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当せん金100億で滅亡寸前の極貧領地を買いました 〜札束とホームセンターの力で立て直したら、不憫な美男子たちに執着されています〜  作者: ヒデコ


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第18話:怪しい美形商人の来訪

大魔雪嵐が過ぎ去った翌日、ヴァルハイト領には驚くべき気候の変化が訪れていた。

天災級の魔力を孕んだ暴風雪が通り過ぎた反動なのか、天頂からは春先を思わせる柔らかな陽光が降り注ぎ、山脈から吹き下ろす風も急速にその刺々しさを失っていた。屋根にうずたかく積もっていた二メートルもの豪雪は、陽光に晒されてボタボタと大きな雫を滴らせ、城壁の雨樋からは雪解け水が滝のように勢いよく流れ落ちている。

凍土に閉ざされていた限界集落は、奇跡的な活気に満ち溢れていた。

城の大広間で完全な保護を受け、熱々の豚汁風味噌汁と断熱シートによって体力を温存した領民たちは、嵐が去るや否や、鍛冶屋のダンを筆頭として総出で除雪作業と村の点検に乗り出していた。倒壊した家屋は数軒あったものの、人は誰一人として失われていない。失われた家財など、命があればいくらでも作り直せる――そんな前向きな気迫が、領民たちの泥だらけの笑顔に宿っていた。

だが、その安堵の空気を切り裂くように、南の渓谷街道から「招かれざる客」の足音が近づいていた。


ゴトゴト、ゴトゴト……。

重厚な車輪が、ぬかるんだ雪解け道を力強く踏み砕く音が、谷間に響き渡る。

城門の監視塔に立っていた副官ユーリが、双眼鏡代わりに目を凝らし、息を呑んだ。

「……でかい……! なんだ、あの馬車は……!?」

雪解け水で泥濘と化した山道を、ものともせずに登ってくる一団があった。

先頭を進むのは、漆黒の毛並みを持つ筋骨隆々たる四頭の軍用輓馬。その背後には、まるで小さな要塞のような、重厚かつ豪奢極まりない黒塗りの大型馬車が牽引されていた。車輪には凍結路面用の鋭い鉄鋲が隙間なく打ち込まれ、漆黒のエナメルで磨き上げられた車体には、純金で縁取られた「天秤と蛇」の紋章が誇らしげに刻印されている。

馬車の周囲を固めるのは、揃いの革鎧に身を包み、クロスボウと長剣を背負った二十名近い私設護衛兵たち。その無駄のない行軍速度と周囲を警戒する眼光の鋭さは、隣領のクロード伯爵が雇っていた三流傭兵たちとは明らかに格が違っていた。

「天秤に蛇……間違いない、商人ギルド連合の直属親衛隊だ!」

ユーリが城内へ向けて叫んだ。


*

城の大広間。

避難していた領民たちの村への帰還が進み、ブルーシートや断熱アルミシートの半分が片付けられつつあるその場所で、アシェルとラインハルト、そして志乃が待ち受けていた。

アシェルは領主としての正装に身を包み、乱れていた銀髪をきっちりと撫で付けていた。顔色は志乃の栄養補給のおかげで以前の土気色は消えていたが、その切れ長の碧眼には、鋭い警戒の色が張り詰めている。

「……ゼノ・アルヴィス。まさか、嵐が明けた翌日に直接乗り込んでくるとはな」

アシェルが低く呟いた。

「アシェル様、そのギルド長って、そんなに危険な人物なの?」

作業着姿のまま、腕組みをして手帳を構えていた志乃が尋ねる。

「ああ。一筋縄ではいかない男だ」

アシェルは苦渋を滲ませながら説明した。

「帝国南西部の商業圏を実質的に支配する商人ギルド連合の若き会頭だ。年齢は私より二つ上の二十九歳。……だが、名門貴族の出ではない。帝都の最悪のスラム街、孤児の吹き溜まりから自力で這い上がり、裏社会の密輸組織を乗っ取り、二十代前半で先代のギルド長を失脚させてトップに君臨した化け物だ。人間を一切信じず、動くのは『利潤』と『損得』のみ。金の匂いを嗅ぎつける嗅覚にかけては、大陸一と言われている」

「なるほどね。現場叩き上げのワンマン経営者ってわけか」

志乃は冷静に分析した。ブラック企業時代にもいたタイプだ。創業家に取り入るのではなく、数字と実績、そして強引な手腕だけで競合を叩き潰して成り上がった辣腕の事業家。こういうタイプは、お為ごかしの綺麗事や貴族の権威など毛ほども通用しない。

