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予兆の後


 地震に見舞われたのはアテナイ軍駐屯地も同様である。兵は兵舎から飛び出して空を仰いでゼウスに救いを求める程に動揺した。しかし、その動揺が時を経ずして収まったのは、司令官エウクロスの人望の故に違いない。エキュネウスはそんな叔父をまぶしげに仰ぎ見た。 エウクロスは甥にシリャード内の探索を命じた。地震による被害調査の名目で、この都市国家の地理不案内な甥のエキュネウスに、現在彼らが置かれている状況を教えるのにちょうど良いと考えたのである。彼は、側近のカルトレウスと護衛の兵十名をつけて、エキュネウスを送り出した。

「隠す必要はない。隅から隅まで案内せよ」

 そう言った総指揮官に、カルトレウスは頷いて、その言葉の裏の意味を察したことを伝えた。カルトレウスの見るところ、総指揮官の甥は、忠誠心と誠実さに富み、アテナイ人の象徴とも言って良い気性の人物らしい。この濁りのない気象の若者に、シリャードというアトランティスの中心地で、どろどろと粘るような情勢の香りを嗅がせておかねばならない。


「陽を浴びた景色は、一段と壮麗でございましょう」

 カルトレウスは、その景色に圧倒され、無言でルミリアの神殿を眺めるエキュネウスにそう言った。昨夜の砦の中、二人で並んで眺めた神殿だが、朝日を浴びるその姿を間近で眺めれば、その屋根は青い空にとけ込む高さがあり、ひと抱え以上もある太さの白大理石の柱は、太陽をかたどったレリーフが刻まれ、金の装飾が施されていた。アトランティス大陸の中央を南北に分断するルードン河の南の岸部にあり、真上から見れば正方形神殿の壁面を正確に東西南北に向けている。そのために、朝日が輝くこの時間は東の壁面が白くそびえて見え、その壁面や天井を支える柱のレリーフが朝日を反射して輝くのである。この時代、これほどの建造物は、ギリシャ世界には無かった。

「しかし、大樹も幹から朽ちると申します。外見は壮大でも、その内側は白蟻に食い荒らされておりますよ」

「白蟻?」

「ほらっ、そこかしこに、うようよと居りますな」

 カルトレウスは神殿の周囲であわただしく動き回る神官たちをあごで指し示した。

「ずいぶん、慌ただしいようだが」

「先ほどの地震で慌てふためいて居るのでしょう。ご覧あれ、休会のはずの議事場に急遽、各国の国王どもの旗が掲げられております」

「旗がどうしたのだ」

「アトランティスの国王どもの会議が開かれるときに掲げられるのかならわしとか。不穏な雰囲気に、今頃、各国の公邸に使者が遣わされているところでございましょう」

「何が話し合われるのか興味があるところだな」

「いつものごとく、地震はこの聖地に蛮族の侵入を許しているアトランティナに、神が怒りをあらわにしているのだ、などと騒ぎあうのでございましょう」

「詳しいな」

「何、今日の夜更けには、会議の内容を告げる者が、砦に参りますよ」

「ここに、我々への内通者が居るというのか?」

 若く純真なエキュネウスには信じがたい。昨日からその巨大さや壮麗さに驚かせ続けられているシリャードという都市国家は信仰によって、アトランティスの九カ国をまとめ上げる精神的な支柱のはずだ。その内部に裏切り者が居るというのである。しかし、カルトレウスはエキュネウスの問いかけに意味深な笑顔で頷いて、疑問を肯定した。

 そんな会話をしつつ、一行はルミリア神殿とその両脇にある六神司院ロゲルスリンやアトランティス議会の前を通り過ぎた。


「神殿の東と西に、水路を挟んで各国の王の居宅がございます」

 カルトレウスはそんな案内をしながら、背後の兵に手で合図をして道の脇に控えさせ、自らもエキュネウスを導くように街道沿いの民家の軒先に立ち止まった。前方からやってくる行列に道を譲ったのである。カルトレウスは説明を続けた。

「ここでは、西にはフローイ国やルージ国、東にはシュレーブ国などの国王が住まいを構え、笑顔の内側では、互いにのど笛を食いちぎるかのような内情。我々は彼らとの争いを避けつつ、彼らの争いを見守ればいいと言うことです」

 エキュネウスは行列を眺めて聞いた。

「あれは?」

「旗から判別すればシュレーブ国の者どもですな。列を構成する侍女どもから見れば、後ろの輿には王家の女どもが乗っているのでしょう」

 そんな言葉を交わすエキュネウスとカルトレウスの前を行列の先頭が通り過ぎた。彼らが存在しないかのように粛々とした雰囲気である。蛮族の者どもを見るのも汚らわしいとでも言いたげに、行列の者どもの中にアテナイの兵士と視線を合わせる者が居ない。

 次の瞬間、エキュネウスと行列の輿に載った少女の視線が一致した。おそらく二人は心を共有したに違いない。記憶をかき乱される瞬間、相手が昨日出会った人物だと理解する瞬間。少女はすぐに顔を伏せてエキュネウスの視線を避けたが、それは他の人々のような不浄な者から目を背けるためではない。再び出会った相手が何者なのかという疑問を思いめぐらす所作だったのだろう。エキュネウスは通り過ぎる行列を眺めつつ少女と同じ思いを言葉に出して尋ねた。

「あの女性は?」

「輿に王家の紋章がございました。おそらく、シュレーブ王の娘のエリュティア姫かと」

「エリュティア」

 エキュネウスは少女の顔立ちと共にその名を心に刻んだ。昨日は美の女神アフロディーテを思い起こさせた少女だが、改めて眺めたエリュティアには成熟した女性の美というより、まだ未熟さ故の純真さを秘めた少女の美しさがあった。顔を伏せたエリュティアは無垢な瞳で胸元に赤い包みを眺めていた。

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