37, 2 - ⑪
二万二千字越えました。
誤字脱字、おかしな文は気づき次第、直します。内容に変更はありません。
そろそろ雪融けが始まった春である青の季節の始め。
春になったとはいえ、まだ真夜中は肌寒い。それでも冬である黒の季節が終わったからか、以前よりも寒さが和らぎ、日も大分のびてきた。
寝静まった城の回廊を、騎士団の黒服に身を包んだファウス国王ルースは、窓から射し込む明るい満月を見ながら歩いていた。
本来なら護衛や侍従を伴い、ぞろぞろと歩くのだが、国王は今、執務室に籠って仕事をしている事になっている。あくまで表向きは。
国王になってから既に三ヶ月が過ぎ、すっかり執務室を抜け出す事にも慣れたルースは、たまに息抜きの散歩をして、城内の様子を見て回り、文官や兵士に紛れる事もしばしばあった。
闇夜を晧々と照らす見事な月に見惚れて、ルースは足を止めた。
柔らかな浄化の光。
少しでもアルスマの容態が好くなる事を強く願う。
一つ深呼吸をして、沈みそうになる表情を隠すと、ルースは歩みを再開した。
***
あの日。
イオニス帝国のシリウス城に、囚われたアルスマを助け出す為に侵入して、必ず三人で帰ると連絡があった二月の中旬の始め。
連絡を受けたルースたちは、落ち着かない気分でまんじりともしない夜を過ごした。
何しろ魔法師長の不在は、限られた者しか知らない機密事項だ。クーデリカはファウス国の城にいて、決してシリウス城で見つかってはならない。魔法師長にしか扱えない魔法の痕跡さえも。
医者と薬を一通り用意しておいて欲しいと伝言があったのも、怪我をして正体を失っているアルスマの為に、念には念を入れただけだと予想はついていたが、それでも危険極まりない場所に身を投じるロアとジェナスを案じる気持ちは別物だ。
要望通り、秘密を守ってくれる長い付き合いの御殿医オルガと城にあるだけの薬を揃え、魔法師長の寝室続きの居室で、ルースとクリス、カイン、先王のセオルドとその妻カレンティーナ、事情を知るメイドのエリーと共に、無事を祈って待っていた。
連絡を受けてから、四時間が経過した夜半の午前二時過ぎ。
魔法の気配を察知したルースがいち早く反応し、他の面々も席を立つと、ふわりと冷気を纏った夜気と共に床が淡く発光した。 ハラハラと全員が注視して見守っていると、どさりと床に崩れるように一塊となった三つの人影が座り込んだ。
ほっとしたのも束の間。
直ぐ様三人に近づき、ルースたちは息を呑んだ。
三人が三人とも満身創痍で裂傷、みみず腫、少ないとはいえ肌を血が流れていた。アルスマだけには傷がないが、真冬にも拘らず服装が薄い生地の白い上下という酷い有り様。その服も上は裂けて半裸という状態。それでも、周りの視線を絡めとるような見惚れる妖艶さは健在で、耐性のないクリスやカイン、エリーやオルガが頬を染めて生唾を飲んだ。
アルスマは兎も角、無事に帰って来ると思っていたロアとジェナスの姿にも衝撃を受けた。
ジェナスは肌も服も切り裂かれて血が滲み、一番無事に戻って来そうだと笑いながら話していたロアに至っては、右頬が赤く腫れて裂傷痕から流れた血が固まっていた。左頬は強く殴られて青紫の痣になっている。ジェナス同様、切り傷があちこちにあり、何より力任せに引き裂かれた服から首もとと胸元が覗いている。首筋には赤い歯形や、絞められた手形。
思わず何があったと詰め寄りたくなる程、一番目に見えて外傷が多かった。
誰もが口を開こうとした瞬間。
気が急く一同を制したのはロアだった。
「説明は後でします。まずは師匠の診察を」
ロアは強い眼差しを茶髪の中年男━━御殿医オルガに向け、それから「エリー、用意してある薬を見せて」とメイドの少女に声をかけた。その間にもジェナスと両側から支えたアルスマを隣の寝室へと運び、オルガは鞄を持ってその後を追い、エリーも用意された薬箱を持って続いた。
残されたルースたちも寝室に移動する。
「外傷は全て治しました。でも多くの薬を使われていて、その治療と中毒する薬の知識を貸してください。どんな毒薬が使われてどんな症状が発症したか、細かくは私が記憶を探ってお伝えします。取り敢えず、解っているのは麻薬、自白剤、催婬剤をかなり多く摂取させられたという事です。それも種類も多様です」
アルスマを寝台に寝かせたロアの言葉に、オルガが表情を険しくして、注射の用意をした。アルスマの腕を出して、針を射す。
「そんなに多くの様々な薬を使われては……」
「大丈夫です。他の方は既に廃人でしたが、師匠は事前に色々な中和剤を飲んでいます。だからまだ時々、意識が戻るし正気にもなります。そして何より、どんな拷問にも情報を渡さなかった。恐らく師匠なら自分に使われた薬が何かを自分に出た症状から、把握している筈です」
ロアの話を聞いた面々が息を呑んだ。ジェナスが納得したように頷いた。それからはっとする。
「ロア、お前が記憶を、……師匠の思考を読むほど深く意識を繋げて見るって事は……師匠の拷問の記憶と苦痛を全部、追体験するって事だぞっ?」
「解ってるよ」
「解ってるって、お前……っ」
「じっくり時間をかけてる場合じゃないでしょ。検査している内に症状が進んで、取り返しがつかなくなってからじゃ遅いの! 私はっ、師匠を私が殺すなんて嫌だよ!!」
一歩も引かないと、強い感情を剥き出しにしたロア。普段冷静沈着な姿しか見た事の無かったルース以外が、目を見開き驚きを露にしていた。
「……お前が、師匠を殺すって……。お師匠は危険も全部承知で」
「解ってる。でも情報収集を頼んだのは、無理に行かせたのは私だよ。こうなる危険も理解していたのに」
奥歯を噛み締めて、ロアは険しい顔でベッドに膝をつき、治療するオルガとは反対側から寝台に上がった。目を閉じるアルスマの顔を覗き込んで、止める間もなくロアは目を閉じて額を合わせた。
重なった額どうしの間で青白い光が見えた。
するとロアの表情が青ざめ、苦悶に顔が歪み、項や首筋から汗が吹き出した。唇が戦慄き、叫びそうに口を開いては耐えるように荒い呼吸をしながらも、ロアは何も言わず歯を食い縛る。その姿を固唾を飲んで、全員が見守った。
それから苦しげにポツリ、ポツリと聞き慣れない単語が呟かれ、オルガがすかさず注射を打ち、エリーが持ってきた薬箱から薬草や薬を引っ張り出す。
「━━っ、はっ! ……ぁっ、はぁっ」
沈んだ深い水底から顔を出したようにロアが呼吸を繰り返し、また苦痛を浮かべながら、アルスマの記憶に潜った。
それを繰り返し、オルガが応えて注射を打ち込み、薬を選んでいた。組み合わせが悪い薬は別の物を代用して、混ぜていく。酷く濁った草黒茶色のドロリとした飲み薬が椀に用意された。