「志乃様」

背後に直立していたラインハルトが、腰の大剣の鯉口をわずかに切った。黒い防寒ギアに身を包んだ忠犬騎士は、全身から針のような殺気を立ち上らせている。

「奴は、悪徳商人ギルバートなどとは比較にならぬ毒蛇です。……何かあれば、即座に奴の首を刎ねます。貴女の前に一歩たりとも近づけさせはいたしません」

「待ちなさい、ラインハルト。相手はまだ何も敵対行為をしていないわ。まずは相手の要求と出方を見極めるのがビジネスの基本よ。剣を納めなさい」

「……御意」

志乃に窘められ、ラインハルトは不承不承といった様子で剣を納めたが、その眼光は依然として獲物を狙う猛獣のように研ぎ澄まされていた。


やがて、老執事バルトロの案内とともに、大広間の重厚な扉が静かに開け放たれた。


「――おやおや。これはまた、噂以上の珍風景に出迎えられたものだね」


滑らかで、甘く、どこか耳の奥を撫でるようなテノールが広間に響き渡った。

現れたのは、一人の青年だった。

年の頃は二十代の後半。長身で、均整の取れたしなやかな体躯には、最高級の漆黒のウールに繊細な金糸の刺繍が施されたロングコートが羽織られていた。襟元には純白のレースタイが結ばれ、その胸元には大粒の琥珀が鈍い光を放っている。

そして何より目を引いたのは、その類稀なる美貌だった。

肩まで流れるように伸ばされた、陽光を溶かし込んだような蜂蜜色の金髪。切れ長の涼やかな目元に、彫刻のように整った薄い唇。

だが、その完璧な美貌の中で、最も異彩を放っていたのは彼の「双眸」だった。

獲物を値踏みし、その骨の髄まで解体して価値を計り直すような、冷徹で底知れない「琥珀色の瞳」。

商人ギルド長、ゼノ・アルヴィス(二十九)。

青年は両手を広げ、優雅な足取りで大広間の中央へと進み出た。

その足元には、まだ片付けきれていなかった「青いブルーシート」と、銀色に光り輝く「断熱アルミシート」が広がっている。

ゼノの琥珀色の瞳が、床のシートを捉えた瞬間、ピクリと小さく細められた。

「……ほう。床に敷かれているこれは……何かな? 羊皮紙でもなければ、絨毯でもない。それにこの銀色の膜……魔力の発現がないにもかかわらず、石畳の冷気を完全に遮断しているようだ。……面白い素材だね」

一歩踏み込んだだけで、資材の特異性と機能を瞬時に見抜く観察眼。

「勝手な立ち入りは困るな、ゼノ会頭」

アシェルが一歩前へ出て、冷ややかな声で遮った。

「ここはヴァルハイト城の私邸だ。アポなしの来訪に応じる義務は、我が領にはないはずだが」

「おや、手厳しいね、アシェル卿」

ゼノは肩をすくめ、わざとらしいほど優雅に一礼してみせた。口元には、完璧な営業用の甘い笑みが張り付いている。

「隣接する商業圏の長として、未曾有の大魔雪嵐の被害に遭われた同盟領をお見舞いに駆けつけたというのに、その言い草は心外だな。……まあ、表向きの挨拶はこれくらいにしておこうか」

ゼノはすっと顔を上げ、琥珀色の瞳をアシェルへと据えた。その瞳から、営業用の笑みがスッと消え失せる。

「単刀直入に本題に入ろう。……ギルバート・ボッシュの豚野郎が、泡を吹いて王都の別邸へ逃げ帰ってきたよ。領地を差し押さえるはずだった借用書を破棄され、代わりに『純度九十九・九パーセントを超える、傷一つない神宝級の純金塊』を叩きつけられた……と、半狂乱で喚き散らしながらね」

「…………」

アシェルの表情が引き締まる。

「それだけじゃない」

ゼノは指を一本立て、ゆっくりと広間を見渡した。

「このヴァルハイト領の城下村で、瀕死の孤児の娘が『傷の毒を瞬時に消し去る奇跡の神薬』によって一夜で完治したという噂。……そして極め付けがこれだ。あの凶悪な大魔雪嵐が直撃したというのに、この城の周囲からは煙一つ上がらず、薪を燃やした形跡もない。それなのに――避難した領民百五十名が、風邪一つ引かずに笑顔で除雪作業をしている。……アシェル卿、君のような貧乏貴族が、いつの間に『国家機密級の失われた古代技術』を手に入れたのかな?」

