リーミル、ロユラスとの出会い
エリュティアが叔父の死を知って数日後、フローイ国の王都では、早くも帰国していたリーミルが庶民に混じって市に姿を見せていた。
「リーミル様。今朝とれたばかりです」
「ありがと」
物売りから赤いトフリの実を受け取ったリーミルは、礼を言う間もなくその熟した実にかぶりついて、笑顔の口元からあふれた果汁を手の甲でぬぐった。彼女は町娘の質素な衣装だが、彼女の顔立ちは都の庶民にまで広く知られていて、身分を隠すことが出来ない。 そんな彼女が、突然に、どきりとしたように胸に手を当てて思った。
(あれは、ちょうどこんなふうに腰掛けている時だった)
彼女は市をうろつく一人の青年を見つけたのである。そして、彼女はその青年の横顔を見た彼女の心にわき上がってきた、恋や愛といった男女の感情を否定した。
(この私が……、まさか)
聖都で手玉に取っていたつもりのアトラスに対して、そんな感情のかけらでもあったのかと考えたのである。ただ、彼女は冷静に状況を眺めてもいる。彼女自身が帰国を見送ったアトラスが、フローイ国の都にいるはずもない。また、通り過ぎていったその青年の後ろ姿は、アトラスよりやや長身で肩幅も広いようだ。ただ、男の後ろ姿は、リーミルの好奇心を刺激しすぎた。見過ごすことも出来ず、リーミルはしなやかな動きで立ち上がり、青年に気づかれないように、静かにその跡を追った。
市場は物売りの声が響き、商品を買い求める客の往来で活気がある。青年を追うリーミルの気配を消すのに丁度良い。リーミルはその人混みを利用した。青年の傍らを背後から早足で追い越しながら、向こうからやって来てすれ違った野菜売りの女を避けきれずに足がもつれたというふりを装って、青年の胸にもたれかかったのである。
突然に倒れかかってきたリーミルの体を支える男の腕に筋肉の張りがあり、突然のことだが、女性を受け止める腕や指先の動きが優しかった。
「あら、ごめんなさい」
リーミルは笑顔でわびながら、青年の胸に手を当てて体を引き離したが、その手の平に青年の胸板の感触があった。胸の筋肉が厚いだけではなく弾力性を秘めていて、一定の作業を繰り返す肉体労働者の筋肉ではなく、剣士のように臨機応変に激しい動きをする男の体だった。
(やはり、ただ者じゃない)
リーミルは心の中で頷いたが、次の瞬間に青年からかけられた言葉に驚いた。
「お嬢さん。先ほどから跡をつけて居られたようですが、何かご用でも?」
(気づかれていた)
リーミルはそんな驚きを表情に出さず、笑顔のままで、青年を眺めた。アトラスと面立ちは似ているが、漂わせる雰囲気が違う。純粋な心を虚勢で包むアトラスと違って、自然体で人の良さそうな笑顔を浮かべながら、その本心は固く閉じられて明かすことがないという感じである。
「不思議なお方、あなたはどなた?」
「私は商人のロユラスと申します。お見知りおきを」
青年はそう言ったが、商人風の衣服のから露出する肌は日に焼けていて、筋骨もたくましい。本物の商人では無かろう。
「何をしに来たの」
リーミルは笑顔で意地の悪い質問をした。商人で無ければ、密偵か何かに違いない。強国のフローイの動静を探るために、各国が放った密偵がこのカイーキにも暗躍しているという。この青年はフローイとは別の言葉の訛りがあり、フローイ国の住人では無かろう。
「フローイの銀製品を買い求めに」
ロユラスの言葉にリーミルはすぐにその嘘を看破した。銀細工と言えばもっともらしいが、この若者のような年齢で扱うには高額すぎる商品である。
「う・そっ。この国のことが知りたいんじゃなくて?」
「滅相もない。私はただの商人です」
「ルージの人で、あなたによく似た人を知っているわ。」
「それはどんな?」
「リダル王のご子息のアトラス王子」
リーミルは包み隠さずその名を明かした。彼女の想像通り、ロユラスは眉をぴくりと動かしてアトラスの名に反応した。
「ほぉ。それは、私のような一介の商人には身に余る光栄」
青年は笑顔で事実を隠すようにそう言った。アトラスの素直な物言いも良いが、包み隠す内心を探りあうような会話もリーミルの趣味に合う。ただ、その会話に邪魔者が入った。さりげない仕草の中で油断無く周囲を伺っていた青年の目に緊張感が走った。部下を連れて足早に近づいてくる将軍と兵士の姿を見つけたのである。しかし、将軍に用があるのはリーミルの方だった。やや非難の口調でリーミルの背後から声をかけた。
「姫様。行く先も告げず勝手に出歩かれては困ります」
「あら、シングレス将軍。何の用なの?」
「国王が火急の用でお呼びです。さあ、参りましょう」
シングレス将軍と呼ばれた男は、リーミルを逃がさぬように敬意と責任感を込めて彼女の肩を抱いて、引き立てて行った。ちらりと背後を振り返るリーミルの目に、笑顔で別れの挨拶の手を振る青年の姿が見えた。
その場に取り残されたロユラスは、この国にリーミルというなの男勝りの姫が居ることは知っていた。
「あの女か」
ロユラスはリーミルを見送りながらそう呟いて、不遜な事を考えた。
(フローイというのは、攻め滅ぼし難い国のようだ)
配下の者が姫を叱りつける様子が自然だった。姫はそんな配下の言葉を素直に受け入れていた。ただ、配下の者は敬意も忘れては居ない。姫や兵士を眺める民の目に恐れや警戒心はなかった。フローイ国の王家は、忠義心のある家来と、王家を敬愛する民に支持されていると言うことである。攻め滅ぼしにくい、そんな事を考える辺り、ロユラスは牙狼王リダルの血を引いていた。
(それにしても、火急の用とは?)
何の用かと問われた将軍が、口ごもって、ただ「火急の用」と称した。この国に、この場では口に出来ない出来事が突然に起きたと言うことではあるまいか。ロユラスはそう考えた。