ロアが額を離して、震える体をどうにかマットレスに手をついて支えたが、顔は青白く目は虚ろだった。唇を噛みすぎたのが、口の端から血が流れた。ぐらぐら体が揺れ、力が入らないのか繋いだ記憶の影響か、腕や足が痙攣して傾いだ。どうにか無様に転げ落ちる事を避けて、ベッドから床に下りて膝をついた。
ジェナスが駆け寄り、両腕をマットレスにのせて体を寄りかからせるロアを諌めた。
「ロア、もうやめろよ! お前がもたねぇよ。どんだけ大技使って魔力を消費したと思ってんだ。今だって限界だろ。もう休め」
「ジェナス……」
「後の事は俺がしとく。説明も俺が」
「これから薬の影響が抜けるまで、根気のいる治療が必要になります。魔法師長どの、現在出来る事は安静にして容態を見守る事です。今は落ち着いていますが、きっと魘されて暴れたり、快楽を求めて近くにいる方を襲ったり、熱に浮かされたり、徘徊するでしょう。そうなった際に、看病出来るのは」
「……私だけですね。本当に無駄に色気振り撒いて、変態をが寄ってきそう」
オルガが頷いた。専門家である尤もな医師の言葉に、ロアは観念して、自分の体調を鑑み、素直に諦めた。
「恐らくこの方の魔法を止められて、色香にも惑わされず適切に処置出来るのは、あなただけでしょう。僕も正直この気に当てられるのは辛いです。若い他の、彼と面識のない者は特に近づけさせない方がいいです」
「お前が目を覚ますまでは、俺が看とく。一日くらいなら俺でも正気を保てる」
「………再会した師匠に妙な気分になっていたのに?」
「ぅぐっ! …大丈夫だ。てか、こんな時まで気を張るな。ここはもうファウス国だ。ルースたちだって多少は耐性があるし」
ロアが顔をアルスマから、寝室への続きドア付近でずっと成行きを見守っていた面々へと向けた。強張っていた表情が微かに緩んだ。
「そうだね。何かあったら、すぐに起こして」
「わかってる」
「……もし、師匠に手を出そうとする愚者がいたら、老若男女関係なく地獄見せるから、そのつもりで」
「って、何でそこで俺を見る!? 襲わねぇよ!」
突っ込むジェナスを無視して、ぐったりしたロアが、真っ直ぐルースを見た。どうにか腕に力を入れて顔を上げるが、すぐにマットレスに引き戻される。
「ご迷惑をおかけして、ご挨拶もせずに、醜態を晒して申し訳ございません、陛下」
「構わない。それより」
「私は大丈夫です。ご命令通り、三人で無事に戻って参りました」
「━━お前は、本当に…。その姿が無事か、ロア」
「これから無事になります。ので、陛下は帝国の相手を」
「解っている。大丈夫だ。例の情報も証拠も上手く使う」
ロアが安堵したように微笑んだ。それからオルガへと目を向ける。
「ありがとうございました」
「いえ、僕も治療と調合に専念します。何かあれば遠慮なく仰って下さい。薬は置いておきますので、目が覚めたら飲ませて下さい」
「勿論です。無理矢理でも力ずくで流し込みます」
「…………病人なのでくれぐれも、優しくお願いしますね。くれぐれも」
オルガの言葉に、全員がこくこくと頷いた。
「はい、強制的に飲ませます」
「真面目に怖いこと言うな!? 優しくって言われただろ。病人だからな?」
「うるさい、ジェナス。それより、このまま寝るから、起こさないで」
「……このヤロウ」
「……あれはジェナス少年が八歳の時、近所でも」
「解ったよ! 俺が悪かったからマジ止めろ!! すみませんでした!」
平謝りするジェナスが泣きそうな顔で謝罪した。ロアは「よろしく」と呟くと、意識を手放した。ジェナスが「いつか絶対ヤッテヤル」と物騒な事を言っているが、ロアに叩きのめされて謝罪する構図が、その場の全員の脳裏に思い浮かんだ。
嘆息したジェナスが、エリーが備え付けの収納部屋から出してきた毛布を受け取り、ロアにかけてやる。
そっと隣室に移動して、ジェナスはオルガの治療を受けながら、イオニス帝国に行ってからのあらましを語った。
城に潜入する話になる前に治療が終わったオルガは、早速解毒薬を作ると部屋を去り、彼以外がその後の話を全て聞いて、それぞれが反応した。
痛ましいと嘆く者、悲惨だと眉を顰める者、あまりの非道に怒る者、可哀想と泣く者。
だが、ロアが激怒して、シリウス城を半壊させて戻ってきた事を告げると、誰もが押し黙った。
「あなたが自由にさせた結果ですよ、ルース」
クリスが頭が痛そうに言った。ジェナスが安心しろと請け合った。
「………目撃者は皇帝だけだ。他はしっかり記憶を改竄して隠蔽してきた。やっぱりあいつは隠密向きだよな…」
「嬉しくない技術向上ですね。で、どうするんですか?」
クリスの言葉に全員の視線が、国王に向いた。
「どうするも何も、別に何もしなくていいだろ。知ってるのは協力者の皇帝だけで、死傷者は皆無。政の中心である城がそんな状況だったら、ますます国同士で争うどころじゃないだろ。復興に時間も金もかかるから開戦派は減るし、よしとしておけ」
確かに、と一同が頷いた。
取り敢えず、対策や協議は全て一度休んでからと強引にまとめ、ルースは部屋で休むよう全員を促した。ジェナスだけは部屋に残して。
「ジェナス」
「申し訳ございません。力及ばず、師も姉弟子もどちらも抑える事が出来ませんでした」
ジェナスはまたもや護衛対象のロアを守れなかった不甲斐なさを恥じ、深く頭を下げた。一緒に行きたかったルースをおいて、任されていたのに。
深い自責の念を噛み締め、謝罪するジェナスの胸倉をルースが掴んで顔を上げさせた。
「本当に、ふざけんな。ロアが襲われるなんて護衛にあるまじき失態だぞ」
ギリギリと締め上げる力に、痛いほどルースの心情を感じてジェナスは耐えた。きつく目を閉じて、ルースが手を離す。
「報告、ご苦労。負傷し疲れているところ無理させるが、ロアとアルを頼んだ。ロアたちが目を覚ましたら、報せてくれ」
ジェナスが深くお辞儀をして、見送る。ドアノブに手をかけたルースが立ち止まる。
「…ジェナス。お前たちが帰ってきてくれてよかった。ロアが起きたら、必ず休めよ」
ジェナスがはっとし、ドアが閉じられた後も暫く、頭を下げたままでいた。
その後は、目覚めたロアから改めて報告を受け、魔法師長以外に回せる仕事は全て任せ、極限までロアの仕事を減らした。
ロアは付きっきりでアルスマの看病に勤しんだ。