ゼノの声音には、隠しきれない飢餓感と、猛烈な好奇心の熱が孕まれていた。

貧民街から自力で這い上がってきた男だ。

金になる匂い、世界のパワーバランスを激変させるテクノロジーの気配に対して、彼の嗅覚は狂気的なまでに敏感だった。

「……貴殿に答える筋合いはない」

アシェルが冷徹に撥ねつける。

「フフッ、相変わらずつれないね。だがね、アシェル卿。いくら君が隠そうとしても、この規模の物資を動かせば、物流の痕跡は必ず残る。帝国全土の商業網を押さえている俺の目を誤魔化せると思っているのかい?」

ゼノはクスクスと喉を鳴らして笑った。

そして――。

アシェルの横をすり抜けるようにして、視線をその背後へと滑らせた。


そこに立っていたのは、神崎志乃だった。

ネイビーの防寒ワークジャケットに、実用的なカーゴパンツ。黒髪をポニーテールに束ね、銀縁の眼鏡の奥から、冷徹な光を放つ黒い瞳でゼノを観察している小柄な女性。

ゼノの琥珀色の瞳が、志乃の姿を捉えた瞬間、獲物を見定めた肉食獣のように妖しく輝いた。


「……おや」

ゼノの足が止まった。

彼はアシェルを完全に視界から排除し、志乃の前へと大股で歩み寄ってきた。

「おい、下がるんだゼノ!」

アシェルが慌てて制止しようとするが、ゼノは意に介さない。

その歩みには、絶対の自信と、自らの美貌と財力を熟知した男特有の、抗いがたい色気が漂っていた。

「これは驚いたな。……アシェル卿の新しい侍女かと思ったが、その佇まい……ただの使用人じゃないね」

ゼノは志乃の正面、わずか一歩の距離で立ち止まった。

高身長のゼノが見下ろす位置に、小柄な志乃がいる。ゼノの纏う高級な香水の香りと、冬の冷気が混ざり合って漂ってくる。

ゼノは流れるような蜂蜜色の髪を指先で軽く払うと、女性なら誰もが見惚れてしまうような、極上の甘い笑みをその薄い唇に浮かべた。

「黒い髪に、漆黒の瞳。東方の遙かなる秘境から来られたのかな? ……初めまして、美しいお嬢さん。俺はゼノ・アルヴィス。この地域の商業を一手に束ねる商人ギルドの長だ」

「どうも。神崎志乃です」

志乃は眉一つ動かさず、事務的なトーンで一礼を返した。

女性慣れした男の甘言など、ブラック企業の接待ゴルフや取引先の接待飲み会で数え切れないほど受け流してきた。志乃の頭の中では、すでにゼノという人間の「ステータス」と「リスク要因」の仕訳が始まっていた。

(……顔はいい。声もいい。立ち居振る舞いも洗練されている。でも、瞳の奥が完全に『査定中の質屋のオヤジ』と同じ目をしてるわね)

志乃の冷ややかな眼差しに、ゼノはわずかに面白そうな色を浮かべた。

普通の女性であれば、自分の美貌と甘い囁きに頬を染め、視線を泳がせるはずだ。だが、この黒髪の女は、まるで帳簿の数字を検算するかのように、冷酷に自分を観察している。

「志乃殿……とお呼びしていいかな?」

ゼノは一歩、さらに間合いを詰めた。

二人の距離が、わずか数十センチにまで縮まる。

「君が……ギルバートを札束で叩き潰し、あの純金塊を持ち込んだ張本人だね? そして、この摩訶不思議な青い布や銀の敷物、奇跡の神薬をこの城にもたらした『新参の最高財政執行官殿』……そうだろ?」

「ええ。契約上、この領地の財政と物資調達の全権は私が掌握しています」

「素晴らしい」

ゼノの唇が、三日月のように吊り上がった。

彼の脳内では、すでに志乃の正体に関する「仮説」が組み上がっていた。

(……なるほどな。東方の巨大商会か、あるいは中央の帝国大貴族の隠し資産を裏ルートで横流ししている密輸ブローカーの代理人か。こんな若い女に全権を握らせているあたり、背後には相当な大物がついているに違いない……)

