなってゆく。
既に、敵方の総大将である青年は、一騎打ちが繰り広げられるであろう決戦場にて、腕を組んで立っていた。
「待たせたかのぅ?」
大太刀を持って赤髪をなびかせた師匠が、到着すると同時に問いかける。
「……………………」
しかし、相手は一言も声を発しない。ただ、予想通りではあった。天下有数の実力者である彼は、無口な御仁だと聞いていたからだ。これから殺し合う敵同士で、多くを語る必要はあるまいと、師匠は一騎打ちの名乗り口上を始める。
「やぁやぁ、我こそは従四位鎮西兵衛尉・稲薙 道就と申すなり」
稲薙 道就──これが師匠のフルネームであった。この稲薙という姓は、現代の名字に当たる。京の貴族のような高い身分でしか持ち得ない家名であり、一般の農民が姓を名乗るのは許されていない。あと、鎮西兵衛尉とは彼が務めていた鎮西府の役職名である。
「そして、我らが<もののふ>の字は紅蓮翁じゃあ!」
そう名乗り終えると、大太刀を横一文字に振るった道就。刀身が紅く輝き、火花が飛び散る。
次は青年の番であった。彼は落ち着いた声で、厳かに名乗りを上げる。
「我こそは……、従一位鎮西将軍・評 利光なり」
齢は二十を越えたあたりだろうか。本来ならば兜の下にかぶるべき萎烏帽子から、さらりと漏れた神々《こうごう》しい銀髪。白地小葵に雪輪鳳凰を金糸であしらった有職文様の気品溢れる狩衣をその身に纏い、紫の生地に薄く浮かび上がる雲立涌の袴を膝あたりで締めた脛当て。靴は、黒い毛で覆われている。
「<もののふ>の字は……、冬将軍」
その足下から、一陣の冷たい風が舞い上がった。
瞬間、心の底から凍り付くような恐怖というか威圧感が、道就の身体を硬直させる。刃を交える前から、格の違いは歴然であった。
そんな相手の様子を冷ややかに見ながら、さらに口上を続ける利光。
「勅により……、鎮西に巣食いし〝白露ノ大蛇〟なる[もののけ]を討伐しに来た。邪魔する者は、ことごとく朝敵と見なし成敗されるものと……、心得るがよい!」
それを聞いた道就の顔つきが変わった。怒りによって金縛りが解け、身体中の筋肉がうねる。
「白露様を[もののけ]扱いとは、この罰当たりめがぁ!」
高く跳び上がった道就は、大太刀を大上段から振りかぶって、真っ向唐竹割り。
対する利光は、腰の太刀には一向に手を掛ける様子も無く、腕を組んだまま。
「うおりゃああああああぁぁぁ」
力任せの強烈な一撃が、大地をえぐった。土煙が舞い上がる。だが、これで終わりではないのだ。炎を巻き起こした刀身が地面を裂きながら横薙ぎへ、すまし顔で避けた敵に襲いかかる。
「どうじゃあ! これぞ、ワシらの得意とする焔返し…………」
だが、確実に捉えて斬ったはずの利光は、すぐさま霞のようにその姿を消していた。
そして──。
「なんじゃとぅ!」
道就が驚くのも無理はない。まったく予想だにしなかった背後から気配を感じたのだ。しかも、こちらに致命的な隙ができたにも関わらず、敵は攻撃しなかった。完全になめられている。
一方、この期に及んで未だ腕組みを解かず、落ち着き払った声で問いかける利光。
「ところで、一つ聞いておきたい……。予の従一位とそなたの従四位では、天と地ほどの差が開いておるのに……何故、勝ち目の無い一騎打ちを挑むのだ……?」
それは朝廷から授かった官位の事である。
由緒正しき貴族の家柄が高い官位を独占していたのは今は昔。妖怪変化が跳梁跋扈する世へ移り変わり、[もののけ]退治を余儀なくされた中で、朝廷が臣下に与えた褒賞が官位であった。
すなわち、高い官位を持つ者は[もののけ]退治の功労が高かった者であり、朝廷が認めた強さのランクでもあるのだ。
「知れた事よ。男には負けると分かっていても、戦わねばならない時があるのじゃあ!」
大太刀を右肩にかつぎ、道就は啖呵をきった。
「そうか…………」
その返答を聞き届けた利光がついに、腕組みを解いた。右手が太刀の柄を握る。
また、唐突に時間を遡ります。
そして、従一位やら従四位などの官位が登場し、強さのランクになっております。
この設定も、今後に活かす予定です。