始めはやはりアルスマの意識が混濁し、誰かと勘違いして魔法で攻撃、物理的にも暴れてシーツを裂いたり、枕を投げたり、取り押さえようとしたロアを打ったり、殴ったり、逃れようともがいて手が当たったり、苦しげに胸元を掻き毟り、助けを求めるようにロアの腕を爪が食い込むほど掴み、引っ掻いたり、すがるように骨が軋む程抱き締めたら、押し倒して肌に舌を這わせ、服の上から体を撫で回し、ロアに股間を蹴られたり殴られたり。
かと思えば、手やシーツの切れ端でロアの首を絞めたり、髪を引っ張ったり、獣のように吠えて唸り、噛みついたり。急に甘えて体を擦り付けてきたり。
嬉しくない事にそんな姿も凄絶に美しく、正気に戻って落ち着く事の方が少なかった。
その度にロアが魔法を使って精神を落ち着けさせるか、深い眠りに落とし、悪夢で寝るのが怖いと子供のように泣くアルスマを抱き締めてあやしては、注射を射ったり、薬を混ぜた食事をとらせた。
部屋には魔法も物理も音も防ぐ結界を張り、アルスマを外に出さないようにした。同時に、ロアも体力の限界で休む時以外は付きっきりで、甲斐甲斐しく世話を焼いた。
ジェナスにエリー、セオルドとカレンティーナ夫妻に、カインとクリス、ルースも時間が空いた時は少しでもロアを休ませようと看護を代わった。
その時はロアがアルスマを深く眠らせて、交代する。その度に誰もが思うのは、アルスマと二人きりの空間でよく気が狂う事なく、正気を保って根気強く付き合っているという事。
吐瀉物や排泄の世話もして、賢者と呼ばれたのが嘘のように話の通じない獣に唸られ、噛じられ、引っ掛かれ、突如苦しみだして暴力を振るわれ、快楽を求めるように体をまさぐられ、泣かれ、すがるような目で見つめられ、魔法で襲撃される。
たまに交代しようと部屋に入ると、そんな場面に出くわす。その都度、ロアが遠慮なくアルスマをぶっ飛ばしては、意識を刈り取って強制的に休ませていた。
交代してもアルスマが目覚めて暴れて襲えば、すぐにロアが呼び戻される。そんな日々が続き、日毎にロアが衰弱していった。
健康だったロアの体は痩せ細り、眼窩が落ち窪んで隈が張り付き、生気を失ったように顔は青白く、肌と髪は張りも艶も無くなり、顔にも腕にも足にも、服で見えない胴体にも包帯が巻かれ、自分で薬を塗っていたようだった。
みみず腫や引っ掻き傷、爪痕や打撲痕はあまりの多さに処置もせず、少ないが歯形や唇の痕も隠す気力もなく、看病に入った二週間目は酷い有り様だった。
それでも漆黒の目だけは諦めるどころか、負けるものかとギラつき、嘆く事も憤る事もなく、師の世話をした。
どうしてもロアにしか出来ない魔法師長の仕事も眠るアルスマの傍でこなして、外せない会議には窶れた姿を隠すように、クーデリカの姿を纏って出席。時折、呼び出されてはアルスマの元へ向かい、戻ってくる。
ロアは誰にも弱音を吐かなかった。
「眠いー、疲れたー、正気に戻ったら師匠を絞めてやる」等と、空元気を周囲に見せても、「もう厭だ、辞める」とは口にしなかった。
それどころか、なるべく自分以外がアルスマに近づかないで済むようにした。
二月も終わりに近づいた看護三週間目。
少しずつアルスマの症状も安定し、それでも突然凶暴化したり体をのたうち回らせる事があっても、とろとろと微睡みぼんやりする事が増えた頃、事件は起こった。
用があっても返事がなければ入室してはいけない。魔法師長に用がある際は、エリーかロアを必ず通すように言い含められていたのに、新入りのメイドが魔法師長の居室、そこから寝室に入り込んだのだ。
本来ならロアを休ませて代わりにジェナスとカインが付く予定だったのだが、部屋で合流する筈の二人が急用で呼び止められ、互いにクリスやルースに代理を頼んだ連絡が行き違い、診察した疲労が溜まったオルガが鍵を掛け忘れた時に、折悪しく二人の若いメイドが魔法師長に用があると部屋を訪ねた。
そして寝室で眠る傾国の美人を見つけ、吸い寄せられるようにふらふらと近づいたのだ。
すると、いつもと違う気配を感じたのか運悪くアルスマが目を覚まし、怯えて暴れた。
異常を感知したらロアに知らせがいく結界は正常に作動し、ロアが魔法で移動すると、怯える師を二人がかりで押さえつけるメイドたち━━ロアの逆鱗に触れた。
丁度連絡を受けたルースとクリスが慌てて部屋に駆け込むと、床に転がり伸びるメイド二人が視界に入った。
次に、窶れた姿に鬼気迫る表情と相まって、悪魔も裸足で逃げ出しそうな迫力のロアと、震えながらも弟子に抱きついて止めるアルスマの姿。
アルスマは怯えたように気絶したメイドを見て、ロアに隠れるようにぎゅうっと抱きついていた。
ルースとクリスは瞬時に何があったのか把握した。
疲労困憊で精神が危うかったロアに突如落とされた爆弾。
ぶっ飛ばす、とロアが激怒するのも無理はない。それをどうにか宥めて、幼子のように小刻みに揺れて抱きつくアルスマに我に返ったロアが、嘆息して師を慰め始めた。
アルスマは安全圏とばかりにベッドへとロアを引っ張り、自分はガタガタ震えながら布団を被って、ベッドに座るロアの腰に再度両腕を回して丸まった。どうやらロアを自分を守ってくれる人と認識しているらしい。
明らかに病人のような青い顔で休めなかったロアは、それでもアルスマを布団の上から撫でて「大丈夫です」と声を掛け続けた。その間に、遅れてやって来たカインとジェナスに起きた事を話し、顔色をなくす二人にメイドたちを記憶を操作する魔法師の元に連れていかせた。
暫くすれば震えが止んで、白い布団を被った大福のような塊から寝息が聞こえた。ロアがぐったりとした。
「ロア」とルースが声を掛ければ、ロアは静かに首を横に振った。もう、いい、と。疲れ過ぎて何かを諦めたように。
「もう誰も近づかないで下さい。師匠は男に怯えて、エリーだと襲って。セオおじさまとティーナおばさまには暴れる。結局休めないのなら、もうここで一緒に休むようにします。幸いというか、私だと安心するようなので」
「それでもまだまだ暴れるでしょう。あなただって押し倒されているのに、無防備に横で寝ていたら」
「私が寝ている間は、師匠も強制的に動けないようにします。それに多分、この人は最後まで私を襲ったりしないんじゃないかと思います」
「何ですかその根拠のない憶測は」
「勘です」
眉間に皺を刻むクリスに、億劫そうにロアが返す。深く深くロアが息を吐き出した。
「ああもう、マジムカつく。あのバカ女ども。余計な手間を取らせやがって。はっ倒しておけばよかった」
顔を両手で覆って、苛立たしげにロアが呟く。本当に女性にも容赦なかった。
「ロア…」
「大丈夫です、陛下。良くなってきているんです。もうすぐ完全に薬も抜けますから。そして正気に戻った師匠を虐め倒して、一生こき使います」
「………」
どうしてそこまで面倒を看る?