貧民街から自力で這い上がってきたゼノにとって、志乃のような存在は「手玉に取るべき獲物」に他ならなかった。

世間知らずの令嬢か、バックの威光を笠に着た若い娘。

少し色仕掛けで甘やかして自尊心をくすぐり、自らの商館のネットワークで囲い込んでしまえば、その背後にある莫大な利権と未知の物資ルートを、丸ごと独占できる――。

ゼノの琥珀色の瞳の奥に、打算と征服欲の炎がチラリと揺らめいた。


「単刀直入に言おう、志乃殿」

ゼノの声が、一段と低く、甘く、吐息混じりの響きを帯びた。

「こんな寒村の没落貴族に肩入れしたところで、君のその素晴らしい才覚がすり減るだけだ。……ぜひ、その素晴らしい物資の仕入れ元を、俺に教えていただきたいものだね。俺のギルドと手を組めば、王都はおろか、帝国全土に君の物資を流通させ、山のような富を君の足元に築いてあげられるよ」

言いながら、ゼノは右手をゆっくりと持ち上げた。

白く、手入れの行き届いた長い指先。

その指が、志乃の滑らかな顎先へ向けて――品定めするように、甘く触れようと伸ばされた。


「……おや、肌も髪も艶やかだ。君のような得難い才女が、こんな薄汚い作業着を着ているなんて勿体ない。俺の商館に来れば、最高級の絹のドレスと宝石で――」


ゼノの指先が、志乃の顎に触れようとした――まさにその刹那だった。


――ガキンッッッ!!!!


鼓膜を劈くような、凄まじい金属の激突音が大広間に炸裂した。

ゼノの指先の、わずか数ミリ横。

大理石の床を粉砕しながら突き立てられたのは――青白い刃文をギラつかせた、ラインハルトの巨大な抜き身の大剣だった。


「…………っ!?」

ゼノの動きが、完全に凍りついた。

背筋を駆け上がる、本物の「死」の気配。

大剣の切っ先から放たれる凍てつくような殺気が、ゼノの頬の皮膚をピリピリと切り裂くように威嚇していた。

「……薄汚い指を退けろ、狐め」

背後から響いたのは、地獄の底から這い上がってきたような、低く濁ったラインハルトの唸り声だった。

黒髪の騎士団長は、抜刀した姿勢のまま、ゼノの首筋へ大剣の切っ先を寸止めで突きつけていた。その漆黒の瞳は血走り、額には青筋が激しく浮き出ている。

「志乃様に気安く触れるな。……その手を切り落とされたくなければ、今すぐ三歩下がれ」

さらに――。

「私の客人に無礼を働かないでいただこうか、ゼノ会頭」

アシェルの冷徹な声が追い打ちをかけた。

銀髪の領主は、冷酷な碧眼でゼノを射すくめながら、志乃の肩を抱き寄せるようにして、自らの背後へと庇い隠した。その手は、志乃を誰にも渡さないと主張するように、固く、強く彼女の肩を抱きしめている。


「…………」

ゼノはゆっくりと手を下ろし、息を呑んだ。

首筋に突きつけられた大剣。そして、普段は気弱で胃を痛めていたはずのアシェルが放つ、かつて見たこともないほど苛烈な拒絶の気迫。

(……ほう? ただの雇われ執行官じゃないな……。この二人の男、完全にあの女に『狂わされて』いるのか……?)

ゼノの口元が、わずかに引き攣り、そして――猛烈な興味の笑みへと歪んだ。

命の危機に晒されているというのに、商人の本能が歓喜に震えていた。

アシェルを泥水から救い、屈強な騎士団長を忠犬へと変え、未知の物資で天災をねじ伏せた黒髪の女。

ただのブローカーではない。

この女自身が――底知れない「劇薬」なのだ。


そんな男たちの緊迫した空気の中。

アシェルの背後から、ひょっこりと顔を出した志乃が、呆れたようにため息をついた。

「ラインハルト、剣を下げなさい。アシェル様も、肩の力を抜いて。……ゼノ会頭、初対面でいきなり他人の顎に触ろうとするのは、セクシャルハラスメントの服務規程違反よ。減点一〇〇点ね」

「せ……セクハラ……?」

聞いたこともない単語に、ゼノが目を丸くする。

志乃は眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げると、胸ポケットからソーラー電卓を取り出し、カチリと鳴らした。

「物資の仕入れ元を知りたい? 王都へ流通させたい? ……いい度胸ね。口先の甘言と色気でマージンを抜こうとする中間業者なんて、経理時代に何百人も相手にしてきたわ。……商談をしたいなら、まずはビジネスのテーブルに着きなさい。数字と現物で、あなたの商人力(しょうにんりょく)を試してあげるわ」


志乃の不敵な笑みに、ゼノの琥珀色の瞳がカッと熱く見開かれた。

流通革命を巡る、元経理OLと腹黒美形商人による、プライドを賭けた真の商談バトルが、今まさに幕を開けようとしていた。

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