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過去作品集(戦国)  作者: 陸戦型稲葉
すごく短い短編
19/26

雲生じ彩霞を込む



 さわさわ、と雨音が染む。



 見上げた夜の空から滴り落ちる雫は、ひたりひたりと足元に滲み寄って、少しずつ温度を下げていった。

 久秀はひとつ溜息を吐き、それが秋雨にしろくけぶるのを見た。

「冷えるなあ」

 軒の屋根板から垂れた雨粒がぱたりと地面を打った。

「やな。秋も深なったわ」

 囲炉裏の炎がちらちらと照らす部屋で、長頼が答えた。

 しゅん、と鉄瓶が湯気を吹く。立ちのぼるしろい靄に、胡坐を掻いた長頼のうすぐろい姿が霞んで見えた。

「宵も過ぎには上がる思うとってんけど、こら夜明けまで已まへんで」

「雨は嫌やな、鬱陶しい」

 久秀は染み出すように呟き、細い目を更に細めて長頼は頷いた。

 久秀はもう一度、すうと息を吐いてみた。先と同じように、ぬるい呼気はしろい霞になった。

 終わりなく降る夜の雨が、空天から大地へと見えない掌で押し付けている。空気や、音や、ゆるく流れる風さえ、空間の低いところに逼塞していた。久秀の座るあばらやは、逼塞した諸々の中に埋没して、まるで水面から遠く離れた水底の泥のように、ひきつれた沈黙を供に佇んでいた。

「じきに、二年やなあ」

 長頼が言った。回顧するようで、どことなく苦い口調だった。

 囲炉裏端の弟がどんな顔をしているか、久秀は知っていたが、返答を期待する長頼の言葉には応えなかった。長頼は、いつものようににこにこと人を喰った薄笑みを浮かべていた。

 久秀は、いつもの笑顔を消して、茫漠としたまなざしを、雨の簾のむこうに向けていた。

「雨やったら、どうやったかも分からんなあ」

「…………」

「どうなるんかな」

「…………」

 久秀は答えなかった。何を答えたところで意味など無いと知っていた。

 久秀の吐息と、鉄瓶の湯気とが、もやもやとしろく霞になる。叩きつけられた雨粒が弾けた粗い霧も、練り集まって乳白色の流れになった。あばらやに燈された小さな灯火と、囲炉裏の熾きの緋色が放つ光に照らされ、白い流れは彩霞の如くまたたいた。

 濡れた空気の中に座す久秀も、あばらやの庇や板葺き屋根と同じようにじっとりと湿っていた。が、囲炉裏端の長頼だけは平素となにひとつ変わらなかった。

「兄ィはどう思う?」

「……知るか」

 ぽつりと吐き捨てた久秀の言葉は、突き放す響きが強かった。

 声と共に押し出された空気が、しろい靄になって彩霞に紛れる。

「何や、冷たいなあ」

「…………」

「考えるだけ考えてくれたってバチ当たらんと思うで」

「…………」

「なあ」

 長頼は胡坐を掻いたまま問いかける。

 久秀は縁側に腰掛けたまま、長頼の言葉を聞き流した。

 答える必要など無いのだ。どんな答えにも意味など無いのと同じように、答えることにさえ意味は無い。

(当たり前や……死んだ人間に何言うても、何も変わらへん)

 じきに二年、と長頼は言った。丹波で長頼が死んでから、もう二年が過ぎようとしていた。

(迷うて出るほど、執着なんぞ無かったやろ)

 じっとりと濡れそぼった空気のなかに、からからに乾いたまま立つように。長頼は何事にも何物にも執着が薄かった。

 長頼はただ、久秀の隣を歩いていただけだった。

 三好家を守るために久秀はひた走った。隣にはいつも長頼がいた。守るべき三好の人々が消え失せて、久秀は世上の怨嗟と悪意の渦を引き連れて、なおも走り続けていた。隣にいた長頼は、拍子抜けするほどあっけなく死んでしまった。

 久秀は独りになった。

 孤独を伴侶に、今度は自分が生きるために久秀は歩いた。隣にいるのは凍てついた孤独だけだった。長頼の居場所は、もう無いのだ。

「寂しいんやろ?」

「阿呆か」

「素直に言うたらええやん。ボクもう離れへんし」

「いらん」

「兄ィが寂しいと、ボクも寂しいんや」」

「寂しないわボケ」

「ボクは寂しいねんて」

 久秀は鋭く舌打ちした。

 死人が寂しがっても、やはり無意味なのだ。久秀がいるのは生きている人々のための世で、長頼がいるのは終わってしまった人々の集まる場所だった。それらは、決して交じり合わない。

「自分、何歳いくつや」

「五十とちょっと」

「その歳で甘えなや」

 それでも、久秀は「成仏しろ」とは言わなかった。物心つく頃から徹底して現実の中に生きてきた。神も仏もあるものか、というのが信条だった。祈祷も念仏も、喜捨も布施も、仏像や経文だって、ひとりのこどもを救うことなど出来なかった。それらは所詮、世界と言うからくりを動かすための歯車に過ぎない。

 いざ死んだからと言って、今更「仏に成れ」などと言えるものか。

「離れたないんやったら、そこで待っとき」

 仏などと言う、わけのわからないものを持ち出すよりも、もっと現実的な方法があった。

「ボクもいずれは死ぬ身や。一緒が良い言うんやったら、ちっとくらい待ちやっしゃ」

「…………」

「分かったら、自分のおるとこ帰り」

 久秀は、秋雨に濡れた優しさで突き放した。

「ここはボクの生きる世界や」



松永久秀

長頼死後の夢です。

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