そんな質問が喉まできて、出かかった。きっとクリスもカインもジェナスも、エリーや先王夫妻も思っている。
俯いて黙ると、軽やかな声がした。
「安心して、ロア。わたくしが見守っておくわ。何かあったら、あなたを叩き起こすから」
「クー。君、寝てたんじゃ」
「騒がしくて起きたのよ。ロア、あなたはもう限界だわ。休んで」
ベッドの上に現れた小さな半透明姿のクーデリカ。彼女の言葉に従うように、ロアが上半身をベッドに倒して目蓋を閉ざした。
「クーデリカ」
「大丈夫よ、ルース。少し休めばロアも復活するわ。きっとアルスマもね。そうしたら、また前みたいに戻れるわ。ロアが大人しいのなんて今だけよ? あなたたちは、しっかり自分の仕事をしておいて。ロアたちが作ってくれた機会を無駄にしない為にも」
その言葉に、誰よりも巻き込んだと自責の念に駆られるクーデリカに、ルースとクリスは首肯を返した。
***
二週間前のそれを最後に、ロアは食事を運ぶエリーやロアがどうしても休むという時と仕事以外、他との係わりを絶った。それ以外は常にアルスマがロアを占有している。
思い出したルースは息を吐き出して、心を落ち着けた。
アルスマの容態は大体落ち着いて、意識がはっきりとし、正気に戻る事が増えてきた。時々、ロア特製の魔力を織り混ぜたお菓子を食べられるくらいに回復しているらしい。
ロアの傷も減り、少しは休めるようになったのか顔色も戻ってきている。それでもまだ時折、激しく暴れてはロアが精神を落ち着かせる癒しの光魔法を使い、闇魔法で安らぎの眠りに誘うとの報告を受けていた。
オルガの見立てでは、もう少し様子を見て、暴れなくなれば一先ずは大丈夫だろうという事だった。再発の可能性もあるから予断は許さないとも。
帝国との内々の交渉は順調で、ルシン国とサヘル国も同盟を確約する打診が届いている。それも全てロアやアルスマの協力があってこそ得られたものだった。
未だに弱音を吐かないロア。
それでも、ルースは前みたいにこっそり泣いている気がしていた。己を責めて、師に謝罪しながら。辛いと我慢しているように思えてならない。
昨日からアルスマが荒れているそうで、エリーも時々ロアと交代していたジェナスも立ち入り禁止にされてしまった。クリスとカインが呼び掛けても、部屋には入れないらしい。それどころか、誰も入るなと命令された。
それで仕事を終わらせたルースは、さすがに心配になり、自室を抜け出してロアの部屋へと向かっていた。
ロアの命令を無視出来るのは、ルースと先王夫妻と母親のクレアだけ。
ロアに命令して従わせる事が出来るのは、直に忠誠を貰ったルースのみ。
ドアをノックしても返事がないので、ルースは暫く待ってからそっと部屋に入った。
アルスマはすっかりロアのベッドを占拠して静かに眠り、ベッド横の椅子に座っていたロアは、マットレスに右腕を枕にして、右頬を腕にくっつけて寝ていた。熟睡しているようで、ルースが近づいても目を覚まさない。
白い顔には疲労の色が濃かった。ふと首筋が目に入る。薄くなった歯形と唇の痕。袖がめくれた左腕には爪痕と引っ掻き傷に、歯形と内出血の痕と白い包帯。だが、以前に比べて、傷が格段に減っていた。
痛ましげにそれらを見てから、どうしても首筋の痕に目がいく。少し前は左側についていた。鎖骨の近くに見かけた事もある。でも見つけたのは、その三回と三ヶ所だけで、他には細かな傷があるだけだ。
ルースは吸い寄せられるように、歯形の傍にあるその痕に口づけた。ロアが微かに身動ぐ。そのまま歯形を辿り、光魔法で元から薄かった歯形と唇の痕を消した。
満足していると、小さな足音と人の気配がした。ルースはロアから離れてドアを注視した。
ノック音がして、入ってきたのはジェナス、クリス、カインだった。向けられた三人の目にルースは首を横に振った。
「…ん」
騒がしい気配を感じたのか、ロアがぼんやりと目を開けて体を起こした。それからルースとドア傍にいる三人を見て、嘆息した。
「何かご用ですか? 近づかないように言っておいた筈ですよ」
「アルの具合はどうだ?」
「落ち着いてます。最近はまともに話せるようになりました。三、四日に一度は暴れたり、錯乱しますけど。治ってきてますよ。それより、陛下。落ち着いていても危険なので」
「俺はその命令に従わなくていいだろ」
ロアが眉根を寄せて、黙った。
「落ち着いてきたのなら、せめてジェナスとは交代して休むようにしろ、ロア。命令だ」
「………畏まりました、我が君」
明らかに納得のいかない表情で、軽く頭を下げるロア。不敬な態度だが、ルースは笑って許した。ふと、ロアの後ろで動く気配がした。ロアも気づいて振り向き、手を取られてベッドの上に引き倒された。虚ろな目でアルスマがロアの首を絞める。
ルースたちが反応するが、ロアが苦悶に顔を歪めながらも、片手をあげて制したので、動きを止めた。ロアは慣れたようにアルスマの脇腹に拳を叩き込んだ。腹を抱えて丸まったアルスマの拘束から抜け出し、上半身を起こしたロアが咳き込む。
ロアがアルスマに視線を向けると、再度押し倒されて首筋に顔が埋められた。アルスマの手が体の線をなぞるように動きかけて、ロアに両手を掴まれた。
「師匠、いい加減にしてください。このアホ師匠、…師匠っ!」
「ロア、無駄…」
「師匠、これがあなたの望みですか?」
ジェナスを無視して、ロアが静かに問いかけた。掴んでいた手を離して、ぐいっと顔を上げさせた。両手で頬を掴んで正面から目を合わせた。
「後悔するのは師匠のくせに」
ロアと茫洋とした金の目を合わせていたアルスマの双眸に、意思の光が宿った。
「………ロア…?」
「そうですよ。やっとお目覚めですか?」
アルスマが押し倒している状況に我に返って、胸元がはだけたロアの上から退いた。正座して恥じ入るように、両手で顔を覆った。
ロアが体を起こして、呆れたように師を見やる。
アルスマがチラチラと、ついたばかりの生々しい赤い唇の痕を見て、懺悔するように体を前に倒した。
「ロア、その、ぼくは……きみを…」
「今更ですか? 散々、セクハラしまくっておいて」
「━━っ!!」
「大丈夫です。少し触られて噛みつかれたり、痕つけられただけです」
「ぼくが言うことじゃないけど、淡々としすぎじゃない!? もっと何かこう…あるでしょ!? 恥じらいとかっ!?」
アルスマの叫びに、やり取りの一部始終を目撃していた男性陣が思わず頷いた。
「どうせ覚えてない師匠に責任とって貰おうだなんて思ってませんよ。朦朧とした病人のした事を怒ったりする程、狭量でもありません」
「でも…そんな事をして、記憶がないのに責任も取らないのは……」
アルスマが落ち込んで、沈思した。それから決然と顔を上げる。
「やっぱりぼくが責任を取って結婚を…」
「━━はぁ?」
物凄いドスを利かせた低い声で、バカを言うなとロアが睨んだ。びくり、と男性陣が震えた。
「冗談じゃないですよ。何で私が師匠と結婚して面倒看なくちゃいけないんですか。まだ寝惚けてるんですかバカ言わないで下さい。そんなん願い下げです」
滔々と冷ややかな眼差し付きで捲し立てられて、アルスマの方が泣きそうになる。
「そこまで拒絶する!? いや、だってぼくは」
「マークはつけられましたけど、キスもされてませんよ。多少触られても全部セクハラの範囲内です。そんなんで結婚されちゃ私が迷惑です。新手の嫌がらせですか、効果抜群ですけど」
覚えてないが、本当に酷い事をしていたわけではないと、嘘をつかない弟子を信頼してホッとするアルスマに、ロアが息を吐いた。
「安心して下さい。師匠も本能で解ってたんですよ━━私に手を出したら地獄を見るって」
アルスマを含め、聞いていたルースたちも何とも言えない表情になる。
「うん…そうだとは思うけど、何か……。……本当に、何もしてない?」
アルスマがちらりと首筋のキスマークを見る。ロアはいつも通り淡々と。
「首だけですよ。首への口付けは執着。師匠が私にどれだけしつこく執着しているかはイヤというほど解ってます。本当にイヤというほど」
「二回繰り返さなくてもいいよ! 何できみは復活したばかりのぼくに精神攻撃してくるんだい!?」
「気のせいです。被害妄想ですよ。私は事実を言っただけですから。それと、師匠に物凄く愛されている事も知ってます。だから本能で無意識にブレーキをかけたんでしょ。手を出して一線を越えて、私と母から嫌われないように」
自然にさらりと言われて、アルスマや他の面々が赤面した。
気持ち悪いものを見るようなロアの眼差しが突き刺さる。
「………何でそこで赤くなる」
「何できみは赤くならないかな!? 恥ずかしげもなくよく言えたね!? 」
「ただの事実に何を恥ずかしがるんです?」
「確かにきみの自惚れじゃなくて、その通りだけどっ」
不思議そうな顔のロア。曇りのない澄んだ黒曜石のような瞳。
うっ、とアルスマが戸惑い、ますます頬を紅潮させた。降参したように腕で顔を隠すようにして、目どころか顔ごと逸らす。
ジェナスが「あんなに赤くなる師匠初めて見た」と呆然と呟いた。色気の大安売りに、ジェナスですら落ち着かず、妙に胸が騒いだ。
「お願いだから、今スグ恥じらいを持ってきて!?」
「イヤですよ。気持ち悪い」
「気持ち悪い!?」
「あ、間違えた。面倒臭い」
「面倒クサイとかそういう問題じゃないでしょ、ロアっ!? って、本当にどうでも良さそうだね!?」
「どーでもいーですからね。私が恥じらって何の需要がありますか。誰得ですか」
鼻で嗤うロアに、アルスマは内心で、見てみたかったと残念そうに俯いた。
「……それは、女の子としてどうかと思うよ?」
「へー」
「興味がないのはよく解ったよ!」
「師匠、気色悪いです」
「言いそうだと思ったけど、本当に言われた!」
疲れたように項垂れて、嘆息した。それから、目眩がしてアルスマがふらつく。ロアが反応して、眉間に皺を刻んだ。
「師匠、もう休んでください。良くなっているのは解りましたから。無理をすれば、それだけ床上げが遅れますよ」
アルスマが多少呼吸を乱しながら、緩く頭を振った。ロアが甲斐甲斐しく背をさすりながら、前屈みに丸まるアルスマを気遣うように見た。
「本調子じゃない筈です。体力も戻ってません。今は周りの事は何も考えず、休んでください。回復が遅れればその分、母に会えるのが遅くなりますよ」
「クレアさんは元気かい? ……ぼくの事は」
「知らせてません。だから、とっとと良くなってください」
「良かった。こんな無様な姿見せられないから……。それにしても、ふふっ…きみがそんなに優しいのは珍しいね」
苦しそうにアルスマが笑った。
「病人に目くじらたてませんよ。言いたい事は山程ありますけれど。本当に、物凄く。治ったら覚悟しておいてください。私、怒ってますからね」
笑顔のロアにアルスマが震えた。アルスマを案じて近寄ろうとしたジェナス、クリスが踏み出した足を止めて、戻した。気にせず、ルースが踏み出して、ベッド傍に立つ。
「迷惑を掛けたね、ルース。取引は順調かい?」
「……あなたが残してくれた情報のお陰で」
「さすがロア。きちんと回収してくれたんだね。助けに来てくれてありがとう。でも、もう大丈夫だから、きみは自分の仕事に戻りなさい」
アルスマがロアの手を取って離した。名残惜しげにアルスマの手が宙に留まり、握って自分の方へと引き戻した。
ロアが手を伸ばして、怯えたように強ばったアルスマ。ロアは気にせず、ぐいっと顔を上げさせて目を合わせた。
「……何を気にしてるんですか。いつもうざいくらいに付きまとってくるのに、ナニ触るのを躊躇ってるんですか。自分が汚いとでも思ってるんですか」
図星をさされたアルスマが息を呑んで、目を逸らした。
ロアが顔を向けさせていた両手を頬から離して、アルスマが傷ついた顔をした。その頬をロアが、パンッ、と再び両手で挟む。
アルスマが驚いたように、目を見開いた。
「今更です。師匠が汚いのなんて」
「「「「えっ?」」」」
カインたちが目を丸くした。
「幼い頃、どれだけ爛れた関係を見させられて、世話を焼かされたと思ってるんですか。そんな事で今更、幻滅するわけないでしょう。とっくに幻滅して底辺です」
断言したロアに、「いやお前、ナニ言っちゃってんの」とジェナスが唖然とし、カインも呆気に取られながら「ここで言うなんて鬼だな」と青ざめた顔になる。クリスは笑いを堪えて壁を向いていた。
「……ロア? ここはぼくの言葉を否定してくれる所じゃ」
「嘘つき。汚くないてなんて言って欲しくないくせに」
苦い顔をしたロアの言葉に、アルスマが瞠目した。
「いちいち怯えたように確認するのやめてくれますか? 別に師匠が触ったからって私も母も汚れませんよ。母だって、師匠の事を知ってますけど、嫌がって避けたりしてないでしょ」
「………」
「それに今回のは、私の責任でもあります。無理させて、ごめんなさい。それと、ありがとうございましたっ!」
「いや、それ感謝してねぇよな。怒って不機嫌だよな」
睨んで荒々しく言ったロアに、思わずジェナスが突っ込んだ。
「当たり前でしょ。わざと掴まったんだから!」
ロアがジェナスも睨む。聞いたジェナスから表情が抜け落ちて、冷ややかな空気でアルスマを突き刺すように見た。
「どこかおかしいと思ったら、やっぱりそういう事ですか、師匠? 誤魔化しても無駄ですよ、ロアが師匠の記憶と思考を既に読んでますから」
「もっと決定的な証拠を掴もうと、敵の懐に飛び込んだ挙げ句、気を失っている間に予想よりたくさん強い薬を注射されて、動けなくなって意識を保てなくて、相手にされるがままってバカですか!?」
「そういう落ちですか。マジでナニやってんです、お師匠。それであんな醜態晒して動けないで、監禁人形やってたとか、ふざけてます?」
賢者の一族の長を遠慮なく扱き下ろす弟子二人。呆けるアルスマが、不意に嬉しげに笑った。それを見て、ますます眉間に皺を刻んで眉を吊り上げる姉弟弟子。
「バカなんですか!? このアホ師匠っ! いくら中和剤飲んでいたって、絶対じゃないんですよ!? 私たちに心配して欲しい? するに決まっているでしょ。わかっていてやるから余計に腹立たしい!」
「ナニを笑ってるんですか。トチ狂いましたか、色ボケ師匠。どんだけ俺らが神経すり減らしたと思ってんです? マジムカつく。わざと捕まったんなら、放っておけば良かった。今から戻してきますから自力で脱出してきてください」
ルースたちが目を丸くして、珍しい光景に見入った。
アルスマが苦笑する。
「悪かったよ。クアドルが綺麗なものが好きって聞いたから、ある程度いけるかなと思っていたんだけど、まさかあそこまで強い物をやられるとはね。強制的に廃人になるところだったよ。でも、きっと助けに来てくれるから大丈夫かなって思って」
ロアとジェナスが目を逸らして、盛大に舌打ちした。「マジ腹立つ」や、「フザケンナこの野郎」と呪いを込めて呟いている。
アルスマの言う通りになった事が、より腹立たしさを感じさせているようだ。
にこにこ見守っていたアルスマだが、不意に表情を曇らせた。
「ところでロア、ジェナスがさっき言っていた、ぼくの記憶と思考を読んだって……まさか、追体験したのかい? だから、そんなに憔悴して……。もしかしなくとも、やっぱりぼくにずっと付きっきりだっんだね」
「……師匠が離してくれなかったんですよ。無駄に色気振り撒いて、人間捕獲するから」
ロアがそっぽ向いて、告げる。不機嫌を装っているが、嘘もつけずに別の話にすり替えている事に、アルスマは気づいていた。
「師匠の面倒なんて散々看てきたんで、落ち込まなくていーですから、さっさと寝てください。この様子ならもう大丈夫そうなので、私もジェナスや他の人と交代するようにします。陛下もそれでいいでしょう。私を休ませるのが目的でご足労いただいたようですし。他の方も戻って休んでください」
誰にも口を挟ませず、撤収と言わんばかりにパンパンと手を叩いて、休息と退室を促すロア。
急き立てられて当惑しつつも、カインとクリスがドアへ足を向け、ドアを開けた。ジェナスも踵を返しかけて、ベッドの上で向かい合って座ったままだったアルスマがロアを腕に納めるのを見て、動きを止めた。ルースも固まったまま動かない。
「━━バカだね、ロア」
「は?」
「それは戒めか自分への罰って事かい? ぼくの記憶の追体験って、きみに相当負担がかかったよね。痛みも混乱も苦痛も全部……あんな醜い世界を見て、ぼくに付き合うなんてしなくて良かったのに……。その傷もぼくがつけたものなんだね? 治せるのに何で治さないかな……。バカでしょ、本当に……。どうせ、自分の責任だからとか理由をつけて、そうしたんでしょ。ぼくが全部自己責任でした事の結果なんだから、そんな事する必要も、自分を罰して責任を感じる必要もないのに」
アルスマがぎゅうと抱き締める。それから少し離れて、辛そうに顔を合わせた。
「きみのそんな姿を見せられる方が傷つくよ。周りも心配するから、やめて。記憶はもうどうしようもないけど、早く忘れて傷も治療して欲しい。━━いいね、ロア?」
「……」
「ロア、返事は?」
「………」
「……本当にきみは、真面目で頑固で律儀だね。ありがとう、ロア。あんな醜悪な記憶を知っても、ぼくに変わらず接してくれただけで充分だよ。僕も含めて、周りの大人はきみには甘えてばかりだ……」
「……自覚があるなら、直してください。それに今だけですよ。元気になったら、お説教です。私の仕事、手伝って貰いますから」
「それは、怖いね。……もう、情報収集はいいのかい?」
「充分です。お疲れさまでした。師匠、ありがとうございました」
アルスマが喜びも露に満面の笑顔を浮かべた。嘆息したロアが、「もう寝てください」と引き剥がそうとする。
幼子のように、アルスマがいやいやと首を振って、ますます抱き締めようとした。
ルースとジェナスがどうしたものか、と顔を見合わせる。クリスとカインは既に退室していた。
ロアが過激になる前に、病人を休ませなければ。二人が目で会話して頷きあい、前を見て刮目する。
ロアがあやすように、アルスマの背に手を回して、撫でていた。手がかかる弟みたいな師に、仕方ないというように、ロアは一つ吐息した。
「……怖いんですか? まだ悪夢に魘されますか?」
「……少しね」
「はぁ。子供ですか。大丈夫ですよ、傍にいますから」
「ははっ。本当にきみらしくなくて、後が少し怖いね」
「安心して下さい。後でバッチリきっちり働いて貰いますから」
「いや、それ逆に不安で眠れないよね!?」
「はいはい」
ロアが頭を撫でて、ついでに魔法を発動させた。
「ちょ、ロア。たくさん寝たからまだ眠くないって」
「師匠、抵抗しないでくれますか。いいから寝ろ」
「わ、解ったから。休むから、代わりに約束して」
「何ですか」
「次に目を覚ます時までに、傷を治して。いつもの元気な姿を見せてね」
「……わかりました」
アルスマがほっと力を抜くと、目蓋が下がり始めた。
ロアが闇魔法を行使しながら頭を撫でて、眠るように促す。
「悪夢は見ません。きっと楽しい夢ですよ」
「うん……ロア、あれやって。クレアさんが幼いきみによくしていたおまじない…」
「………はぁ。いいですよ、こうなったら大きな子供と思う事にします。ついでに子守歌も歌ってあげましょうか」
とろとろと微睡むアルスマがうん、と頷いてロアの肩に額を当てた。拍子をとるようにその背をゆっくり叩きながら、聞いた覚えのある旋律がジェナスとルースの耳に届いた。
ファウス国の誰もが知る子守歌。優しい歌声を聞きながら、すっかり安心したように目を閉じるアルスマを、そっと膝枕に寝かせて、髪を梳きながら見る目は慈愛に満ちていて、さながら宗教画のようだ。
呼吸が寝息に変わり始め、ロアはそっとアルスマの額にかかる髪をよける。そこに軽く口付けた。
「お休みなさい師匠、よい夢を」
そのまま光魔法を発動させて、自身の体に治癒を、アルスマにいい夢を見られるようにした。
ロアが息を吐き、離れてベッド横に立っていたジェナスとルースに目を向けて、一言。
「ジェナス。私動けないから、仕事あったらここに運んで」
いたって平常通り。
ジェナスもぼんやりした表情で「わかった」と普通にやり取りした。そこに、かつかつと荒い足音が二つ。部屋に向かってくるのが聞こえた。ロアとジェナスが目を合わせる。勢いよくドアが開けられる前に、ジェナスがさっと内側に引いて、ドアノブを掴んでいたカインが引っ張られるように入室した。
カインが声をあげようとした顔面へ、ロアが投げた枕がぶつかった。そこにクリスも入室して部屋を見回し、息を一つ吐いた。
ドアが閉められる。
ジェナスがカインの口を押さえて、声をかけた。
「静かに。今漸く寝たところなんだ」
カインがロアの膝を枕に眠るアルスマを見て、黙った。クリスが珍しいと不思議そうにロアと眠るアルスマを見た。
「……何かありましたか? 二人がいなかったので、慌てて戻ってきたのですが。……また、襲われましたか? その割にはとても、優しくして甘やかしているようですが」
「何もないよ。早く師匠を治して、魔法師の研究を手伝わせようと考えていただけ」
「……既に次に働かせる算段とは……容赦ないですね、ロア」
「知っていたが、鬼だな。……でも、大丈夫なのか? その、……男にも襲われて……恐怖というか、怯えて…。女も男も苦手になって、近寄るのも苦痛じゃ……」
カインが自分の時を思い出したのか、血の気の引いた顔で痛ましげにアルスマを見やった。男性陣も微妙な顔になるが、ロアはあっけらかんと「大丈夫だよ」と答えた。
拍子抜けした四人に、美貌の宰相が反応した。
「そんなっ、いくら老若男女に襲われ慣れていても、薬でおかしくなっていたとはいえ、最後までされた本人はきついと」
「━━あぁ、そっか。知らないのか」
「はい?」
「師匠、男同士での経験あるよ。大分前に」
ロアの一言に、自分の耳を疑うクリスとカイン。ジェナスも寝耳に水だったようでポカンと口を開き、ルースも頭を押さえて、目を白黒させていた。答えを求めるように目を向けられたロアは師の頭を撫でながら、「騒がないでよ」と前置きする。
受けた衝撃があまりに大きくて、色々と精神を突き抜けた四人は、呆然と首肯した。
「元から無理矢理襲われた事はあったけど、男同士での経験の最初は、私やジェナスに会う前に済ませていたみたい。賢者の知りたい好奇心で、お互いが十代後半頃に、納得して中性的な美人とって言ってたかな。その後も二回別の人としたけど、でもやっぱり女性の方がいいって言ってた」
「「「「…………」」」」
「でも納得していない男の人とは初めてだから、薬で錯乱、幼児返りもしていて、看病をするジェナスたちにも怯えてたんでしょ。今回の旅に出る前は、この城でおっさんたちが寄ってきても別に普通だったと思うし、起きたらいつもの成長したアルスマ・カルマンとして対応できるよ」
「……ロア、その話いつ聞いた? お師匠からか?」
「そうだよ。六歳の時にポロっと軽く聞いて、その時は意味が解らなかったけど、手紙のやり取りで十歳の時かな。どこぞの太った男に襲われて危なかったらしくて、愚痴を綴ってきた時に、経験は何度かあるけど、アレはない嫌だって嫌悪してたから━━ナニ?」
「正気ですか。好奇心で知りたいからって……というか、そんな事を子供に聞かせる方も方ですよ!」
「受け入れて流す奴も大概だけどな」
「師匠もおかしいけど、何だよその子供。普通に怖いわ」
「……」
コメントを差し控えたルース以外の三人が、面妖だとロアを見た。
「あんな爛れた生活を世話させられて、今更それが増えたところで特にナニもないよ。本当にダメなヤツの見本だなとは思ったけど」
「そのお師匠のお陰でお前の精神は鍛えられたのか。俺の家に住み込んで貰わなくて、マジ良かった。にしても、受け入れすぎだろ」
「ジェナス。『有り得ない事はない。どんなに夢や空論、非現実的でも現実に起こった事象は起こった時点で、夢ではなくてただの現実になる。固定観念に囚われてはいけない。まずは起こりうるものとして━━』」
「あらゆる方法を考え、柔軟でいなさい…か。師匠が最初に何度も言って教えてくれた……」
ロアが良くできましたと微かに笑んで、首肯した。それから、ロアがクリスとカインに優しい目を向けた。
「そんなわけで、私はお二人の関係に理解がある方だから、遠慮なくくっついてくれて大丈夫━━」
「悍しい事を言わないで下さいっ」
「無理。あり得ないから。やっと収まってきたその噂を蒸し返すのは止めろ」
切実な訴えに、ロアは「照れちゃって」とわざとらしく生暖かく微笑む。クリスとカインにぞわっと悪寒が走って、腕や首の後ろをさすった。
いつものロアだと、ジェナスが内心で安堵した。
「それはさておき。ジェナスも陛下も二人が戻ってきた事ですし、そろそろ戻って休まれては?」
ロアの言葉にジェナスが頷くと、控えめなノック音に続いて、エリーが入室してきた。揃っている一同に、強ばった蒼白い顔で口を開いた。
「こんな時分に申し訳ございません。陛下、ロア様。向こうから連絡がございました。折衝からも同様の報告が届いているので、間違いないかと思われます。第二大臣様より急ぎ話し合いを、と主だった方々に召集がかかっております」
エリーが震える声で、不安げに両手を握りしめながら言った。
「帝国が攻撃準備を整えて、雪解けが始まった国境のザンルキ連峰のザルサ大平原に集っているとの事です」
解っていた事とはいえ、全員が息を飲んで、ベッドで師の看病をする黒髪の娘に視線を向けた。
エリーがクローゼットから薄紫のショールを出して、首回りが寒々しいロアの肩にかけてやる。「ありがとう、エリー」と、ロアが微笑んで「そっか」とすっかり夜明けが早くなり、山の端が白み、藍色の空が見える窓へと目を向けた。
「最終決戦だね」
ポツリと呟いて、ロアは仮面のような笑顔を貼り付けた。
「話し合いは今すぐ?」
「いえ、朝の七時に第二小会議室でと。……まだ、四時間近くあります。少しお休み下さい、ロア様。後で着替えの手伝いに参ります」
「ありがとう、エリー。そんな顔しないで。魔法師長になる時から予想していた事だから。むしろ今回は密約がある分、気が楽だよ。陛下、ありがとうございます━━最後の舞台、必ず成功させてみせます」
魔法師長として、ロアはいつも周りに見せていた強気な笑みを浮かべた。見慣れた姿に、安心する。
ルースも本当の表情を隠して、笑んだ。
「━━ああ、頼んだ。魔法師長」
ロアは「お任せください」と答え、早めに休もうとロアを残して、全員が退室した。
***
寒さでロアは目を覚ました。ソファーから起き上がって、ベッドで寝ている師を見てほっと息を吐く。
窓を見ると、白藍の空が見えた。白くけぶる空気が暁の光を弱めている。ロアは窓を開けようと近づき、アルスマがいる事を思い出して不可侵の結界を張ると、そっと部屋を抜け出した。
大きな魔力の使い方や微細な操作調節も、すっかり手慣れたものだ。
久々の外の空気は冷たくて、ロアのぼんやりした頭をはっきりさせてくれた。師の看護をするようになってからは初めて出る散歩だ。
春の花が咲き始めた庭園に出て、ロアは冷んやりした空気を肺に吸い込んだ。まだまだ固いが、しっかり膨らんだ蕾を眺めながら、庭の奥へと歩を進めた。
池の畔に出て、ショールの胸元をかき合わせた。
見ると、寝巻きではないが、質素な灰色のワンピース。それも首回りの生地が、ぶかぶかになるほど伸びていた。留めていた釦も二つ弾け飛んでいて、本来なら隠れていた鎖骨もその少し下の肌まで露になっていた。今更ながら冷静になると、随分と淑女にあるまじき姿でここまで来てしまった。誰とも鉢合わせしなくて良かったとロアは思う。
ロアは池の畔にしゃがんで、揺れる水面を見ながら深く息を吐いた。三月も半ばを過ぎ、後二週間も経たずに四月に変わる。
ロアの予想では四月になる前、三月の終わり頃に、イオニス帝国の軍勢と相対するはずだ。
それを考えると、頭も胃も痛い。
最終決戦。これが上手くいけば、ロアの役目もすぐに終わる。解放されるのだ。ないとは思うが、失敗も負けも許されない。それを思うと不安になって緊張し、深い溜め息も出るというものだ。周りに心配させない為に、そんな姿は見せられないが。
「ロア?」
かけられた声に思わず、びくりと体が震えた。
すかさず丸めていた背筋を伸ばして立ち上がり、淑女らしく洗練された動きで優雅に、慣れた笑顔の仮面を貼りつけながら振り返った。とても内心で動揺しているようには見えない。
「……相変わらず、見事な仮面だな」
「…お早うございます、陛下。お褒めに与り光栄ですわ」
ルースに差し出された手を見て、当惑しつつも自分の手を重ねた。こういう仕草に、ルースも自分もすっかり慣れたものだと思いながら。
歩くルースにリードされるまま、ロアは東屋に入った。少しだけ寒さが和らぐ。
「泣いていたのか?」
「泣いてません。もうすぐここでの実力の伴わない偽りの生活も終わりだなと、事後処理の段取りを考えていただけです」
ルースが冷えた座席に座り、手を軽く引かれたロアは隣に座ろうとして、膝の上に座らされた。見上げると近くにある顔に、慌てて離れようと立ち上がりかけて、しっかり抱き込まれて下手に動けなくなっている事に気づいた。捕まったロアは観念するが、抗議する事も忘れない。
「誰かに見られたら誤解されるので、早く離してください。これから話し合いもあるので、部屋に戻らないと。女の支度には手間がかかりますし、手伝ってくれるエリーを待たせたら申し訳ないですから」
「その格好でここに座るのは寒いだろうという親切心だ。決戦前に大事な体に何かあったら大変だろ」
抱き締められたロアは、諦めて嘆息した。大人しくぬくぬくと暖かさを堪能する。仮面が外れて、僅かに甘えてくれるロアにルースはほっとした。
寄りかかるロアの黒髪を撫でながら、首についた赤い唇の痕に気づいて、ルースの心がざわついた。つい手を伸ばして触れ、親指の腹で消えないか擦る。
くすぐったそうにしたロアが何度も擦られて、気づいたように頬を染めた。寒さだけのせいではないだろう。
それが面白くなくて、先程のアルスマの諸々を思い出して、ルースはムッとした。顔をロアの肩口に近づけ、冷たい唇で触れると、ロアが目を見開いた。あんぐりと口を開けて呆け、赤くなる顔を隠そうと俯き、ルースから距離をとろうとしたが、右肩と右の腰に回った手に捕まえられて逃げられなかった。
「セクハラですよ、陛下。流石に屋外で、コレはまずいでしょう。私が陛下をタブらかして誘惑する悪女になります。無二の忠誠をそう言われるのは嫌ですよ!」
「俺や周りを振り回す才能があるから、充分悪女になれると思うぞ。可愛い嫉妬だから、大目に見てくれ」
「いやいやいや。そういう問題ではないですよね。被後見人に手を出す陛下の評判も悪くなりますから」
「つまり同意なら問題ないと」
「そんな事は申してません。ナニ都合よく解釈して正当化しようとしてんですか」
ロアが怒っていると目を三角にすると、ルースに頭を撫でられた。子供というかペットのような扱いにムッとしつつ、黙ってそのままでいると、ルースが笑った。
「アルとは別の意味で執着しているからな。困らせるつもりは少しあった」
「何の宣言ですか」
「ロア、三人で無事に戻ってきてくれて、ありがとうな。流石は俺に仕えてくれる魔法師長だ。いつもたくさん助けられて、支えてもらっている。よくやった。見事なものだな」
褒められたロアが、気分を良くして口許を緩めた。
「だから心配するな。少し失敗しても何とか出来る。今までで一番大きな舞台だが、やることは茶番劇だ。出来レースだ。気負う事なんか一つもないだろ。これまでで茶番劇には慣れてんだから」
ロアは大きく息を吐き出して、苦笑した。成功させなければとガチガチに固まった体から、余分な力が抜ける。
ルースの言った通りだ。
本来なら密約がない中、どうにか圧倒的な力を見せつけて戦意を削り取り、精一杯脅して、停戦へと持ち込まなければいけなかった。停戦が決まっているのだから、後は当初の予定通り派手にこの舞台を締め括るだけだ。
「……そうでしたね。相手のトラウマになるくらい戦意喪失させて、二度とちょっかい出す気がなくなるように完膚なきまでに叩き潰すだけですよね」
「……似たようなものだからそれでいい」
ルースがあっさり許可を出した。思わずロアが噴き出す。
ジェナスやクリスたちが聞いたら、青ざめた顔で全力で止めにかかるだろう。カインは耳を塞いで魂を飛ばしているかもしれない。
「溜まっているストレスを発散して、好きに暴れてきていいからな。ただし死人は出さない方向で。魔法師長の実力を存分に見せつけてこい」
「本当にそれでいいんですね?」
笑いながら問うと、ルースが笑って首肯した。
「━━誰も傷つける事なく、長年に渡る下らない争いを終わらせてきてくれ」
最後まで、決してロアに誰かを傷つける命令を下さない国王陛下。
きっと甘いやり方だろう。それでも、この人から出される命令が、ロアは嫌いじゃなかった。
「我が君の仰せのままに」
「俺は本当に甘いな」とルースが苦く笑った。
「お前も今度こそ無事に戻ってくるんだぞ。もうあんな思いは懲り懲りだ。傷が治ってくれて良かった」
「畏まりました。今度こそ必ず」
師の言った通り、自分への戒めとはいえ、心配をかけていた事にロアは申し訳なくなった。
「難しい注文を我ながらつけているとは思うし、俺の我儘に巻き込んで苦労をかけるが、頼んだ、ロア。いつも引き受けてくれてありがとうな」
心労が蓄積されている王を見て、胸が痛んだ。いつか優しいこの王が、玉座にいる重圧や責任に押し潰されないかと、心配になる。
「そろそろ戻ろう」と、いつの間にか張っていた冷気を遮断する防音の結界を解いて、ルースがロアを立ち上がらせる。
そのまま城の回廊へと向かいながら、ロアは口を開いた。
「陛下。私はあなたの命令を嫌だと思った事はありませんよ。たとえ周りが甘いと、そんな我儘を言うなと厳しい決断を求めてきたとしても、あなたがこの国の王です。王様ですから、多少の我儘や強引さがあってもいいと思いますよ。一歩間違えれば暴君ですが、あなたはそうならないと思いますから」
ロアの一言に、ルースはそうかと力を抜いて、納得する。それなら彼女の言う通り、少しだけ我儘に強引に偉そうにしてみてもいいのかもしれない。
微笑むロアを見ながら、そう思った。
もうすぐ長い長い冬があける。
準備を整えたら、こちらも出発だ。
密約があるとはいえ、まだ掌を返す可能性が残るイオニス帝国。その因縁も長く、浅くない。
それでも、この冬があけるのが、待ち遠しかった。
お疲れさまでした。
あと一話です。年内完結……頑張ります。
年明けたら、すみません。
読んでくださり、ありがとうございました。